子供にミシンが必要な理由

母と私のソーイング:シンガー ヌイヌイ 4805C

シンガーミシンの思い出
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このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

母と私のソーイング:シンガー ヌイヌイ 4805C

対象者は母です。母は、布や糸を使って身の回りの物をつくるのがとても好きな人です。このレポートを書くにあたり迷わず、母にインタビューしました。

  • インタビュー対象者:母
  • ミシン:シンガー ヌイヌイ 4805C

ミシンとの出会い

私がミシンを購入したのは、1994年、河原町今出川を下がった処の大平ミシン店で、現金で買いました。ミシンを買うことになったきっかけは、息子の幼稚園入園でした。

その幼稚園は、通園バッグ、靴袋、体操袋などすべてが手作り指定だったからです。今の時代では考えられませんが、その頃はそういう幼稚園もいくつかありました。私は手作りが好きだったこともあって、それらをとても楽しんで創った思い出があります。そのころ息子は「きかん車トーマス」が大好きだったので、それぞれのキャラクターをフェルトのアップリケを刺繍で作り、ミシンで創ったバッグの縫い付け、完成させました。

三年間の通園で使うバッグは丈夫でなくてはならないので、ミシンは絶対必要でした。そして入園まであまり時間がなかったので、ミシンのスピードも必要でした。私が買ったシンガーミシンにも、いくつかステッチの種類がありますが、主に直線縫いジグザグ縫いの二つしか使わなかったと思います。

子どもたちとミシン

ミシンを使うときは、主に息子が昼寝をしている時でした。このミシンは縫うたびに結構大きな音がして、子どもが起きないかとひやひやしながら縫っていた記憶があります。その鞄たちは今でも捨てることができずとってあります。子どもが幼稚園に入園した後もミシンが楽しくて色々作りました。その幼稚園が制服がなく、毎日私服登園でした。

なかでも、よく作ったのは半ズボンです。同じパターンであっても、デニムやさっかーなど布や柄を変え、成長に沿って少しずつサイズを変えながらたくさん作りました。

息子が6歳になった時、娘が生まれました。娘にも簡素な直線縫いでできるワンピースやスカートを色々作りました。規制のTシャツにスカートを縫い付けたワンピースをよく作りました。女の子の洋服には、デザインや種類も多くて本当に「かわいい」が、たくさんありました。小さな布で完成される小さな洋服は着れる時間は短いけれど、たくさんのものが凝縮されていると思います。

息子の洋服は必要に迫られて作っていましたが、娘の洋服は純粋に楽しくてワクワクしながら作っていました。そして、ミシンを使うことによって、洋服としての機能を十分みたしていると思いました。

母とミシン

私にミシンを教えてくれたのは母でした。母は戦後物資のない時代に幼少期をすごし、高校を卒業した後、当時とても流行していた洋裁学校に通っていました。

今も実家には、たしかジャノメのミシンと、メーカーは分かりませんが、ロックミシンがあります、私が中学生の時、家庭科の授業で「パジャマを縫う」という課題がありました。

今思えば、ミシン初心者にはかなりハードルの高い課題だったと思います。学校の授業では大まかな作り方や、ミシンの使い方を習いましたが、ミシンの台数も時間も全く足りず、ほとんどの作業を家でした記憶があります。

その時、ミシンの使い方を母から一から習いました。最初ミシンで縫うのはとても怖かったです。なぜなら、自分の思うスピードとミシンのスピードが全く違ったからです。最初に端布で何度も練習しましたが、スピードの調整を理解するまで、ずいぶん時間がかかったと思います。母に手伝ってもらいながら、なんとか完成したときには、すごく嬉しかったです。

母との思いで

私が小さかった時、母はよく洋服を作ってくれました。私が娘に作った直線だけでできる洋服ではなく、デザインからとても凝ったものでした。時には、型紙から自分で起こしているときもありました。

