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子供にミシンが必要な理由

受け継がれるミシン:ブラザー TA2-B622 Special 3 & ベビーロック 衣縫人 BL35

ブラザーミシンの思い出
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受け継がれるミシン:ブラザー社「TA2-B622 Special 3」&ベビーロック 社「衣縫人 BL35」

このページでは「受け継がれるミシン」と題した、ブラザー社「TA2-B622 Special 3」とベビーロック 社「衣縫人 BL35」の思い出を学生アンケートから紹介しています。

アンケートの紹介にあたり、学生レポートの日本語や文脈などの修正を私が行なっています。また、紹介に際して学生の許可を事前にいただいています。

ミシン所有者とあなたの関係

そのミシンを所有している方はあなたから見てどなたに当たりますか?

ミシンの所有者は、母方の祖母です。

その方の生年やミシン利用期間の西暦や居住地

祖母は大正13年生まれで、このミシンは京都市伏見区で使用していました。使用期間は1970年頃から2000年頃まで約30年間で、その後は母が10年ほど使用しています。

ミシン本体について

ミシンのメーカー:ブラザー

  • ミシンの機種:TA2-B622 Special 3
  • ミシンの購入年:1970年~1972年

受け継がれるミシン:ブラザー社「TA2-B622 Special 3」

ミシンのメーカー:baby lock

  • ミシンの機種:衣縫人 BL35
  • ミシンの購入年:不明

受け継がれるミシン:ベビーロック 社「衣縫人 BL35」

ミシンの性能

職業用ミシンなので一般的な家庭用ミシンと比較すると針のブレがないことや毛皮なども縫える点を重視して選んだそうです。

ミシン技術の習得先

祖母は1924年に生まれ、幼少期から細かな作業が好きで特に針仕事が好きだったそうです。初めに針仕事の技術を学んだのは家庭であると思われます。時間があれば裁縫をしているような子供時代であったそうです。その後、杉野ドレスメーカー女学院(現・ドレスメーカー学院)で洋裁を学びました。
学生時代は戦争の影響を受け、数年間は疎開の引率教諭として鳥取県に行っていたため学業を中断せざる負えない時期もあったようです。その間には、洋裁を教えるなどもしたそうです。学生時代には家庭画報や暮らしの手帳のような雑誌の企画に応募し賞を受賞したりもしていたようです。

ミシンの使い道

受け継がれるミシン:ブラザー社「TA2-B622 Special 3」&ベビーロック 社「衣縫人 BL35」


祖母は杉野ドレスメーカー女学院を卒業後、まだまだ戦後の混乱期であった世の中で、女性の自立を目指して大丸ドレスメーカー女学院(現:ディーズファッション専門学校)を設立しました。祖母は設立時のメンバーであり、二代目校長を務めました。25歳頃から70歳を過ぎるまで祖母は教鞭をとっていました。
これらのミシンは結婚後、現在の家に建て直した際に購入したものだそうです。これらを使ってウェディングドレスや自身の服、娘の母の洋服など数多くのものが作られ私が生まれてからは孫の洋服も数多く作られました。

ウェディングドレス

こちらは祖母の仕事としてこのミシンが使用されました。このミシンから何着のドレスが作り出されたかは数え切れませんが、母が結婚式で着用したものは祖母の作った最後から二番目の作品でした。また、最後の作品は大丸ドレス専門学校創立40周年のテレフォンカードになっているドレスでした。これらは作品として制作しているので実際に販売されていたのかは定かではありません。

洋服(スーツ、スカート、ジャケットなど)

祖母は自身の服はもちろん子供たち(わたしからみて母や叔父)の洋服をすべて手作りしていました。そのため母は幼少期から高校のころまで、既製品の服を着たことがなかったそうです。幸いにも、私と母の体形がほとんど同じため母が私と変わらない歳ごろのころに作ってもらったというスカートなどは私が着ています

学用品(ピアニカケース、お弁当袋など)

これらは母が私たち姉弟に作ってくれたものです。幼稚園や小学校で使うピアニカケースやお弁当袋、手提げかばんなど学用品を数多く作ってくれました。リバーシブルで使える工夫が施されており、いまでもお弁当袋は使用しています。
一つ目に挙げたウェディングドレスは祖母が仕事としてミシンを使用しているので、作られたものに直接値段がついているかは定かではありませんが有償労働であったといえると思います。そのほかは、家族のために使用されたものなので無償労働でした。

ミシンの現在

このミシンを使って祖母や母が様々なものを作ってきました。2000年頃に祖母は病を患い一日の多くをベットの上で生活していたため祖母がミシンを使用する機会は少なくなりました。それと時を同じくして、私たち姉弟が幼稚園や小学校で使用する学用品やカーテンなどを作るのに主に母が使用するようになりました。しかし、この数年は私たちの成長に伴いミシンが使われることは少なくなり今では荷物置きとなりつつあります。

ミシンへの思い入れ

このミシンを購入した祖母は亡くなっているので、母に話をききました。祖母が服を作っていたため、母は幼少期から既製品の洋服を着たことがなく当時はほかの子たちと同じような既製品の洋服を着たいと常々思っていたそうです。しかし、高校のころから自分で服を買うようになり、既製品の服を着てみると自分の体に合わず着心地が悪く感じ、母は自分で服を作るようなったそうです。
祖母は、洋裁が仕事であり趣味であったので母は幼いころから常に家中にミシンの音が響きミシンがとても身近なものであったと話していました。常にミシンが使える状態で置いてあったため小学生の頃から祖母に教えてもらいながらはじめは小物類を、そしてスカートやズボン、ジャケットなどの洋服を作るようになったそうです。
このミシン・アンケートを書くにあたり、今は物置と化しているミシン周りを掃除し、母は久しぶりに使おうかなと話していました。私自身なんでも手に入る今の世の中で手作りのものの温かみを感じるきっかけになりました。

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