子供にミシンが必要な理由

祖母から母へ、母から私へ:ジャノメ エクセル18DX

ジャノメミシンの思い出
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このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

インタビュー対象は次のとおりです。

  • ジャノメ
  • エクセル 18 DX

嫁入り道具エクセル18DX

母は、たくさんの服を私達に作ってくれました。兄、私、弟。いくつの服を私たちに、作ってくれたでしょうか。ワンピースやTシャツ、スーツからブラウスまで、それは数えきれません。ボロボロの足踏みミシンを使っている母に私は、いつしか恩返しがしたくなりました。

1987年、私は、母に向けてジャノメのミシンを買いました。「もう、そんなんいいのに。これ高かったんやろ。」照れ隠しの言葉とともに、初めての電動ミシンに母は、とても喜んでくれました。母への初めての親孝行。母は、ミシンを使って毎日のように何かを縫っていました。そんな母を見るのが好きだったのを今でも覚えています。

そして、私が花嫁に行く時、母から花嫁道具にと渡されたものは、私がプレゼントしたミシンでした。

初めての高価な買い物

月々3000円ずつ、5年間積み立てて、ミシンを買いました。今思えば、あの頃のミシンは本当に高かったです。毎月、業者の人がお金を取りに来ます。学生時代は、3000円という額はとても大きいものに感じましたが、大人になってみれば、すぐに払えてしまうことに、自分自身の価値観の移り変わりを身に染みて感じました。

そして、業者の好意もあり、割引き価格で購入しました。それでも現在のミシンに比べると、何倍もする値段です。時代の変化というものは、本当にすごいと感じます。この何年後かには、電動ミシンが主流になるのですから。

ミシンの特訓をした20代

ミシンを本格的に使い始めたのは、結婚してからでした。それまで、授業でやったきりで、家でミシンを使ったことが数えるほどしかありませんでした。私は、母に毎日ミシンを教わりました。洋裁学校に通っていた母は、その全てを1から私に叩き込んでくれました。時には怒られることもありましたが、母は優しく教えてくれました。

しかし、いざやってみると、糸調子が合わず全く上手くいきません。現在のミシンは、自動で糸調子を合わせてくれるものが多いですが、このミシンは自分で調節しなくてはいけません。また、分厚いものを縫うと針がすぐに折れてしまいます。折れた針で何度も指から血を出しました。

母は、こんなにも難しいことをこなしていたのか。私は、改めて母の偉大さを知りました。

誰かのために作るということは

自分1人で、初めて作ったものが、クッションカバーです。ガタガタな縫い目で、予定していた大きさよりも大きくなってしまいました。そのブカブカのクッションカバーを見て、母は「まだまだやな。」と笑いながら言いました。ただ布を縫うことが、こんなにも難しいなんて。できた嬉しさよりも、上手くできなかった悔しさの方が大きかったです。

私は、そこからいろいろなものを作りました。カーテン、ワンピース、子供が生まれてからは、幼稚園用品にアップリケをつけたり、服、鞄など、たくさんのものを作りました。それと同時に、たくさん失敗もしました。何度も何度も糸を解いてやり直しました。
しかし、子供の喜んでいる姿を見ると、嫌なことも怪我をした痛みも吹き飛んでしまいます。それどころか、次は何を作ろうかとすぐに考えてしまうのです。かわいい、すごい、お母さんありがとう、子供の素直な言葉を聞くと胸がいっぱいになりました。母も、このような気持ちだったのでしょうか。この瞬間、私は少し母に近づけた気がしました。

ミシンでの1番の思い出

私がミシンを使っていて、1番印象に残っていることは、息子の幼稚園の手提げ鞄です。

息子の幼稚園では、手提げ鞄に好きにアップリケや装飾をつけて、オリジナルの鞄を作ることになっています。男の子だから、星をたくさんつければいいか。そんなことを考えていた私の腕を引っ張って息子が「トーマスのやつがいい。」と言いました。妹が生まれてから、あまりわがままを言わなかった息子が、わざわざ私に言ってきたのです。それまでアップリケなんてしたことがなかった私は困惑しましたが、息子の頼みを断るわけにはいきませんでした。

