時代が変わればシュールも変わる

芦田淳

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芦田淳

芦田淳は京都府に生まれたファッション・デザイナーです。あしだじゅん。1930年~。

東京高校卒業後、デザイナーを目指し、画家・ファッション・デザイナーとして活躍中だった中原淳一に師事。2年間、住込みの秘書を務めました。

その後、「ひつじや」「ジョンストン」などのチーフ・デザイナーを経て、1960年に高島屋(東京日本橋)顧問デザイナー、帝人顧問デザイナーに就任。

1963年、渋谷区美竹町に、有限会社「テル工房」をオープンし、プレタポルテの製作販売を開始。同年に高島屋東京店と取引を開始。以降、全国百貨店と順次取引を拡大。

1964年、日生劇場で第1回オート・クチュール・ショーを開催(以来、年2回発表)。1966年、美智子妃殿下の専任デザイナーとなり、1976年まで務めました(以後、各宮家妃殿下の用命を多数受ける)。

1976年、銀座みゆき通りに、自社ビル店鋪「ブティック・アシダ銀座」をオープン。

1977年にパリ事務所を開設し、パリでプレタポルテ・コレクションを開催。2回目に参加したときはジャック・ドラエとコラボ。

1978年「テル工房」を株式会社「ジュン・アシダ」に変更。「エレガント&プラクティカル」(品性と実用性)をデザイン・コンセプトとして、エレガンス・ファッションを展開。同年、大阪にも営業所を開設。

1979年に赤坂見附「ベルビー赤坂」に、直営店「ブティック・アシダ赤坂」をオープン。

1982年、ハワイでチャリティショー「芦田淳コレクション」を開催。1984年、大阪御堂筋に「ブティック・アシダ御堂筋」オープン。

1986年の商品センター完成を挟んで、1989年にはパリのフォーブル・サントノーレ街にブティック「アシダ・パリ」をオープン。

1991年に次女の芦田多恵が「ミス・アシダ」でデビュー。

以後、彼女は女性誌で連載をもつなど、ファッション・リーダーとして活躍。格調を保ちながらも若々しいデザインのブランドとして定評を得ています。

1993年に代官山フォーラムに「ブティック・アシダ本店」オープン。94年には、30周年を期に、社団法人科学技術国際交流センターに芦田基金を設立。

2001年、生産管理・縫製部門を分社し、株式会社「ジュン・アシダ生産本部」設立。広島アジア大会(1994年)とアトランタ五輪では、日本選手団の公式ユニフォームデザインを担当。また、企業ユニフォームも多数デザインしている(帝国ホテル・全日空・東京海上火災など)。

毎年、東京のアメリカン・クラブで催されるジュン・アシダのコレクションは、各国の一流婦人たちが席を占め、国際色豊か。1995年には、国連創立50周年記念のチャリティとして、春夏コレクションも開催した。

1971年にFEC(ファッション・エディターズ・クラブ)賞、1989年にイタリア「功労勲章カバリエーレ章」、1991年に「紫綬褒章」、2000年にフランス「国家功労章オフィシエ受章」、2003年にイタリア「功労勲章カヴァリエーレ・ウフィチャーレ章」などを受賞。

芦田多恵

1964年生まれ。

1987年にアメリカのロードアイランド造形大学アパレル・デザイン科卒業。

翌1988年にデザイナーとして、ジュン・アシダに入社。

1991年に第1回ミス・アシダ・コレクション開催(以来、年2回、東京コレクションに参加)。これまでの主な連載記事は、ヴァンテーヌ、ヴァンサンカン、クラッシィ。企業ユニフォームは、南都銀行など。

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この記事の著者
岩本 真一

ミシンの進化やミシン会社の動向を調べています。家庭科の授業以外にミシンを使ったことがありません。それでもミシンに魅了されています。姉妹サイトに「モードの世紀」、著書に「ミシンと衣服の経済史」。

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