子供にミシンが必要な理由

テレビにおけるイノベーションの停滞

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このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

はじめに

ミシンを持っている人が見つからなかったため、イノベーションの停滞を示唆する事例について考えてみようと思います。まずはミシンの開発と進化の歴史に触れ、どのようにして進化を終えたのかをみていきます。そして、私がミシンと同じようにイノベーションが停滞していると考えるテレビについて、考察してきたいと思います。

ミシン

1850年代にアメリカで発明されたミシンは、それ以降商品化及び産業化が進みました。進化の流れは、19世紀型進化と20世紀型進化の2つに大きく分けられます。

19世紀型進化

19世紀型進化は、動力が展開され裁縫機能が拡張したことを示します。初期の手廻式のミシンから始まり、1860年代には足踏式ミシン、1870年代には電動式のミシンが誕生しました。

この進化の過程でミシン業界に最も影響を与えたのは、足踏式ミシンが登場したときです。従来の手廻式では片手でしか布を送ることができなかったのが、足踏式は両手とも自由が利くために両手での布送りを可能にしたのです。これにより、より高い精度で裁縫ができるようになりました。

電動式ミシン誕生後は、縫針やベッドの周辺に小細工を仕掛けたり、付属品を設置したりすることによって、ミシンによる縫製機能は拡張されました。そして1900年頃までには、ミシンは柔らかく薄い素材のものならほとんど縫えるようになりました。

20世紀型進化

20世紀型進化は、裁縫外機能が追加されたことを示します。例えば、ベルトコンベア付きのミシンが誕生しました。

このように、19世紀が進化を経て縫うというミシンの基本的な使用目的、つまり本質を達成したので、裁縫外機能を加えることでしかミシンの機能性を上げることはできなかったのです。こうして、本質的な面から見ると20世紀中ごろにはミシンにおけるイノベーションは停滞したのです。

テレビ

19世紀後半にブラウン管が発明されてから、テレビは目まぐるしい進化を遂げてきました。現在は、一般家庭にも当たり前のように普及しています。

そんなテレビにおけるイノベーション、私はミシンと同じように停滞していると考えます。そこで、テレビの進化の歴史をたどったのち、イノベーション停滞の理由について述べたいと思います。

テレビの歴史 ブラウン管の時代

  • 1897年に、ドイツのK.F.ブラウンが画像を映し出すためのブラウン管を発明したのが、テレビ史の始まりです。
  • 1926年、テレビの父といわれる高柳健次郎が、ブラウン管上に「イ」の字を映し出すことに成功します。
  • その4年後の1930年に、彼によってテレビジョン撮像管(テレビカメラ機)が発明されました。
  • 1939年、日本ビクターが日本初のテレビ受像機(反射型テレビ)を発売しました。
  • 1941年には、アメリカでテレビ研究禁止令が発令されましたが、戦時中ということもありレーダー観測用にブラウン管の技術開発は進みました。
  • 1953年、シャープが国産第1号の白黒テレビを発売し、洗濯機、冷蔵庫とともに家電の三種の神器と呼ばれるようになりました。
  • 1957年に、アメリカのコーニング社が全ガラス製カラーブラウン管を開発し、その3年後、日本でも国内初のカラーテレビが東芝から発売されました。
  • その後、多種多様なブラウン管が生産されるようになり、様々なタイプのカラーブラウン管も発売されました。

テレビの歴史 ブラウン管から液晶テレビへ

1978年にシャープが白黒液晶テレビの開発に成功したことが、テレビ史における大きな転機となりました。1984年にカラー液晶テレビが商品化され、1990年にはハイビジョンテレビが発売されました。

こうして、ハイビジョンテレビと透過型液晶が主流となり、かつてのブラウン管は淘汰されました。1992年にはワイドテレビが発売され、テレビの完全平面化と大型化が加速しました。

さらに1990年代後半にかけて、液晶テレビの広視野角高精細化も進みました。そして2000年、シャープから業界当時最大の液晶テレビ、アクオスが発売されたことをきっかけに、日本国内において大画面薄型テレビのブームに火が付きました。

その後は、さらなる画面の大型化、画像処理のエンジンの高度化、録画機能の搭載、ネットやメディアなどの再生媒体の多様化、4Kなどの高解像度化などによって進化し、現在に至ります。

破壊的イノベーションの発生

破壊的イノベーションとは、「既存事業の秩序を破壊し業界構造を劇的に変化させるイノベーションである」と定義されています(「持続的イノベーションと破壊的イノベーション|福本 徹 @idnet21.com|note」2020年4月28日参照)。テレビの進化においては、液晶テレビが誕生したときにこの破壊的イノベーションが起こったと私は考えます。

液晶テレビという全く新しいタイプのテレビによって、既存のブラウン管は淘汰されたからです。そして、消費者のニーズ及びテレビの本質も、テレビを見たいという単純なものから、きれいな画質で見やすく大きい画面でテレビを見たいというものに変化したと考えられます。

イノベーションの停滞を主張する理由

結論から言うと、前述の破壊的イノベーションが発生し液晶テレビが世間一般に普及したときには、液晶テレビの本質の観点から言えば進化は終わりを見せたのではないかと考えます。ミシンでいうところの19世紀型進化です。

それ以降のさらなる大画面高画質化や再生媒体の多様化などの機能は追加的であり、この追加的機能を搭載しないとテレビを進化させられない段階にまできているのではないかと思うのです。

韓国製と日本製

追加的機能によって他社との差別化を図り出来上がったテレビは主に日本製で、このようなタイプをハイエンド製品といいます。つまり、多くの日本企業は高付加価値で高品質だが高額な製品を売るハイエンド市場で競争しています。

そこに目を付けたことでテレビ市場に脅威を与えた事例を紹介します。北米でも日本製のテレビが販売されていましたが、そこにサムソンやLGなどに代表される韓国製のテレビが登場しました。このとき、韓国製は日本製よりも低価格で販売されました。

つまり、消費者の単純なニーズに対する適正価値を提供する低価格の製品、ローエンド製品として市場に参入しました。それに加えて、日本製は高品質で壊れないが高い、しかし韓国製は壊れるリスクはあるが無料で修理を行う、といった売り文句をつくったといいます。その効果もあって、韓国製のテレビは北米で日本製以上のシェアを獲得して北米におけるテレビ市場を変えました。

こうして力をつけた韓国企業は、ハイエンド市場でも通用するほどに技術革新を重ねることが可能になります。そしてついに、韓国製のハイエンド製品も誕生し、現在では日本の家電量販店でも韓国製のハイエンド製品やローエンド製品が販売されるほどに成長しました。この事例において、韓国企業はテレビ市場にローエンド型破壊的イノベーションを発生させたといえるでしょう。

前述したローエンド型破壊的イノベーションは、追加的機能によって進化している製品の本質を見直して、その本質にのみ対応した製品を生産することで価格に差をつけて起こったイノベーションであると言い換えられます。この本質に立ち返るという事例が派生していることは、テレビにおける本質的な進化はすでに停滞していることを裏付ける十分な要素だと考えます。

最後に

今回は、イノベーションが停滞している例としてミシンを取り上げた後、テレビにも同じことが言えるのではないかと思い考察を進めていきました。

これを通して、現在市場で販売されている多くの製品、特に家電製品も、実は本質の観点から言えばイノベーションの停滞が発生しているのではないかという疑問が生まれました。また、追加的機能による進化よりも、製品そのものの機能を向上させて消費者のニーズ及び製品の本質を変えていくことがいかに困難であるかを感じました。

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