子供にミシンが必要な理由

母の愛情:ベルニナ アクティバ130

その他のミシンの思い出
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このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

母の愛情:ベルニナ アクティバ130

  • インタビュー対象者:母
  • ミシンのメーカー:ベルニナ(BERNINA)
  • ミシン機種:アクティバ130(activa)

学生時代とミシン

中学生最初の衣装づくり

私は中学生の頃、ダンス部に所属していました。そしてある日の部活動で体育祭での出し物を決めるとき、意見が通りスペインの伝統的なダンスであるフラメンコを踊ることに決定しました。父がクリーニング屋を経営しており、私はミシンのことを少しだけ教わりました。

当時私の家には祖母が持っていたミシンが一台あり、そのミシンの詳しい詳細は分かりませんが、当時の同級生たちと家に集まりフリフリいっぱいの赤いスカートをみんなで交代しながら苦労して作った思い出があります。その衣装は周りの生徒や教師からも好評でダンスもうまくいったためとても記憶に深く残っています。

そのあとには授業でワンピースを作ることになりましたが、うまくいかず家に持ち帰り母に作ってもらい完成品を先生に見せにいったところ縫い目がぐちゃぐちゃで、出来があまりにも悪く、「親に作ってもらえ!」と言われ、笑った思い出があります。今思えばこういった経験が洋裁をしたいと思うようになったきっかけかもしれません。

高校時代

高校生になり、私は中高一貫の学校であったためそのままダンス部に所属しイベントの際は中学の時と同様、自作の衣装を作っていました。この時くらいから将来洋裁などをしてみたいと思うようになったのかもしれません。

社会人時代、結婚後とミシン

療養中に学ぶ

短大を卒業した後、就職しましたが病気にかかってしまい、一か月入院したのち自宅で療養している最中、デパートでスカートを作るという講習会があり参加しました。そこで学んだことを生かして療養中は自分のバッグを作ったり、祖母の友達に頼まれて、スカートを作ったりしていました。仕事に復帰した後も暇な時間は小物入れなどを作っていました。その時間が自分の唯一の楽しみであり、ストレス発散の時間になっていたと思います。

初めて自分で買ったミシン

結婚後、姉がパッチワークをやっていたこともあり、姉の家を訪れた際に見たたくさんのパッチワーク作品を見て興味を持ち、パッチワーク教室に通うことになりました。そして、自分で働いてためたお金でその教室の先生を通じて初めてミシンを購入しました。

ミシンを買ったときは、とてもうれしくて子供たちのために何を作ってあげようかといつも考えていました。そのほかに自分で作るパッチワーク作品でとくにタペストリーやベッドカバーを作るときに最後に行うパイピングなどでとても役に立ちました。

幼稚園時代

この時期はミシンを多く使った思い出があります。子供たちが幼稚園に入園する際、ナフキンやバックや靴袋、給食袋など必要なものがたくさんあり、一歳差の三兄弟のためおさがりを使わせることができずそれぞれ三個分ずつ作っていました。

大変だろうなと思っていましたが、ミシン経験があったためかスムーズに作ることができましたし、子供達のために作っていることがうれしかったです。ほかのお母さんたちにも頼まれたりもしていました。今思えば生地選びからすでに楽しんでいたのかなとも思います。子供たちがそれらを使っているのを見ると作ってよかったなと思えて幸せでした。

小学生時代

子供たちが小学生になると子供たちがドラゴンボールやワンピースやナルトなどの子供向けの人気アニメが好きになったため、そういった生地を再び買いに行きナフキン、小道具を入れる手提げ袋、上履き入れ、給食袋、ブックカバーなどをあらためて作りました。

私が机の上でミシンを使っているときは子供たちも私の対面に座って、一緒に会話しながら作っていたような思い出もあります。お気に入りのアニメのキャラクター達が載っている生地だったためとても喜んで使ってくれてうれしかったです。

子供たちの間で遊戯王カードやポケモンカードゲームが流行し、そのカードデッキを入れるためのポーチや外出するときの小銭入れなども作ってあげたこともいい思い出です。仕事や家事、自分のパッチワーク作品の提出期限などで大変だったけれど、ちょくちょくいろいろな物を作ってあげていたと思います。

