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上海ミシン製造業の歴史:蝴蝶牌が栄光を獲得するまで

ミシンメーカーと地域
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このページでは、1842年に開港を迎えた中国(清朝)の貿易窓口である上海で、ミシンが輸入されて、やがては国産化を実現する過程をまとめています。

とくに1950年代以降の上海製ミシンは品質が良く、中国でも海外でも大人気でした。

日本の横浜や神戸の開港と同じように、あの頃の貿易港には躍動感を感じます。

また、ミシン修理業や部品業からミシン製造業へ向かうパターンは中国も日本も変わりはありません。

近代の元気で前向きな人たちを想像しながら、楽しく読んで下さい。

1872-1910年:ミシン輸入と修理業

外資系ミシン会社の展開

1872年に晋隆洋行(Mustard & Company, Inc.)は上海市場に「微荀」ミシンを輸入しました。

1875年に華泰洋行(Berger, Walter G.)は革靴縫製用の輸入工業用ミシンを上海で売りました。

それ以来、外資系銀行のグループが上海でさまざまなブランドのミシンを販売し、後にアメリカのシンガー社が市場を独占しました。

現地人によるミシン修理業の勃興

1900年、浙江省奉化市出身の朱兆坤は郑家木桥(現・福建南路20号)に美昌ミシン商店(美昌缝纫机商店)をオープンし、ミシン修理業を営みました。

それ以来、この一帯は施茂泰、瑞泰、桂龙顺、复升、久昌たちのミシン修理店(缝纫机修理商店)が軒並み店を構えていきました。

1919年に沈玉山ら3人が协昌铁车铺をオープン。3年後の1922年に協昌ミシン機器会社(協昌缝衣机器公司/現・協昌縫紉機廠)に改組。

1920年~:現地人による部品製造業の勃興

この頃、輸入ミシンが増加して修理業は拡大しており、また、ミシン部品の生産も活発になりはじめました。

1922年に、元シンガー社ミシン修理工だった徐賡華は虹镇老街に廣厚機器廠をオープンし、ミシン部品の生産に従事しました。これは上海で最初のミシン部品工場でした。

1924年、浙江省奉化市出身の阮貴耀は上海の新北門三星里1号で「阮耀記襪機襪針号」をオープン。編機と編針を取り扱いましたが、後にミシン部品とミシンの店に転換。それ以来、上海にはいくつかのミシン部品製造工場が開設されていきました。

1928年~:現地人による国産ミシン製造の勃興

1928年、上海龍華人子国際公司は冼冠生ら6人を株式投資に勧誘し、向礼和洋行と谦和洋行から多くの機械を購入しました。

そして、謹記路(現・宛平路、肇家浜路南侧)に「勝美縫紉機廠」を設立し、職工30人超を雇い、陆晋生がエンジニアとして勤務しました。こうして上海で国内初の家庭用ミシンの製造に成功しました。

紅獅牌(红狮牌)

同じ1928年、嵩山路70号に営業する「協昌縫紉機器公司」は上海で最初に工業用ミシンを生産し「紅獅牌」ブランドを確立しました。

この頃の上海のミシン生産はほとんど機械化されていませんでした。ほとんどすべてが手作業により、劣悪な労働条件のもとで高い労働強度を強いています。縫製機構のコアも手作業、素材は赤砂・白砂・黒砂で、品質が悪く脆いものでした。

飛人牌(飞人牌)

1937年に「阮耀記襪機襪針号」社は「阮耀記縫衣機器無限公司」へ改称しました。

そして鄭傢木橋30号にて15‐30型ミシンの生産に集中し、「飛人牌」ブランドのミシンを製造しました。1940年に工場の生産規模は拡大しつづけ、毎月20台のミシンを生産しました。

次の写真は、2013年2月23日に妻と行った雲南省昆明市五華區威遠街の洋服修理店(洋服のお直し屋)です。

2013年2月23日に妻と行った云南省昆明市五华区威远街の洋服修理店(洋服のお直し屋)です。

云南省昆明市五华区威远街の洋服修理店(洋服のお直し屋)。2013年2月23日撮影。

このお店では、高級なものから中くらいのものを修理してくれます。

各種生地に対応して、毛皮やセーターなどの修理に、ファスナーの付け替えなども行なっています。

このお店でどんなミシンを使っているのか気になったので、店員さんにミシンを見せてもらって撮影も許してもらいました。

その一つが飛人牌ミシンでした。

云南省昆明市五华区威飛人牌ミシン。远街の洋服修理店(洋服のお直し屋)。2013年2月23日撮影。

云南省昆明市五华区威飛人牌ミシン。远街の洋服修理店(洋服のお直し屋)。2013年2月23日撮影。

もう1台足踏式ミシンがありました。

それは「標準牌」でした。

云南省昆明市五华区威標準牌ミシン。远街の洋服修理店(洋服のお直し屋)。2013年2月23日撮影。

云南省昆明市五华区威標準牌ミシン。远街の洋服修理店(洋服のお直し屋)。2013年2月23日撮影。

金獅牌(金狮牌)・蝴蝶牌

抗日戦争の勃発後、アメリカからのミシン輸入は停止し、上海市場でのミシンの需要と供給は逼迫しました。

鄭傢地域のミシン販売店はミシン生産に関心を向けました。1940年に協昌縫紉機器公司は家庭用ミシンの生産をスタート。ブランド「金獅牌」を製造販売し、このブランドは後に「蝴蝶牌」と改められました。

