子供にミシンが必要な理由

母の人生:ジューキ ぬいひめ Love5800N

ジューキミシンの思い出
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このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

母の人生:ジューキ ぬいひめ Love5800N

このタイトルを見て私はまず私にとってミシンはどのような役割があったのか、私の生活にどのようにかかわってきたのだろうかと考えてみましたがあまり思いつきませんでした。

そこでインタビューは母親にインタビューすることにしました。ここからは母親のインタビューから母親になりきってこたえていこうと思います。振り返るミシンはジューキ製で、型番は「ぬいひめlove5800N」です。

祖母とミシン

私がミシンを初めて見たのは物心つく前の保育園に生き始めたころだったと記憶しています。ちょうど私はこのころは兵庫県の山奥である加古川市に住んでいました。

このとき保育園に通うときに必要な手提げ袋や、学校の掃除で必要なぞうきんなどを母が縫って作ってくれていたという記憶が薄っすらあります。

なぜ薄っすらしかないのかというと、保育園時代であったため1970年代でありとても昔であるということと、母はとても働きものであったため夜遅くにならないと帰ってこなかったためです。つまり母親がミシンを使って私のリュックサックや手提げバック、雑巾などを作ってくれているところはほとんど見たことがありませんでした。これが理由です。

だから母がミシンの使い方を私に教える暇もなかったためミシンの使い方を母に教わった記憶はほとんどありません。しかし一つとても記憶に残っているのが、もともとはペダル式のミシンで足を踏みながらでないと、縫うことが出来なかったのが、途中から半自動になったことです。

その道具を使うと元々あったペダル式ミシンにボタンを押すだけで自動で縫うことが出来る機能を追加することができました。これによって本当に楽になったと母親が喜んでいたことが記憶に今でも残っています。

後に私は小学校にあがりました。その時兵庫県の神戸市の須磨区のほうへと引っ越しをしました。そのとき家庭科の授業でミシンの使い方を学んだことを覚えています。そのときのミシンの思い出として記憶に残っているのは、怪我は一回もしたことはなかったのですが、布によって針を使い分けなければならず、面倒がって針を変えなかったりしたせいで針が折れた思い出があります。これが私の保育園から小学校にかけての思い出です。これは1970年代の出来事です。

成人後のミシンの思い出

次に私が成人したのちのミシンの思い出について語ってみようと思います。私は成人した後、銀行員として就職し、とてつもない激務であったため、本当に一回もミシンを使うことはなくなりました。

特に時代の発展によってなんでも安く手に入るようになった今ミシンの必要性が低下している気がしていたし特に購入もしませんでした。しかし私が結婚するとき嫁入り道具として、母が電気で動く多機能ミシンを購入してくれて嫁入り道具として持たしてくれました。

母が買ってくれたのでミシンの価格は記憶しておりませんが、ジューキという、服飾の方も使うというメーカーのミシンで1995年当時としては画期的な電子パネル付きで自動で模様を縫ってくれたりもするミシンでした。おそらくとても高価なものだったと記憶しています。

ジューキ ぬいひめLOVE5800N

出産後のミシンの思い出

出産後、仕事を辞め専業主婦となりました。息子は、幼稚園に通うことになりました。幼稚園では、通学バックは学校指定のものでよかったのですが、手提げ袋や雑巾は自分で作って持っていかなければならなかったので、息子のためによく縫って作っていたことを覚えています。とくに息子の好きなウルトラマンや阪神タイガースの柄で作った手提げ袋を幼稚園の息子が、喜んで持って行っていたことをよく覚えています。

さらに息子が成長し高校生となりました。息子の高校が大阪府の大阪市内に存在するおそらく大阪府で一番自由な校風の高校でした。校則はなく、制服もなく髪染めピアスも自由な高校であったと記憶しております。

その高校の文化祭や体育祭も本当に自由で、みんなが思い思いの衣装を着て楽しむというイベントが毎年恒例でした。文化祭に関しては学生たちがデザインを決めて近くのTシャツ屋さんにデザインを持ち込み作ってもらうというものだったので楽だったのですが、体育祭に関してはクラスごとにテーマを決めて全員が同じ衣装をきて競い合うというものでした。さらに衣装の出来具合に関しても点数をつけるため、
とても凝った衣装を作るクラスが多かったものでとても高校生の息子にはできないようなものもありました。

高校生の息子は毎日勉強と部活に明け暮れていたため裁縫する時間的余裕もなくさらにかなり不器用であったため私がやるはめになりました。このときミシンを使って衣装を作りました。高校生になってからは学校に持っていく雑巾も100円ショップで購入して使っていたため、ミシンを使ったのは本当に久しぶりでした。

とても難しく時間がかかる大変な作業でしたがなんとか衣装を作り上げたのを覚えています。これが私が成人し出産したあとのミシンに関する思い出のすべてです。

母のミシンに対する思い

次に私が現在使用しているミシンに対して思うことを述べます。現在使用しているミシンとは、結婚時に母が持たしてくれた嫁入り道具であった1995年式のミシンのことです。

このミシンは本当に重たいもので、使うのにも一苦労運ぶのにも一苦労という感じで現在腰痛やひざの痛みがある現在の私にとってはミシンを使うまでが重労働です。

これにも理由があり1995年式としては最新の電子パネルがついていたりたくさんの模様を自動で刺繍したりしてくれるこの機能があったことにも関係していると考えられます。とくにミシンは私はあまり使わなかったため多機能であっても使いこなすことが出来なかったので、あまり高価なミシンである必要はなかったなと今感じています。

そのミシンが発売された1995年から約25年経過していますし、現在もっと小型で多機能なものが出ていると思います。だから私は、腰痛やひざの痛みがある人でも簡単に持ち上げられるような小型で軽量な、そしてその分あまり多機能でなくてもいいので値段が抑えられているミシンが欲しいなあと感じました。

私はずっと古いミシンを使っているため今現在のミシンがどうなってるのかは知りませんが、準備に時間がかからないシンプルなものであればとてもよいなあとも思いました。機会があれば買いたいなと思います。

インタビューした感想

ここからは、私自身がインタビューして感じたことに関する感想を述べたいと思います。このインタビューをするときに改めて自分にとってミシンとは何なのだろうかと考えていました。しかし、考えたものの、ミシンを使った記憶が小学校の家庭科の授業しかなく、正直、私にとってのミシンは小学校で学ぶものであり自分の生活にかかわりがないものという結論にいたりました。

少し気になってミシンについて調べてみました。するとミシンのイメージが少し変わりました。理由に関していえば、ミシンは服を縫うだけではないからです。

特に印象的だったのは内臓を手術で切開した時に縫うときにミシンを使うことがあるということです。個人的に医療系ドラマで見ているときは、みんな手縫いでやっているため医療のためにもミシンが使われているという発想にならなかったしピンとこなかったのですが実際調べてみると、医療用ミシン、本のミシンなどがあり自分の生活にいまだい大きくかかわっているんだなあということが強く認識できました。

ミシンの歴史を調べることは、産業革命以来の歴史を読み取るヒントにさえなるのではないかとも思えてきました。特にアパレル産業に与えた影響は多大なものであったと思うし歴史に大きな影響を与えたことは間違いないと思います。このインタビューを通して、ミシンについてもっと調べてみようと思いました。

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