ミシンの謎に迫る

ミシンの歴史や広がりを紹介しています。
グローバルな旅を一緒に楽しみましょう。

内容の多くは自分の著書にもとづいています。
出版社のページにも、ぜひお立ち寄りください。

出版社のページへ

ブラザー

ミシンのアンケート

毎年ハロウィンかぼちゃやクリスマスツリーの装飾品を一緒に作った

私や兄弟が中学校や高校に進んでいくに連れて母がミシンを使う頻度は低くなっていきました。大きくなっていくに連れてハロウィンやクリスマスなどの行事ごとへの関心が薄くなっていったことが大きな要因になっているのではないかと考えています。
ミシンのアンケート

ジグザグに縫えたりボタンホールを作成できたりして感動した

高校2年生である1974年頃に写真でアップしたミシン・メーカーのブラザーのミシン教室に、1日のみではありますが通っていたそうで、小中学校で習った内容よりもより詳しくミシンの扱いを習い、またブラザー・ミシンの特徴等の講習もあったそうです。
ミシンのアンケート

父が習い出したのはここ10年のことで47・48歳の頃です。

父が習い出したのはここ10年程前ですので、47・48歳の頃に習ったそうです。ミシンを持ち、自分で布から物を作ったり手直しする事で、ショップで売っているようなものだけでなく、オリジナリティ溢れる物を自分で作れる喜びがあるらしいです。
ミシンのアンケート

上糸がうまく針の穴に入らず、また下糸を引き出すのにも苦労した

ミシンに対しての思い出は3つあり、1つ目は中学校の頃に授業で初めてミシンを使用して縫い物をしようとしたときに上糸がうまく針の穴に入らず苦労したことと、下糸を引き出すのに苦労したことです。母は現在ミシンを使わないようになりました。
ミシンのアンケート

学校で学んだミシンは電動ミシンではなく足踏みミシンだった

祖母は1970年〜1976年に中学校・高校の授業で先生からミシンの扱い方や裁縫を学んだそうです。当時、学校で学んだミシンは電動ミシンではなく、足踏みミシンであったそうです。時系列的には、その5年後くらいに祖母はこの電動ミシンを購入しました。
ミシンのアンケート

小学校の授業で手動ミシン、家で電動ミシンの使い方を学んだ

小学校で当時3、4年生の時に学校の授業で手動ミシンの使い方を主に学び、その時に家に電動ミシンがあったために学校で習ってきた事を生かしミシンをいじっていたそうです。母は一人っ子で両親が共働きという事もあり、家で一人の時間が多かったのです。
ミシンの広告

ブラザーミシンの広告 : 1966年

この頃(1966年)にはブラザー社が多角経営に乗り出していたことが分かりました。左下の取扱製品による形容は「ミシン・編機・家庭電器製品・事務機器」となっています。星由里子は高度成長期頃の映画史を調べいると必ず出てくる東宝所属の女優です。
ミシンのアンケート

私たち姉妹に服やカバンを作って喜んでいたことが一番思い出

ほぼ独学での知識だと言っていましたが、小学校の家庭科の授業で学んだ知識も少し含まれているそうです。母は編み物やミシンでモノを作ることが好きだった様で、昔私たち姉妹に服やカバンを作って喜んでいたことが一番思い出に残っているそうです。
ミシンのアンケート

妹の体育祭の衣装を作らされ母からミシンの使い方を教えてもらった

ミシンに対しての思い出はやはり妹の体育祭の衣装を作らされたことです。作らされた時に私は大学生で、もうあまりミシンの使い方を覚えていなかったので母に教えてもらいながら作りました。ミシンに指を挟みそうになりながら夜中の12時頃まで頑張っていました。
ミシンのアンケート

祖母が当時かなり高額だったミシンを積み立てで母に購入した

1974年に入学した周山中学校の家庭科の授業でパジャマの縫製における使用。教室40人で当時最新のミシンという機械を使い縫う事に面白さを感じた。母の祖母が当時20~30万程度の高額であったとされるミシンを積み立てで購入してくれた。