近代日本の導入した洋裁

ミシンの歴史
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1900年頃、近代日本は洋裁のいろんな側面から、どの技術や物・部分を導入したか?

この記事では、大丸弘『西欧型服装の形成』をもとに、近代日本が導入した洋裁の技術や物が何であったのかをまとめています。

そして一番衝撃だった物や技術は何かをご紹介します。

出典 大丸弘『西欧型服装の形成―和服論の観点から―』国立民族学博物館研究報告別冊、第4巻、1987年2月。

大丸弘は、1900年頃から30年頃までの裁縫書を中間期裁縫書と名づけ、網羅的に調査して分析しています。

1900年というのは、和服の形が洋服に近づきはじめ、日本人が洋服に慣れ始めた大転換の時期です。

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洋裁にみる外国技術や外国文化の名づけ方

近代日本が外国技術や外国文化を導入した時、それまで日本に存在しなかったものが多かったのは当然です。

肝心なのは、新技術や新文化の名前が二つの方法で決定されたことです。つまり、

  1. 外国語を直訳した新造語を用いる
  2. そのままカタカナにしたものを用いる

以上の二つに大別されます。

洋裁技術やファッション用語の場合は、後者(つまり2番)がほとんどでした。

たとえば、Ironには、鏝(こて)や火熨斗(ひのし)という言葉が使われることもありましたが、20世紀転換期頃(1900年頃)にはアイロンまたはアイヨンに定着していきました。

江戸時代に中国から伝来した火熨斗(または鏝)では、アイロンの上に付いた取っ手が説明できないからです。

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近代日本の導入した洋裁

このように、昔の裁縫書やファッション関連本を見る時、カタカナを探すと新技術が見つけやすいのです。

そこで大丸弘が洋裁技術の中で注目したのは、頻度の多い順に、(1)ミシン、(2)ギャザー、くせづけ、(3)芯・裏打布、(4)レース、リボン、(5)ホック、ボタン、(6)ポケット、以上の6点でした。

ちなみに、この6点を決定づけるために、大丸弘は数十冊にわたる中期裁縫書を読み漁り、カタカナ、あるいは新造語の登場する頻度を集計しました。

ですから非常に説得的で、作業的には、やや鬼気迫るものがあったと感じます。

近代日本の導入した洋裁の代名詞となったミシン。「ミシンを使って、彼らは傘、帽子、ベルト、その他のものを縫いました。ハウ・ミシン」 “Using the machines, they were able to sew umbrellas, hats, belts, and many more”. Howe Sewing Machines via Antique Sewing Machines – Best Sewing Machines Reviews 2016

以上の6点を細かく分けますと

  • ミシンは機械(物)
  • ギャザー、くせづけは技術か工夫
  • 芯・裏打布は物
  • レース、リボンも物
  • ホック、ボタンも物
  • ポケットも物

となります。これらの内、機械であるミシンは、やはり当時においては衝撃だったようです。

19ページに掲げられた表「中間期裁縫書における片仮名語」をみると、確かにミシンが際立って頻出していることが分かります。

正しい認識かどうかはともかく、ミシンは洋裁の代名詞となりました。

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