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三宅一生

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三宅一生

三宅一生は、広島県に生まれたファッション・デザイナーです。みやけいっせい。1938年~。

平面的な布を立体的な身体に見事にフィットさせる着やすさ抜群のデザイナー。

多摩美術大学卒業。

在学中からコレクションを発表。第1回の発表は1963年の「布と石の詩」。

1964年に卒業し、翌1965年に2回目のコレクションを発表。その後、フランスへ渡り、パリ・クチュール組合の学校で1年間学びました。

パリで活動を続けるなか、1966年にギ・ラロッシュのアシスタントに。

三宅自身はバレンシアガのもとで仕事をすることを望んでいましたが、1968年に引退したため、同年、バレンシアガのアトリエチームの一部を継承したジバンシーのもとで、アシスタント・デザイナーに就任。

翌1969年に退社した後、ニューヨークへ渡り、ジェルフィー・ビーン社のデザイナーとなりました。

しかし、体調を崩して間もなく帰国。

帰国後の1970年、株式会社「三宅デザイン事務所」設立。

翌1971年、「Miyake International Inc.」設立。同年、ニューヨークでコレクションを発表し、さらに同1971年2月、同市内のデパート「ブルーミングデール」に「イッセイ・ミヤケ」のコーナーを開設。

1973年にパリへ進出し、4月に第1回イッセイ・ミヤケ秋冬コレクションを発表。

「1枚の布」をコンセプトに新しい衣服の概念を提案。洋の東西を問わない独創的な服のデザインが高い評価を得て、国際的なデザイナーとして認知されるようになりました。

1976年には、渋谷パルコの西武劇場で「三宅一生と12人の黒い女達」と題するコスチュームショーを発表し、大評判。当時、日本で最も観客動員力の高いデザイナーだった。次いで、1979年フランスで、3年後の1982年にはアメリカでデザイン会社を設立。

1970年代に提案した「1枚の布」概念は、ファッション界だけでなく、デザイン、アートの世界へも大きな影響を与えたといわれる。

そこには、新しい技法の研究開発や伝統的技術の現代的な応用というテクニカルな面を中心に、自作の布地を多用したり、産地織物業をもターゲットにした衣服産業とを共同作業を行なったりと、斬新なのは何もデザインだけではない。

1971年、自分の事務所のテキスタイルデザイナーに、皆川魔鬼子(京都府生まれ、京都市立美術大学卒業)を迎えた。皆川は企画開発を担当しつつ、三宅の用いる革新的な布のために、天然繊維と新しい合成繊維を三宅とともに開発・製造。

三宅は、自作・共同作のテキスタイルという方針でも布地にこだわりをもっていたといわれます。

なお、三宅一生と産地織物との関係も古く、1978年に新潟県五泉市で「三宅一生・ニットファッションショー」が開催されています。

1990年代のパリコレでは、有松絞りと呼ばれる染色を施した産地織物も利用されています。

他に代表的なのは、全国有数の絹布として伝統産品になってきた「甲斐絹」(かいき)。この絹織物もまた、伝統工芸の斜陽化の例に漏れず、瀕死の状態。危機を打開しようと山梨県織物整理株式会社(本社富士吉田市、1943年設立)を中心とした織物業者たちは、1980年代にニードルパンチ加工技術によって付加価値の高い織物を製造する手段を選びます。

ここに三宅一生たち、新鋭デザイナーたちが飛びつきました。三宅と甲斐絹との付き合いは長く、1990年代末から始まった「三宅一生展」でも、1998年のパリ、1999年のニューヨーク、2000年の東京現代美術館いずれにおいても、展示品の一部に山梨県の織物が使用されています。

1983~1985年、「BODYWORKS」展、88年「ISSEY MIYAKE A UN」展、90年「pleats Please」展、「Ten Sen Men」展、1992年「TWIST」展などの展覧会を開催。

海外での活動をみると、1988年にパリ装飾美術館(Musee des Arts decoratifs in Paris)で展覧会が催され、同年、フランクフルト・バレエ団のために衣裳をデザインしました。

バレエ団とのコラボレーション以来、彼の作品には、多種のプリーツ布地が利用されるようになります。この動向は、1989年に発表した「プリーツ・プリーズ」というコンセプトに引き継がれ、世界的に支持されました。

彼の仕事上のモットーは「これらの布地は包装じゃないんだ。好きに理解して、好きに身につけられるんだ」。

画期的な展覧会は以後も続きました。

1996~1998年、ゲスト・アーティストとのコラボレート「エターナル・コレクション」を開催。このコレクションでは、ゲスト・アーティストたちが森村泰昌の絵や荒木経維の写真などを身に纏って登場して話題となりました。

