子供にミシンが必要な理由

リッカー社の足踏みミシン「RW-14 88837」

その他のミシンの思い出
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リッカー社の足踏みミシン「RW-14 88837」

このページでは、リッカー社の足踏みミシン「RW-14 88837」の思い出を学生アンケートから紹介しています。

アンケートの紹介にあたり、学生レポートの日本語や文脈などの修正を私が行なっています。また、紹介に際して学生の許可を事前にいただいています。

ミシン所有者とあなたの関係

そのミシンを所有している方はあなたから見てどなたに当たりますか?

父方の祖母です。

その方の生年やミシン利用期間の西暦や居住地(市群レベル程度)

1940年生まれ、島原市在住、ミシンは1956年から現在まで利用しています。

ミシン本体について

リッカー社の足踏みミシン「RW-14 88837」

  • ミシンのメーカー:リッカー
  • ミシンの機種:RW-14 88837
  • ミシンの購入年:1963年に購入し、1977年に上部のみ買い換えました。

ミシンの性能

購入した当時、ミシンは足踏みミシンか手回しミシンくらいだったので足踏みミシンを選びました。メーカーについてはインターネットなどがないため近所の人たちの評判が良かったリッカーにしました。

実際に使ってみて良い点は二つあります。

一つ目は、現代のミシンはジグザク縫いやまつり縫いなどさまざまな機能がありますが、このミシンは直線縫いのみです。だから、構造が簡単でパワーが強いし、故障も少ないです。さらに現在でもミシン油を差して利用できていることからとても長持ちということが感じられます。

二つ目は、電気なしで人力だけで動き、またその人のペースに合わせて動いてくれるから使いやすいです。ただし、踏むときにあまり力を入れすぎるとペダルの動きが逆回転してしまうこともあります。それに加え、ペダルが重かったこともあり、はじめはそこの調整が難しかったから、糸を使わずに踏み方だけを練習していました。そうしてだんだん慣れていきました。

ミシン技術の習得先

1956年から1959年までは、最寄り駅が島原駅の島原家政専門学校でミシン技術を習得しました。家から徒歩1分の松尾駅から電車で20分かかりました。現在、この学校は廃校しています。

1960年から1962年までは衣料品マルセイで洋服の仕立てのアルバイトをしてミシンを使いました。

ミシンの使い道

リッカー社の足踏みミシン「RW-14 88837」

1963年に祖父と結婚しました。祖父は衣料品店や寝具などを販売する店に勤めていましたが、結婚後は洋服の中でも婦人服の仕立を中心に販売するようになりました。祖母はミシンで服の仕立てや修理などを行いました。昔は祖父母の家で店を経営していました。現在は取り壊して普通の家になっています。

婦人服以外にもワンピースやセーラー服、スーツ、子供服なども作っていました。子供服を作るのが一番難しくて、父が子供のころはよく着せ替え人形のように服をたくさん着させられていました。祖父母の店はオーダーメイドの服も扱っていたため、お客さんのサイズを採寸し、しっかりと合う服を仕立てていました。その後、祖父が亡くなり、20年間続けた店を閉店しました。

閉店した後、女手一つで子供3人を育てていくために、家から徒歩20分のところにある九州毛織株式会社という工場で働きました。この工場では主に糸を作っていました。前の店で習得したミシンの技術を生かすことはできなかったけどミシンで使っていた糸も作ることができました。ミシンを使う機会が少なくなりましたが、家でたくさん使うようになりました。たとえば、服に穴が開いたりした時や小物を作るときなどミシンはいろんな場面で使いました。

リッカー社の足踏みミシン「RW-14 88837」

今思うと、足踏みミシンで助かったなということがあります。それは父や兄弟がまだ子供の頃、祖母は子供たちが起きている間は洗濯や料理など家事をすることで精いっぱいだったため、服を作るのは子供たちが寝静まった後でした。その時、足踏式ミシンだとカタカタと音が小さいので子供たちが起きずに作業することができました。近所では、現代の電動ミシンは楽だが音が大きいとよく聞くそうです。だから、足踏みミシンは使うのが困難だったけど祖母の生活にはぴったりなミシンでした。購入当時は、苦労をしましたが、足踏みミシンを買ってよかったです。有能な電動式ミシンがありますが、これからも足踏みミシンが活躍することを願っています。

ミシンの現在

月に5~6回はミシンを使っています。たとえば、昔、作って着なくなったロングコートなどを短くして普段着として着れるように作り直したり、近所の人に頼まれた裾上げや脇詰めなどしています。昔の生地は良いから、捨てるのはもったいないなどの色々な思い出があるのだと思います。今では、看板などは出さず、祖母が昔、服の仕立てをしていたことを知っている近所の人の服を受け付けます。

そして、私が中学と高校の時もセーラー服は姉のお古で、姉の体が小さいのと成長期ということもあり、セーラー服のサイズを変えてもらったことがたくさんあります。先日も近所の中学生の娘さんが制服の丈が長すぎると校内検査で注意を受けたため、セーラー服の裾上げをしました。

現代は電動ミシンや様々な機能があるミシンも便利だと思いますが、足踏みミシンは直線縫いという基本の機能に優れており、これは便利なことよりも大切です。だから、今後もミシンを買い替えることはないだろう。

リッカー社の足踏みミシン「RW-14 88837」

ミシンへの思い入れ

今から思い返すと、小さい頃から物を作るのが好きでした。祖母の母が服や巾着袋など何でも自分で作っているのを見ていたからだと思います。専門学校に行き、和裁、洋裁、手芸などを習い、ますます物を作ることが好きになりました。

結婚して子供が生まれ、子供服や手提げ袋なども作り、子供たちに喜んでもらえたことがやはり一番うれしかったです。そして、長女がミシンに興味を持ってくれて、一緒にバッグを作りました。その長女は趣味で長女の子供が小さいときに服を作っていたそうです。祖母と長女は今でも、「こんなものも作ってもらったな」とかの会話をします。ミシンが子供に受け継がれていくことがとてもうれしいです。

祖母は7人兄弟の2番目の長女だったため、早く職に就かなければなりませんでした。ミシンとは生活し、食べていくためには無くてはならないものでした。さらに当時、好きなことを職にできる人はごく少数だったため、ミシンを使い、物を作る職につけてとても良かったです。

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