また、子供の家庭科の授業でエプロン作りやナップサックづくりがあったときは、子供がミシンの使い方でわからないことがあれば家で教えたり、持ち帰ってきたものを手伝ったりしたことを覚えています。その時は自分も小さいころ親に助けてもらっていたことを思い出し、懐かしい気持ちになりました。

そして持ち帰ってきた完成品を見ると、自分の子供の頃より上手にまっすぐ縫うことができていて手先が器用なんだなと分かりました。その後も子供がもっと練習したいというので、曲線のミシン練習や角縫いの練習、ボタンホール、ファスナー付けを教えた記憶があります。子供たちのためにミシンを使った時間となるとやはり小学生時代になるのかなと思います。とてもいい時代でした。

中学生時代

子供が中学生になるとミシンを使うことは自分のパッチワーク作品を使うこと以外では減り、子供のために使ったことは体操服にゼッケンを縫うことくらいでした。給食の際に使うナフキンや、上履き入れは小学生時代のアニメ柄の物では恥ずかしくなったのか使わなくなり、新しいものを買いに言った記憶があります。その時は悲しいという気持ちと同時に成長を感じた瞬間でもありました。

高校生時代

子供が高校生になるとミシンを使ったことは1年に1回づつだけあります。それはクラス別スポーツ対抗戦の時です。子供の高校ではクラス別スポーツ対抗戦の時はクラスのチーム力を高める目的と芸術点を争う目的のためクラスごとにゼッケンを作ります。

子供には自分でやらせようと思うのですが、部活動で疲れた、縫い方がわからないなどと理由をつけるため私が縫っていました。他の生徒は自分でやったのか、縫い目がぐちゃぐちゃで体操服から今にも剥がれ落ちそうな状態の人が多かったが、息子のは、私が作ったため完璧な仕上がりになったため、友達から本当に自分でやったのか疑われていたそうです。本当は本人自身にやらせなければならないのでしょうが、久しぶりに子供の行事に関わることができたので良かったと思っていました。

ミシンの今

今はパッチワーク教室に通っておりミシンを使うことはありますが、自宅でミシンを使うことは仕事や家事、親の介護などの影響で少なくなり、今は週一程度でバッグの仕立てや大きなキルト作品をもう何年もかかっていますが地道に作り続けています。今は子供たちも大学のため下宿先に住んでいるため会話もあまりなく唯一の楽しみになっています。

ですが、やはり私は洋裁をやりたいと小さいころから思っていて、なかなかできていませんが老後にはおしゃれな服などを作ってみたいと思っています。また、もし孫ができたときは、子供たちにナフキンや給食袋を作ってあげたようにまた作ってあげたいなとか考えています。

インタビュアーとしての私の感想

インタビューを通して母の学生時代のことなどほとんど聞いたことのないような話を聞くことができてよかったと思っています。私は小さいころから母がミシンを使っているところを見ることが多く、今でも記憶しています。今振り返ると学校関連の物はほとんど母に作ってもらっていて本当に感謝しかないです。

今でも母が小学校の頃作ってくれたドラゴンボールやワンピース、ナルトのナフキン、給食袋やポケモンのブックカバーなど鮮明に思い出すことができますしその時代の生活まで思い出すことができ、やはり買ってきたものではなく手作りのものというのは忘れることのできない大事な物だと思いました。

中学や高校の頃は自分も部活などで忙しかったですが、母の大変さもわかっていたので自分でできることは自分でやるべきだったと今になって後悔しています。また、今回インタビューして自分も母のように子供ができたときはいろいろなものを作ってあげたいなと思いました。やはり手作りの物は愛情が伝わると思うし思い出もたくさんできると思います。

最近の世の中は料理でも簡単に届くようになり便利な世の中になりました。だからこそ手作りのものが目立つようになると思います。自分は子供たちに手作りのものをあげられる母のような親になりたいと思いました。

今回このようなインタビューの機会を与えてくださり本当にありがとうございました。人生で大事なことに気づくことができたと思います。

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