子供にミシンが必要な理由

娘の成長とともに:ブラザー レナージュ ZZ3-B966

ブラザーミシンの思い出
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このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

娘の成長とともに:ブラザー レナージュ ZZ3-B966

  • インタビュー対象者:母
  • ミシンのメーカー:ブラザー
  • ミシン番号:レナージュ ZZ3-B966

私とミシン

ミシンとの出会い

1997年、1人目の娘が誕生する前の年、自分で働いてためた貯金でミシンを購入しました。母の仕事の関係上、ミシンが少し安く買えて嬉しかったことを覚えています。

母は編み物教室の先生で私たちが幼いころからセーターや帽子などを編んでくれました。そのため、当時の私は自分の子どもに服や、バックなどをつくることに憧れを抱いていました。

ミシンを買った直後は、これから生まれてくる娘に何をつくろうかと心が弾みました。実際には、服作りは私には難しく、娘たちには母がセーターやチョッキなどを編んでくれました。しかし、バックや巾着などミシンで作れるものは私も一生懸命作りました。

そして、娘のものをたくさん作ってきたこのミシンにはとても愛着がわいています。たくさん作った作品は娘が大学生になった今でも残っているものもあります。これから、娘の成長に沿って私のミシンについて話していきたいと思います。

はじめての作品

ミシンは主に、小学校や中学校の家庭科の授業で習いました。特別に学校に通って習ったということはありませんが、母が裁縫を得意としていたので、それを見て学んだことは多くあります。

そして私が最初につくったのは、ミシンのカバーでした。ミシンのサイズをはかり、初めて自分のミシンを使って、丁寧に縫いあげました。ぴったりのカバーができ結構気に入っていたのですが、最後に手縫いで「ミシン」とアップリケを付けたことを家族に笑われてしまい喧嘩をしたのも、今となってはよい思い出です。

その後、私のミシンは箱に入れ保管することになったので、今ではそのカバーはアップリケを笑った張本人である母のミシンカバーとして実家で活躍しています。

娘とミシン

幼稚園時代

人生で一番ミシンを使ったのはこの時期かもしれません。娘の幼稚園の入園を機に、絵本バックや、靴袋、ナフキンに巾着袋など、用意しなくてはならないものがたくさんありました。

私には2人の娘がいるのですが2歳違いなので、作るものも当然2倍です。特に次女は長女のものを欲しがったので、次女が幼稚園に入る前から同じものを2個ずつ作るようにしていました。

かわいい布をたくさん買い、娘のものをつくることは私の憧れでしたが、それは思っていたよりも大変でした。心配性の私がミシンをつかえるのは娘が寝ているときだけだったからです。おかげで、寝不足の日もありました。

ただ、笑顔で私の作ったものを持って登園するわが子をみるのはとても幸せでした。また、幼稚園のかばんやナフキンなどはサイズが決まっていたためそのサイズにきっちり合わせることは大変でした。特にご飯を食べる際につかうお盆用のナフキン、これは小さすぎても大きすぎてもいけないと普段よりしっかり採寸し、しっかり縫い上げました。今となっては少しくらい誤差があっても大丈夫だったのではないかと思います。

もちろん、お盆に敷いてご飯を食べるので、汚して帰ってくるのですが、今日もごはん美味しかったよ、と笑顔で汚れたナフキンを返してくれる娘がかわいくて、ミシンを使いお盆用のナフキンをたくさん製作しました。そのナフキンを入れるための巾着も同じ柄でつくり、毎晩娘たちと一緒に準備をしました。

その他にも、娘の成長に合わせ、靴袋を新調したり、お絵かきなどをするときにつかうスモックを入れる袋をつくったり例を出せばきりがないほどたくさんつくりました。このとき、ミシンは彼の人生の中で一番輝いていたでしょう。今でもきれいなバックや巾着袋は大切に保管しており、たまに見て思いをはせることもあります。