型紙は、洋服にとって設計図のようなものですが、長いものさしでさっと線をひいたり、赤えんぴつで縫い合わせのしるしを入れたり、私にはとてもかっこよく見えました。母はよく、スーパーの広告の裏に子供服のデザイン画を描いていました。

子どもの頃の私は、もっと襟を丸くしてほしいとか、スカート丈を長くしてほしいとか色々注文していましたが、母はそれらの要望をうまく取り入れて、オリジナルの本当に素敵な洋服を作ってくれました。

ただ、母は、とても凝り性で襟に花の刺繍をいれたり、共布でリボンを作ったり、ずいぶん時間をかけて作っていたので、私はいつも母を急かしていました。

でも、学校から帰ると完成した洋服がミシンのある部屋に掛けられていて、それを見た時の嬉しい気持ちを今でもすぐ思い出すことができます。その洋服たちは、私のいとこたちに次々と、着まわされて、私の手元には一着も残っていないのが、少し残念な気もします。

わたしとミシン

シンガー ヌイヌイ 4805C

私がほぼ25年前に買ったシンガーヌイヌイは、今も私の傍らにあり、時折私の生活をとても楽しくしてくれています。

何年か前からは自分のために洋服を作っています。主に、夏用のワンピースを作ります。今でもステッチは直線縫いとジグザグ縫いがほとんどです。子どもが小さかったころよりは自分で洋服を作ったりする人が増えているように思います。

時々、手芸店や布屋さんに行くと、昔より布の種類もたくさんあり、編み物の毛糸などは外国のものもたくさんあります。京都では、毎月15日に知恩寺で手作り市という催しがありますが、いつも人で溢れています。安価な既製服が増える一方で、より個性的でありたいと思う人も多くいて、その表れが手作り市の賑わいだと思います。装うということは、考えて、工夫して、手を動かして、時々ミシンを動かしてその先にあるものなので、楽しくない訳はありません。

私がよく使う布地は、リバティの布地が多いですが、リバティはとても布地が薄くてミシンで縫うには、とても縫いにくい布地です。縫い始めがくしゃくしゃになったり、すぐに糸がつれたりします。けれど、あまりミシンのスピードを出さないようにゆっくりと縫うことでなんとか縫えています。

最近のミシンでは、布の厚さによって、ステッチを変えたりすることができるのかもしれませんが、昔のミシンでもなんとか工夫しながら、頑張っています。ミシンは、機械なので冷たいです。なので、冬にはほぼ使うことがなく、冬は編み物をします。冬の洋服は、布地が複雑だったり、また裏地をつけたりと難易度が高いと思います。なのでほぼ夏用の服しかつくれません。

最近の制作

今は5月。そろそろミシンが活躍する季節がやってきました。高齢になった母は、布で作った軽いバッグが使いやすいらしく、私が縫った布鞄をよく使ってくれています。去年、引っ越しをした母からどっさり布地を譲り受けました。これからも私の楽しい生活はミシンは続いていきます。

感想

私から見た母は、いつも何かを作っている人だ。私が冷蔵庫に何か飲み物を取りに行こうとすると、だいたい暖かい時期にはミシンを、寒い時期には編み物をしている母の姿があります。母は私に「ごめん、(ミシンの音が)うるさかった?」と聞いてから、今何を作っているか、見せてくれます。

その時の母はとても楽しそうで、完成すると、見せてくれます。母が作るものはとてもセンスがよく、選んでいる布から形まで洗練されていいます。

昔私も母にミシンを教えてもらうことがありましたが、幼少のころの母と同じように、スピードがうまく調節できず手を縫ってしまわないかとても怖かった覚えがあります。

しかし、ミシンの明かりに照らされた布地はスポットライトを浴びているようで、ステージのうえで母のミシン裁きはとてもかっこよく見えました。私がこれから母のようにミシンを使って何かを作る人になるかは分かりませんが、この先ずっとミシンを見れば母を思い出すことになると思います。

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