子供にミシンが必要な理由

母とミシンの40年間:ブラザー コンパルエース

ブラザーミシンの思い出
この記事は約6分で読めます。

このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

母とミシンの40年間:ブラザー コンパルエース

  • インタビュー対象者:母親
  • ミシンのメーカー:ブラザー
  • ミシンの機種:コンパルエース
  • シリアルナンバー:M05150182

ミシン購入の過程

家庭科の授業で

私が学生時代に初めて自分用に購入してもらい、母親となった今もなお使い続けているミシンとの思い出を振り返ってみると、ミシンの購入に至った最初のきっかけは中学校の家庭科の授業でした。私が15歳の頃ですので、1980年ぐらいだと思います。

授業でエプロンを作ることになりました。先生には学校のミシンを使って作っても、家に持ち帰って作ってもどちらでも良いと言われたのですが、授業中に作り終えることは出来ず、放課後も当時バスケ部に入っていたこともあり、授業が終わればすぐにでもバスケの練習がしたかったので、私には家に材料を持ち帰って作るしか選択肢がありませんでした。

私の家には母が使っている足踏みミシンがあったのですが、自転車で急いで帰って確認すると、ずいぶん長く使っていたのでミシンの調子が悪く、エプロンを作れそうにもありませんでした。

そこで、父と母に相談すると、当時嫁入り道具に必要だと考えられていたということもあり、「将来結婚してからも要るかもしれないね」と私用のミシンの購入を快諾してくれました。

ブラザーとの出会い

ブラザー コンパルエース

そしてなんとタイミングの良いことに農協の販売員が自宅にブラザー社のミシンを売りに来たのです。家庭用のミシンは当時まだ出始めで、10万円以上する高級品でした。簡単に買える値段ではありませんでしたが、父が分割払いで買ってくれることになりました。

昔から母にミシンの使い方を習ったり、家にある本で自分で学んだりして、ミシンで縫物をするのが好きだったこともあり、自分用のミシン、しかも最新の立派なミシンが手に入ったことにとても興奮したことを覚えています。

母が使っているものも学校のものも全部足踏みミシンだったので、自分で縫うスピードを調整できることに慣れていました。そのため、ブラザー社のミシンは高速、中速、低速とボタンがありましたが、速度を入れ換えるのにいちいち手を止めるのが面倒だったり、高速のスピードに指を挟みそうになったりと最初は不便にも思えました。しかし、慣れてくるとどんどん色んな物を作りたいと思うようになりました。

ミシンを使った製作品

初めてのプレゼント

私は奈良県北東部にある榛原中学校に通っていたのですが、家庭科に比較的力が入れられていて、授業ではエプロンの他にパジャマやスカートを作るよう指示されました。

スカートを製作している時に、ギャザー部分を作るのが難しく、家に持ち帰って母に聞きながら作っているとそれを見た兄が自分の誕生日に電車型のクッションを作ってほしいと言ってきました。

「ほんまに作れんのか~」と馬鹿にしてきたので、売り言葉に買い言葉で「めっちゃ綺麗なん作ったるわ」と言ってしまい、兄へクッションを作ることになりました。これが人にあげるためにミシンを使って作った最初のプレゼントでした。

近鉄特急のビスタカーのデザインが良いとのことだったので、自分で型紙から作ることにしました。今は少しデザインが変わってしまったのですが、当時は白とオレンジを基調としてサイドにグレーのV字型のデザインが入っていました。

兄曰く、そのデザインがかっこいいらしいので、V字デザインには特に力を入れてほんものそっくりの形と長さの比率で型紙を作りました。そのマークと窓をフェルトで作って生地に縫い付けると、非常に満足のいく仕上がりになりました。

最初はからかってくる兄をぎゃふんと言わせてやろうと意気込んでいたのですが、実際出来上がってプレゼントすると、思った以上に喜んでくれて、「やるやん」ととても上からですが褒めてもらえ、その時の兄の嬉しそうな表情に達成感と、もっと作ってみたいという創作意欲が湧いてきました。

