針と糸・男と女:宋美齢のミシンと台湾の歌「針線情」

ミシンの不思議
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本棚をみていると何気ないところでミシンが出てきます。

今日は博物館のパンフレットから、有名人がミシンを使っている風景。

テーマは、針と糸、男と女。

宋美齢のミシンと台湾の歌「針線情」のエピソードは裁縫と恋愛を重ねてイメージさせてくれます。

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永遠的蒋夫人―蒋宋美齢:逝世十周年紀念特展

このパンフレットは、2013年秋に台湾台北市国立中正紀念堂1階の美齢芸廊にて催された「永遠的蒋夫人―蒋宋美齢:逝世十周年紀念特展」に刊行されたものです。

「永遠的蒋夫人―蒋宋美麗:逝世十周年紀念特展」パンフレット

私は展覧会に行ってなくて、その後に台北へ旅行した時に買いました。

だいたい、上海へ行けば宋慶齢、台北へ行けば宋美齢という旅パターンが決まっています。そして持っていない本やパンフレットを買うという買物パターンも…。

宋美齢は戦時期の中国や戦後の台湾のあちこちを回って、女性解放運動の必要性を説いていきました。その頃の様子をパンフレットは少し取りあげています。

その中で、宋美齢がミシンを使っている写真が1枚載せられています。

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シンガー・ミシンを使う宋美麗

自著『ミシンと衣服の経済史』で私は菊池一隆氏の論文を引いて、次のようにまとめました。

38年12月に蒋介石の妻である宋美齢は「工合」協会にへ10万元を支給し,傷兵向け綿製オーバーを1か月以内に1万着生産するよう要求してきた。支給された10万元の半分が邵陽の位置する湖南省西南方面へ回されたが,邵陽には軍服廠がないため裁縫「工合」2社が長沙大火等による難民婦女400人余りを招集し,オーバー5,000着強,下着上下1万組,布靴4,200足を生産したという。岩本真一『ミシンと衣服の経済史―地球規模経済と家内生産―』思文閣出版、2014年、79頁。

依拠した論文は、菊池一隆「湖南・広西両省の中国工業合作運動─都市方式の農村への導入と農村社会経済改造の実践―」(大阪教育大学歴史学研究室『歴史研究』第34号,1997年3月)。

宋美齢には、アパレル産業やミシンに関するエピソードが多いのかもしれません。

彼女は抗日戦争時や戦後に、女性の仕事を促進してキャリアを積ませようと積極的に運動を展開しました。

1950年3月に台湾で女性運動を再開しました。

このために「中華民国婦女反共抗俄連合会」(略して「婦連会」)を設立しました。時代の変化とともに、婦連会は「中華婦女反共連合会」と改称され、現在は「中華民国婦女連合会」とよばれています。

台湾へ移住した頃に材料資源は不足していました。国軍の服は古く、冬用の衣料品が足りませんでした。

美齢は婦連会の建物の2階に縫製工場を設立し、公務員の妻や役員の子女に仕事を与え、衣服、帽子、シーツなどを縫製させ、衣料品や関連品を国軍に供給しました。

当時、毎日何百人もの女性がミシンを踏みました。

婦連会2階の縫製工場の女性たちにミシン指導をデモンストレーション的に行なう宋美齢。シンガー社の足踏式ミシンを使っている。

上の写真は宋美齢が工場内の女性たちにミシン指導をデモンストレーション的に行なっているところです。足踏式のシンガーミシンですね。

この縫製工場は1992年までに閉鎖しました。工場が稼働していた42年間で国防軍や国軍兵士のために1300万以上の衣類が縫製されました。

台湾の歌「針線情」

台湾の曲「針線情」は、婦連会の重要な精神的目標だったといわれます。

この曲は男女の愛を針と糸に譬えたもので、男性兵士のために女性たちが服を作るという男女分業が重なったのだろうと思います。

この曲を聞いて印象的だったのは「あなたは針で私は糸」という歌詞。この曲は女性の思いを歌っています。針を男性、糸を女性としたことは偶然ではありません。

針(ニードル)を男性の象徴と捉えてきた地域は、昔から世界中のあちこちにあります。

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