小学生時代

小学生にもなると、娘たちはすこしませてきて、自分でお気に入りの布を選んだり、また気に入った柄のナフキンしか使わなかったり、既製品を欲しがったりと新しいものを作る機会は減りました。

ただ、給食着入れや、体操服袋、給食時のナフキンなどは新しく彼女たちの気に入った布でつくると喜んで使ってくれたため、少なくとも低学年の頃はたくさん作りました。

長女が小学4年生、次女が小学2年生の頃から家の近くでパートを始めたこともあり、ミシンを出すことは減りました。それでもたまに新しい巾着袋をつくると、娘たちは喜んでほぼ毎日のように使ってくれました。娘たちが小学校高学年にもなると、娘自身がミシンをつかうようになりました。

家庭科の授業でトートバックやエプロンなどをつくり、間に合わなかった分を宿題として持って帰ってきました。小学生の作品は私にとっては縫い目が汚かったリ折り目が斜めだったりして、思わず口だけでなく、手を出してほどいてから縫ってしまうこともありました。私のミシンはボタンを押すと自動で進み、糸も勝手に切れるのですが、娘たちの学校では足で踏むものでスピードの調節が難しかったらしく、私のミシンをひどく気に入ったようでした。

一緒にミシンを使っていると、いつか娘も自分たちの娘のためにミシンを使う日が来るのかと、感慨深くなったことを覚えています。

中学校時代

子どもたちが中学生にもなると、ミシンを出すこともほとんどなくなりました。体操服袋も上靴袋も既製のかわいいものをつかうようになりました。少し寂しくも、成長したなと感じました。

高校時代

娘たちも高校生になり、もう娘たちのためにミシンをつかうこともないだろうと思っていました。しかし、年に1度だけミシンをつかうことがありました。それは、次女の高校の体育祭の時です。

次女の高校では、体育祭で応援団というものを結成します。3学年1クラスずつ集まり団対抗で体育祭を行うのですが、その際応援合戦で、それぞれの団で衣装をつくり演舞を行うのです。それぞれの団が工夫して作った衣装はとてもきれいで、動きのそろった演舞に毎年感動していました。ただ、予算内で衣装をつくろうとするので、布を配布しそれぞれの家庭で衣装を作ることになります。それをわたしが作っていたのです。

本当は次女につくらせたかったのですが、毎日の練習、部活、学校生活に疲れている次女を見ていると、つくってしまいました。ただ、他の子は自ら手縫いで作っていたりするので、私の娘の衣装はとびぬけてきれいだったと自負しています。たった1日の体育祭のために毎日、団練と称した練習を遅くまでするそんな青春の日々に少し関われたことは、私にとってもいい思い出です。ミシンもきっとひさびさの出番に喜んでいたに違いありません。

ミシンの今

今までたくさん活躍してくれたミシンも今では物置の奥でゆっくり眠っています。いつか、孫のためにミシンをまた登場させる日が来ることを楽しみにしています。。

インタビューをして(インタビューアーとしての私の感想)

母がミシンを使っている姿はあまり目にしたことがありません。それは、母が針仕事をするときは危ないから私たちの寝た後にしてくれていたこと、昼は私たちとたくさん遊んでいてくれたこと、そんな母の優しさのためなのだと知りました。

ただ、今でも残っているナフキンをみると、幼稚園や小学校の時の楽しかった思い出がふと頭をかすめることがあります。母はそんな思い出を作ってくれていたのだと、温かい気持ちになりました。

小学生の頃、頑張って作ったトートバックをやり直しさせられたことも、今は2人でミシンを使ったいい思い出の一つです。母のミシンは母のものというより、私たち娘たちのためのもののような気がします。

私もいつか、子どものためにミシンを買う日が来ても困らないように貯金しておこうと思いました。今回、このような機会をあたえていただき、ゆっくり母と話して、昔の思い出も楽しく話しながら、インタビューできとてもよかったです。

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