子供にミシンが必要な理由

裁縫が根づいた生活:アックスヤマザキ&ブラザーELU5813

ブラザーミシンの思い出
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このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

裁縫が根づいた生活:アックスヤマザキ&ブラザーELU5813

  • インタビュー対象者:母
  • インタビュー対象者が振り返るミシンのメーカー:アックスヤマザキ、ブラザー
  • インタビュー対象となるミシンの番号:山﨑範夫の電子ミシン、ブラザーELU5813

はじめに

現在使用中のミシン

写真は現在使っているミシンです。2017年8月9日に近所のケーズデンキで購入したものです。ブラザーのELU5813を購入しました。

実家でのミシンの思い出

初めてのミシン

メーカーは覚えていないのですが、私が初めて触れたミシンはもともと母が持っていたものです。私はそのミシンできんちゃく袋など、袋物を作っていたような気がします。高校生のときは、キルティングの生地でリュックサックやサブバッグを作りました。もちろん品質などは既製品の足元にも及ばないのですが、自分で作ったものというのはやはり愛着がわくもので、とても大切にしていました。

裁縫技術の会得

私の母は若い頃、洋裁学校に通っていました。にもかかわらず、彼女は私に裁縫技術を教えてくれるということはありませんでした。私は小学校の家庭科の授業でミシンの使い方を学んだのみであり、その後に関しては自己流で知識・技術を身に着けました。当時は今と比べてインターネットもそこまで普及していなかったので、本で知識を得たり実践で学んだりしていました。

自分のものとなったミシン

私がそのミシンと出会ったのは、1990年代半ばのことでした。母が購読していた雑誌に「優れたミシン」として載っていた、アックスヤマザキの「山﨑範夫の電子ミシン」というミシンを購入しました。母はこのミシンをかなり重宝しており、いろいろなものを縫っていたように記憶しています。何かまでは記憶の及ばない範囲ではあるのですが。このミシンは母が購入したものでしたが、私が結婚して実家を出たときに母から譲り受けました。

山﨑範夫の電子ミシンとの生活

ミシンで作ったもの

結婚してしばらくはあまりミシンを使っていませんでした。しかし、娘が産まれてからまた使う機会が増えました。

我が家は共働きであったこともあり、娘とその五歳年下の息子はともに一歳の頃から保育園に通わせました。その際、保育園で使うお昼寝用の布団袋、コップ袋、着替えの服を入れる袋、通園かばんなどなど、二人の子供にいろいろ作ったことを今でも覚えています。娘には何着かワンピースを作ったこともあります。決して裁縫が得意だとは言えない私でしたので、完全に自己満足の世界でしたが、今思い返してもとっても楽しかったです。

子どもたちが小中学生になったときは、給食で使うナフキンやそれを入れる袋などを作っていました。

メーカーへの信頼

一度、ミシンの電源コードをなくし、途方に暮れたことがありました。しかし、メーカーのアックスヤマザキからコードのみを取り寄せることができ、山﨑範夫の電子ミシンをまた無事使えるようになりました。

そのときのメーカーの方の対応がとても親切で、好感が持てたことを今でもはっきり覚えています。このときの思い出も、私がヤマザキのミシンを愛用する一助となっていたのかもしれません。

現在のミシン「ブラザーELU5813」に至るまで

ヤマザキのミシンとの別れ

冒頭でも述べたように、現在は山﨑範夫の電子ミシンではなく、約3年前に買ったブラザーのミシンを使用しています。

ヤマザキのミシンは私が譲り受けてから20年ほど使っていたのですが、残念ながら壊れてしまいました。長年連れ添ってくれたミシンでしたが、時の流れというのは無情なもので、何物でも逆らうことはできません。寂しかったです。

現在のミシンとの出会い

最近ではミシンを使う頻度も減っていたこともあり、ヤマザキのミシンが壊れたことをきっかけにもう何か作ることはないかなぁと思っていました。しかし、やはりないと落ち着かず、2017年に新しいミシンを購入しました。それが写真のミシンです。

ブラザーELU5813

新しいミシンとの歩み

新しいブラザーのミシンでは、まっすぐ縫うだけのワンピースやチュニックなどを手ぬぐい生地で作っていました。私はもともと布製品が好きで、よく服を購入するお店などで布の端切れも一緒に購入することがあります。ひょっとしたら「ミシンで何かを作ること」より「せっかく買った布を何かに活かすこと」のほうが目的となっていたのかもしれません。

現在は、この時世ということもあり、マスクを作ることにはまっています。ひたすらマスクを作り続けています。コロナの感染拡大により使い捨てマスクが手に入りにくくなったため、3月半ばごろからいくつもマスクを作っています。京都に住む娘にもいくつか郵送しました。ここでも布へのこだわりを発揮し、それぞれ違う柄でリバーシブルのものを作っています。とても楽しいです。

ヤマザキのミシンが壊れたとき、もうミシンを使うことはあまりないだろうなと思っていましたが、今この状況下でミシンがあって良かったと痛切に感じています。やはりミシンがない生活は考えられませんね。後生大事に連れ添っていこうと思います。

最後に

記事内でも母が幼いインタビューアーにいろいろなものを作ったとありましたが、インタビューアーもその当時のことはよく覚えています。

特に、母が作ってくれたワンピースに関しては、あれから15年以上たった今でもその柄や形状まではっきりと思い出すことができます。白地にピンクの小花柄のものがお気に入りでした。ただ、インタビューアーは昔少年のような子どもであったこともあり、自分が身に着けるにはなんだか可愛すぎるように思え、着るのはもっぱら自宅でのみだったような記憶があります。

母はそのワンピースをインタビューアーにだけでなく、インタビューアーが当時とても気に入っていた人形の分まで作ってくれていたような気がします。今でも実家にその生地があるのを見かけるのですが、見るたびに当時の記憶が蘇ります。現在その生地の一部はインタビューアーの部屋の本棚に、本の日焼け防止のためにかけられています。

幼いインタビューアーの記憶の中で、母は本当にたくさんのものを作ってくれました。だから、母にとってミシンがないと落ち着かないというのはとても納得できました。インタビューアーにはそういう感情はないので。

インタビューアーはそれこそ学校の授業でしかミシンを使った記憶はなく、裁縫とは無縁の20年間を生きてきました。下宿先にはミシンがありませんが、とても平穏な毎日を送っています。やはり幼いころからの習慣は今後の人生に多大なる影響を与えますね。

ちなみに、母が送ってくれたマスクはちょっとした外出の際に重宝しています。わざわざ使い捨てマスクを使うのはもったいないなぁってときに。

蛇足ではありますが、祖母が洋裁学校に通っていたことは日々の会話でインタビューアーも存じていたことではありました。祖母が母に裁縫に関する技術をまったく教えなかったというのは祖母らしいなと思わず笑みがこぼれました。全然関係ないのですが、写真で見た若かりし頃の祖母は、身内の欲目もあるかもしれませんがとても美人でした。インタビューアーにもその遺伝子があるはずなのになぜ。

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