そして、トーマスをたくさん調べて、型紙からアップリケを作りました。お世辞にも上手とは言えない仕上がりでしたが、幼稚園の初めての登園日に息子に鞄を手渡しました。すると、息子はニコッとこっちをみて、「ありがとう!」と言ってくれました。私はその一言が本当に嬉しくて、その笑顔を今でも鮮明に覚えています。

幼稚園に着くと、もっと上手なアップリケをつけてもらっている子供たちがいっぱいいました。でも、息子は、嬉しそうに鞄を手に持ち、幼稚園に入っていきました。

ミシンから離れ始める

そして、私の腕はどんどん上がり、失敗することも少なくなりました。しかし、子供が成長するにつれ、服やものを作るというよりも買うようになりました。時代の変化もあるのでしょう、昔のように親が作った服を着る子供も見なくなったし、キラキラでかわいいものが店に並ぶようになりました。

クラスの子が持っていたあの鞄が欲しい。お洒落なかわいい服を着たい。子供の何気ない言葉から、服を作ることもミシンを使うこともいつのまにかなくなってしまったのです。

現在のミシン

ジャノメ EXCEL 18 DX

私は、今もそのミシンを使っています。使うことは少なくなり、相変わらず糸調子を合わせることは難しいですが、愛用しています。驚くことに30年以上、壊れることは一度もありませんでした。

現在、便利な機能がついているミシンがたくさん販売されています。しかし、私はどのミシンを見ても、このジャノメのミシンが1番に思えるのです。それは、この30年間の思い出が詰まっているからなのかもしれません。

私は、これからもこのミシンで家族のためにものを作り続けていきたいと考えています。そして、娘が嫁入りする時には、私が培ってきた技術を目一杯に教えてやりたいです。母から私へ、私から子へ。ミシンという機械で、人を喜ばせるということがどれほど素晴らしいことなのかを知ってもらいたいと考えます。

インタビューをしてみて

私は、母からミシンの話を聞いた時、一番はじめに思ったことは、「ミシンを使ってみたい」ということです。私は、授業だけでしかミシンを使ったことがないほど、裁縫ということに遠い生活を送ってきました。

しかし母の話を聞いて、誰かのために物を作り、そして喜ばせるということがどれほど素晴らしいものか改めて心に感じました。過去に私も母にたくさんの物を作ってもらいました。幼稚園用品や服まで、当たり前のようにミシンで作ってくれていた裏側には、このような苦労があったとは知りませんでした。

私が覚えていないようなことでも、母にとっての原動力となっていたと思うと、照れくさい感情が込み上げてきます。

そして、誰もが初めは失敗から学ぶということを知りました。今では、簡単にミシンで何でも縫える母にも、失敗があったと思うと少し驚きました。私は、新しいことをする時に失敗を恐れて挑戦しないことは、本当にもったいないと感じました。

今回のインタビューは、自分の人生にも生かせると考えました。ミシンが家庭で扱われることが普通になって、どんどん便利になって母親の負担というものが軽減されていく現在がとても良いと感じた反面、時代の移り変わりについて少し寂しく感じました。

母がミシンをあまり使わなくなったように、今は何でもお店で買えてしまいます。アップリケも貼り付けるものがあり、服だってわざわざ作らなくても安く手に入ります。ミシンを持っていないという家庭もあるのではないでしょうか。

私は、今回のインタビューを通して、ミシンの素晴らしさを知りました。可能性を知りました。

このような機械が、一切家庭で使われなくなる日がくるのではないかと思うと、大きな文化を失うようでとても悲しく感じます。世代を超えた、技術の継承を、私達が途切れさせてはいけないと考えました。まず、私にできることは何なのか。その課題解決のために、行動したいです。

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