子供にミシンが必要な理由

理想の母親は“こい婆”から:シンガー ルミナ3000

シンガーミシンの思い出
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このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

ミシン今昔

今使用中のミシン

今使っているミシンは結婚を機に購入したものです。結婚したのは1996年なので、今から24年前ですね。ずっとシンガーのミシンが欲しいと思っていたので、買えたときはとてもうれしかったです。支払い方法と、いくらぐらいだったかは全然覚えていません。

実家のミシン変遷

もともと実家には古い足踏みミシンがあって、よくそれで裁縫をしていました。

足踏みミシンってあまり見たことがないでしょう。何年か前の朝ドラ「カーネーション」に出てきてましたね。今ちょうどいろんな人がマスクを作ったりするのに使っているミシンって、小さくてコンパクトだし一万円くらいで買えるみたいですが。

足踏みミシンは大きくて、足元にキコキコする踏みペダルがついています。一針一針ゆっくり縫いたいときでも、電動ミシンなら右手ではずみ車を回しながら片手で布を押さえなければいけないけれど、両手で布を押さえながら作業できるし、ひっくり返したら机になるので、それはそれで使いやすかった気がします。

そのミシンが古くなって処分してしまったあと、市販の洋服みたいに縫えるミシンがどうしても欲しくて、母に業務用のやつを買ってもらいました。

その後、結婚して引っ越すことになったとき今のミシンを買うことになり、それからずっと使っています。

シンガー ルミナ3000

ミシンで作ったあれこれ

本当にいろんなものを作りました(笑)。

子供ができてから、ベビー服、スタイ(よだれかけ)、肌着を作りました。幼稚園グッズも作りましたね。コップ入れ、ランチョンマット、お弁当箱入れ、上靴入れとか、幼稚園って本当にいろんなものがいるので、ほとんどミシンで手作りしていました。上の子が女の子、三歳下の子が男の子で、同じものを使うのは嫌がったので、二人の小物を作るのに重宝しました。

子供が小学校に入ってからは、学校にもっていくための雑巾やお稽古バッグ、ポーチ、ブックカバーなどを作りました。

子供服のリメイクもしましたね。子供はすぐに大きくなって服が着られなくなってしまうんですけど、でもかわいい子供服を捨ててしまうのはもったいなくて。汚れている個所をよけて鞄にしたり、長いズボンを短パンにしてみたり。夫の着なくなったワイシャツとかも使って色々と工夫をしていました。あとは、自分の服も作っていました。ブラウスとか、スカートとか、ワンピースとか。

カーテンを縫ったりもしました。前に住んでいた家のカーテンは私が一から作ったものでした。大きな布を買ってきて、まっすぐに縫えばいいだけなのですぐにできました。

楽しいですよ、作るの。特に何かに苦労したとかはなくて、黙々と作業することは嫌いじゃないので、昼間の家で一人の時とか、時間を見つけて縫っていました。

あとは何を作ったかなあ。今うちにあるものでいうと、扇風機カバー、電子ピアノカバー、クリスマスツリーカバーくらいでしょうか。

最近はあまりミシン使ってなにかつくったりはしていないですね、ひと休み中です(笑)。

中学校の授業で

ミシンの技術はこい婆から

ミシンの使い方は中学校の家庭科の授業で教わりました。みんなからこい婆って呼ばれていた、小池先生っていうおばあちゃんの先生がいたんですけど、その先生がものすっごく厳しくて(笑)。

例えば、縫うときにばってんになるところ、服の裾の折り返しと、生地の境目のところとか。そこをきっちりまっすぐばってんに縫わないと、めちゃくちゃ怒られるんですよ。それで何回もやり直しさせられる。めっちゃうるさかった(笑)みんな半泣きになりながらやっていました。そのときは家庭科の授業を受けるのは女子だけだったので、女子だけっていうところ、ここ重要ポイントね(笑)。

思い出のスカートづくり

授業でスカートを作ることがあったんですけど、そのころはすごく生徒が多いから、ひとつの小さな作業台に四人ぐらいが向かい合って作業をするんです。それで、布を切ったりするでしょう、そうするともう台の上でみんなの布がぐちゃぐちゃになってしまって、切られてしまったんです、私の布の端っこが。

でももうそれは仕方ないじゃないですか。だけど、また新しい布を買いに行ってくれって先生から言われて、こい婆に(笑)。それでこい婆が私の家までわざわざ謝りに来たんですよ、管理が行き届かなくてすみませんでしたって。

見方によってはいじめで切られたのかもっていうのもあったので、でも切った子はとってもおとなしい子で、めっちゃかわいそうでした。もういいのに謝らされて。

それで私は二週間遅れぐらいで、一人でスカートづくりをやらされて、めっちゃ厳しいチェックを受けていました(笑)教えたでしょここ!えぇ~って(笑)どうでもいいスカートなのに(笑)

中学生だから、みんなとにかく安い生地を使うんです、いいやつじゃないからぺらっぺらの、なんだその柄みたいなので作るんですよ。そんなスカート絶対に履かないんですけど、でも全力で作らされるんです(笑)。本当に、今思えば何だったんだって感じです。腰回りとかウエストとかちゃんと計測してぴっちりのをつくっていました。

そうですね、主にこい婆から教えてもらいました。よく教えてもらったなと思います。あれでもし適当に教えられていたら、今こんなにちゃんといろいろ作れるようになっていなかったかもしれません。年齢的にもう亡くなっていると思いますが、あのときで60歳前だったんじゃないかなと思います。

お姉ちゃんも同じ中学校だったので、こい婆に教えてもらっていました。お姉ちゃんは不器用だったから、大変だったと思います。

最後に

インタビューアーは小さいころから母がミシンを使っている様子をよく見てきました。母はお裁縫が本当に得意で、簡単にいろんなものを作り上げてしまうのが本当にかっこいいなあと思っていました。

赤ちゃんの服まで手作りだったことは今回のインタビューをするまで知りませんでしたが、幼稚園に持って行っていたきんちゃく袋は私の好きなキャラクターの柄でお気に入りだったし、ママの手作りだと自慢した記憶もあります。

小学生になるとお稽古バッグも作ってくれていました。その時くらいから、ほかの友達と同じものを持ちたくないという気持ちが出てきて、絶対にほかの子とはかぶらないことがうれしかったです。

中でも記憶に残っているのが、着られなくなったズボンと父のワイシャツで作った斜め掛けバッグです。外側には、ベージュのズボンのお尻のポケットがそのまま生かされていて、裏地と鞄の淵の部分は水色のワイシャツ、それに、ワイシャツの白い襟の部分で作ったコサージュがついていて、とってもお気に入りでした。どこに行くときもそのかばんを持って出かけていたように思います。

ほかにも、弟は毎年自分で絵とその年の数字を描いて、母がその絵の形にフェルトを切って生地に縫い合わせて、オリジナル手提げバッグをつくってもらっていました。

挙げだしたらきりがないほどたくさんのものを、このミシンを使って作ってもらったと思うと、インタビューを終えてからとても愛着がわいてきました。

インタビューアーがミシンと聞くと一番に思い浮かぶのは母の顔です。中学校の夏休みの宿題で洋服を作ったとき、不器用さにイライラしながらも、使い方を丁寧に教えてくれました。ミシンを使ってなんでも手作りできるなんて、理想の母親像。

インタビューアーも自分の子供のためにベビー服や手提げかばんを作ったり、娘にミシンの使い方を教えられるような母親になりたいなあとあらためて思いました。そう思わせてくれた母とミシンに感謝。その母にミシンの使い方を教えたのはこい婆。こい婆にも感謝です。

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