真夏のカバー製作

その後も、自分のために外出用の鞄を作ってみたり、高校の文化祭でおでん屋さんをすることになった時には男子の分と2人分のハッピを作ったり、結婚して子供ができてからは、子供の体操服入れや子供が学校に持っていく用の雑巾を縫ったりしましたが、中でも一番大変だったのは大学時代に作った、車の座席カバーだったと記憶しています。

大学時代に免許を取ってすぐ、父に中古車を買ってもらいました。父も母も単車に乗っていて、家に車がなかったので自分の車があるのが嬉しくて嬉しくて、休みのたびに両親を乗せて買い物に行ったり、友人とドライブに行ったりしていました。

しかし座席が汚れるのが嫌だなと思っていたので、長い夏休みに暇に任せて車の座席のカバーを自分で作ることにしました。

これが間違いでした。

運転席と助手席、後ろの座席と、数が多いことに加えて、後ろの座席はひと席ずつ倒せるように真ん中で分かれた形のカバーにしようとすると、カバーが複雑な形になり、まず型紙を作るのが骨が折れる作業でした。

他にもカバーがちゃんと座席にフィットするようにゴムを使ってはめられるようにしたり、頭部もくびれを作るために横でリボンを結べるようにしたりと、利便性を求めて様々な工夫をしたことで、より製作に時間がかかりました。
今だとインターネットで探せば型紙などすぐに出てくるのかもしれませんが、その頃は自分で測るしかなかったのです。何より、真夏の車内は灼熱地獄でした。

また、型紙が完成した後も大変でした。今まで作ったどんなものよりも大きかったので、型紙通りに切るにも広いスペースが必要で、畳いっぱいに広げて生地を切りました。いざ縫うとなっても、私の家庭用ミシンでは小さく、生地を左部分に出して一方向に縫っていくしか方法がなく、生地が大きい分手元で回しにくいのも不便でした。

全工程において今までと大きさが規格外だったので、本当に大変な1週間の製作期間でした。もう二度と車の座席カバーを手作りすることはないでしょう。

ただその分、完成し愛車に装着した時の達成感は何物にも代えがたいほど素晴らしいものでした。完成した後、友人や両親を乗せてドライブに行くと、みんなが口をそろえて「買ったものよりいいな」と言ってもらえ、とても気分が良かったことを覚えています。

ミシンの現在

初めて買ってもらったミシンは最初に書いた通り今も不自由なく動きますが、今のミシンでは考えられないほど重く、2階の押し入れに押し込んだまま移動させるのが億劫になってしまっています。

このインタビューを受けて、ミシンとの思い出を振り返っていると縫物の楽しさを思い出しました。ずっとアイロン台のカバーを作ろうと思いながら先延ばしになっているので、この機会に重い腰を上げてみようかと考えています。

インタビューしてみて

インタビューアーは、自分が小学生の時に母と一緒に買い物に行き、好きな柄の生地を選んで、それを使って体操服カバーや座布団カバーなどを作ってもらった記憶はあります。

でも、自分自身は家庭科の授業でミシンを習った時もそれほど得意ではなく、自ら何かを縫ってみようと思うこともなかったのですが、今回インタビューしてみて、まず家にあったミシンが40年前のもので、まだ動くということに驚き、
とても楽しそうにミシンとの思い出を語る母の姿に、ミシンへの関心が湧きました。

インタビューアーは、自分はミシンに苦手意識を持ち、逃げていただけで、自ら取り組んでみれば面白いのかもしれないと思うようになったのです。

今外出ができない状況で、こういったレポートが出て、自分の母がミシンが大好きだったということを知るきっかけとなったことにある種の縁を感じ、この暇を持て余した期間に母のミシンで何か製作してみようかと考えています。

コメント 質問や感想をお寄せください

タイトルとURLをコピーしました