1996年にフィレンツェ・ビエンナーレ、1998年にカルティエ現代美術館での「ISSEY MIYAKE MAKING THINGS」(パリ)。

1993年に、コンセプトとして機能していた「プリーツ・プリーズ」がブランドとして独立。

メンズラインの「ISSEY MIYAKE MEN」では、1994年春夏から滝沢直己がデザイナーに就任し、レディースライン「ISSEY MIYAKE」でも2000年春夏から滝沢がデザインを担当。イッセイ・ミヤケグループ傘下にはZUCCa・TSUMORI CHISATOなどを展開しているエイネットがある。

着やすさが「だらしなさ」にならない三宅一生のデザインは、プリーツ・プリーズというコンセプトで最大限に活かされる。彼は、縮みやクレープ地のように既に皺がある布地を裁断せずに、裁断し縫製した服に、逆にプリーツをかける。1950年代から知られていたこの技術を三宅一生は造形的なデザインへ初めて応用したのだ。

滝沢直己とイッセイ・ミヤケとの関係は、1989年に「ISSEY MIYAKE」(レディース)のパリコレクションのデザイン・チームに参加したことが始まり。2年後の1991年には三宅一生のデザイン・アソシエートとして「ISSEY MIYAKE」パリコレクションに参加。1994年春夏コレクションからは、「IsseyMiyake Men by Naoki Takizawa」としてパリでコレクションを発表するようになりました。95年に再びフランクフルト・バレエ団とのコラボが実現したとき、滝沢も参加しています。

1999年には、コンピューター技術を導入。着用者の好みでデザインを自由に変更できる「エイポック」(A-POC;A Piece of Cloth)を発表した。ファッションやブランド好きな人たちに対し、このコレクションは、モードの歴史を無視してはならないという答弁だったといわれます。

ヴィオネ、フォルチュニ、シャネルという3大デザイナーが20世紀前半に挑んだファッションの問題群(衣服と身体の関係、そしてファッションをつうじての女性の地位向上、自分のためのお洒落など)と、彼女たち自身の努力があったから、三宅一生の活動も大きな意義をもってくるのだ。現在、三宅一生は、藤原大とともに「A-POC」に全力投球しています。

2000年には、皆川魔鬼子が株式会社イッセイ・ミヤケの中にブランド「HAAT」を創設し、トータルディレクターとして、新製品のプロモートを始動。現在、「イッセイミヤケ」には香水部門もあり、「ロードゥ・イッセイ」「ロードゥ・イッセイ・オム」「ル・フードゥ・イッセイ」などが展開されています。

三宅一生の時期的な作風の展開を簡単にたどってみよう。

1986年春夏は、構成主義的要素(他にジャンポール・ゴルチエ、コム・デ・ギャルソン、クロード・モンタナら)、1989年は刺繍とショートパンツ。三宅は、真っ白で水着のようでも下着のようでもあるランニングシャツとショートパンツを発表し、ボディコンシャスという流行の先鞭を打った。

1993年には、仏語でいうデバルドゥール(英語のタンクトップ)、という具合だ。三宅に影響を与えたキーワードは、初期のコレクションではマドレーヌ・ヴィオネ、その後は伝統的な日本の着物。

動く彫刻、オブジェなどといわれ、76年毎日ファッション大賞(1977年)、朝日賞をはじめ、フランス芸術文化勲章(8199年)、フランスのレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ位、英国王立芸術院より名誉博士号(ともに1993年)、ニーマン・マーカス賞(1994年)、紫綬褒章(1997年)など、受賞・受章も多数。また、サンジカのプレタポルテ部門のゲストメンバーの一人でもある。

毎日デザイン賞の選考理由には、1970年代の三宅一生の仕事、つまり衣服デザインが、ファッションとしてだけでなく、デザインその他の領域にもインパクトを与えた点が挙げられた。三宅自身には、多摩美術大学在学中に日本で開かれた世界デザイン会議に、コスチューム・デザインが問題視されなかったことのショックが原動力となったようだ。

著書に『EAST METTS WEST 三宅一生の発想と展開』『BODYWORKS』など。

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この記事の著者
岩本 真一

ミシンの進化やミシン会社の動向を調べています。家庭科の授業以外にミシンを使ったことがありません。それでもミシンに魅了されています。姉妹サイトに「モードの世紀」、著書に「ミシンと衣服の経済史」。

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