「中国ミシン製造所」(中国缝纫机制造厂)

1943年に徐文熙ら5人が500両の金を集め、于馬白路(現・新会路)227号にて「中国ミシン製造所」(中邦縫紉機製造廠)を開設し、電動式の工業用ミシンの試作に成功。すぐにミシン市場に供給をはじめました。

戦後

シンガー社の一時復帰

抗日戦争の勝利後、米国シンガー社が中国大陸へ戻ってきましたが、工場経営で巨大な損失を被って1947年に撤退を宣言しました。

蜜蜂牌

1946年に長寿路91号の家で家庭用ミシンが試作されました。このブランドは「蜜蜂牌」とよばれました。

この家は「東縫紉機廠」を継いで家庭用ミシン工場(家庭縫紉機廠)と名づけられました。後に上海ミシン第3工場(上海縫紉機三廠)に転換します。

蜜蜂牌ミシンを家に置いていたという中国人留学生の思い出話はこちらです。

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惠工缝纫机厂

その年(1946年)10月に丁维中らは「惠工鐵工廠」(後に惠工縫紉機廠)を設立し、ミシン部品と繊維機械部品を製造しました。

1948年になると、インフレや原材料の不足のために多くのミシン工場が閉鎖されました。

中国ミシン製造業の停滞と「蝴蝶牌」の躍進

年間生産数1400台を超えるミシン会社は70社ほど、従業員312人にとどまりました。これらの製品のうち少数が「ButterFly」というブランド名で香港に輸出されました。

新中国設立後、「協昌縫紉機廠」は政府から強い支持を受け、1950年に協昌は600以上のヘッドと300以上の完成品を共有し、「蝴蝶牌」のおよそ160,000香港ドル分のミシンが上海から香港に輸出されました。これは中国の解放の後に輸出された最初のミシンでした。

1952年、ミシンは中国の百貨店が上海に調達するようになり、上海は供給ステーションとなりました。

輸出部品は、中国国家輸出公司の上海支店から輸出されます。1955年に「蝴蝶牌」ミシンはシンガポールとマレーシアで登録され、海外で最初に登録されたブランドとなりました。

1956年、蝴蝶牌ブランドのJA1-1家庭用ミシンがバッチで輸出され、初年度は数千台でしたが数年後には数万台も輸出されました。蝴蝶牌は中国のミシンの輸出で第1位になりました。

中国の海外ミシン輸出

1959年までに中国のミシン輸出先は50か国以上と地域に拡大しました。なかでもソビエト連邦と東ヨーロッパへの輸出の割合は比較的大きかったです。

1960年代初頭に中国とソビエトの貿易は中断され、上海のミシン輸出が影響を受けました。1962年に上海は149,200台のミシンを輸出し、1963年には61,000台に急落しました。「協昌縫紉機廠」が輸出していた蝴蝶牌ミシンは、1962年の136,000台から36,000台に減少しました。

1970年代、世界のミシン製造販売の中心はヨーロッパとアメリカからアジアへと変わりました。中国のミシン産業はこれまでにない発展を遂げました。

1977年の中国のミシン生産量は420万台、輸出は28万4000台で、そのうち上海からの輸出は24万500台を占めていました。

1978年、中国は836,300台のミシンを輸出しました。このうち上海は343,800を輸出しました。

1979年、中国のミシンの輸出量は496,700台、このうち上海は425,800台。上海のミシンは主に香港、シンガポール、イラン、シリア、クウェート、アラブ首長国連邦、アルジェリア、ナイジェリアに輸出されていました。

参考 海派时尚设计及价值创造协同创新中心 -> 专业数据 -> 产品数据库

参考 寧波人與縫紉機的緣分 – 壹讀

参考 A glossary of Shanghai company names in Chinese and English | Virtual Shanghai

おわりに

蝴蝶牌、蜜蜂牌の情報はそこそこありますが、牡丹牌のエピソードをネットで探せないので妻に手伝ってもらったところ、うーん、ほとんど確認できないとのことでした。

牡丹牌の足踏みミシンは情報が少ないです。

なぜか中国のサイトを調べてもあまり詳しい情報は載っていません。

 

大まかな情報は1970年代、天津発です。

 

蝴蝶牌、蜜蜂牌、飛人牌と並んで、牡丹牌はよく使われていた足踏みミシンです。牡丹牌の特徴は何と言ってもレトロでかわいらしいロゴと牡丹の花柄です。まさに私の大好きな配色(^^)

 

お母さんは胡蝶牌を使っていました。個人的な意見ですが、胡蝶牌は少し重厚な感じがします、牡丹牌はキッチュでかわいらしい雰囲気。

 

使う目的で選ぶなら胡蝶牌、インテリアとして飾るなら私は牡丹牌を選ぶでしょう。

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