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ミシンの産業化前夜 : バルテルミー・ティモニエ

バルテルミー・ティモニエ博物館のミシン ミシンのタイムトラベル
バルテルミー・ティモニエ博物館のミシン via Musée Barthélemy Thimonnier, de la machine à coudre et du cycle | Beaujolais Vert | Site officiel de l'Office de Tourisme
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ミシンの産業化前夜 : バルテルミー・ティモニエ

なぜミシンの開発は遅れたか」でみたとおり、糸生産用機械や織物生産用機械よりミシンは遅く開発・商品化されましたが、18世紀中期に始まったイギリス産業革命以後、糸と織物は世界中で溢れかえるようになります。それを受けてミシンを開発しようとする動きがフランスで芽生えます。

ミシンの開発は1830年代のフランスにさかのぼります。バルテルミー・ティモニエ(Barthélemy Thimonnier)がナポレオン軍に80台のミシンを納品したといわれます。当地の手縫い裁縫師たちは自分の仕事が奪われると恐れたためテモニエの工房を打ち壊しました。2期にわたって打ちこわしにあったのでティモニエはミシンの開発と製造を諦めたそうです。

当時のフランスはイギリス産業革命の影響でイタリアとともに停滞し、イギリスが絹織物業や綿織物業の世界競争で中心的な存在になっていました。その結果、フランスでは手縫いのアパレル産業が進展し、ついでにデザイン部門にも注目が集まっていました。

このような背景からフランスでは裁縫を仕事にする人たちの神経がピリピリしていたのかも知れません。とはいえ、ティモニエもまた、世界中で溢れかえった糸と織物を捌くために動いたのであり、手動の裁縫業者たちもイギリス産業革命を起因とする点でティモニエと同じ穴の狢(おなじあなのむじな)です。

1860年代になるとデザイン部門だけで産業化しようという動きがみられ、シャルル・フレデリック・ウォルトのように組合を作る人たちも出てきました。この組合は1911年に再編されて「パリ・オートクチュール組合」や「サンディカ」などと呼ばれています。

オート・クチュール : 自作自演の自称アート集団
オート・クチュールはフランス語で、日本語では「高級仕立店」や「高級衣料品」の意。狭義には「La Chambre Syndicale de la Couture Parisienne」に加盟し、組合規定の規模や条件を備えて運営されていた企業・店舗をさします。…

ミシンの産業化

ミシンが大量生産されるようになったのは1850年代のアメリカ合衆国です。1840年代からエリハス・ホウやアイザック・メリット・シンガーらが発明や開発を繰り返し、1850年代にミシン製造企業が続々と増えていきました。

ミシンの性質と種類」でみたとおり、今のミシンはアパレル用とノンアパレル用に大別されます。1850年代のミシンは用途別でいえばアパレル用、かつ縁を丸く縫う環縫でした。その後、環縫ミシンから本縫ミシン(直線縫ミシン)へとミシンは単純化の方向に進みます。米国ミシン製造業の勃興する以前、18世紀末からミシン開発は環縫ミシンから進んでいた点は「環縫ミシンから進んだミシン開発」に記しています。ご参照ください。

関連リンク

バルテルミー・ティモニエ博物館の地図

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