子供にミシンが必要な理由

呉服屋のわがまま末っ子娘:シンガー MON AMI II deluxe 390

シンガーミシンの思い出
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このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

呉服屋のわがまま末っ子娘:シンガー MON AMI II deluxe 390

私は取材者の母です。今回は、取材者の長男からミシンのことについて聞かれたので、話せる限りお伝えできればと思います。

私が今もなお愛用しているミシンはシンガー社の「MON AMI Ⅱ deluxe 390」です。このミシンはとにかく使いやすいです。本当に、それに尽きます。壊れても使い続けていきたいと思います。

ミシンとの出会い

私がミシンと出会ったのは6歳の頃でした。私の両親が呉服屋を営んでいたので、生地やミシンは幼い頃から馴染みがありました。

私が6歳になり小学生になったとき、給食袋や体操服入れなどの小物は可愛いものが良かったのです。そこで私の母が可愛い布一枚から揃いの給食袋と体操服入れを作ってくれました。それが本当に好みで可愛くてお気に入りになり、こんな素敵で便利な道具があるのかという衝撃的な出会いをしました。

結局、母が作ってくれた揃いの給食袋と体操服入れは、中学校卒業まで使い続けました。中学生になると同時に、私自身もミシンを使って何か作りたいと思うようになり、夜、母に教えてもらうようになりました。初めて作ったものは、父にプレゼントしたハンカチでした。ミシン目も汚く、変な折り目がついてしまったのにもかかわらず、毎日欠かさず後ろのポケットに入れてくれていて、本当にうれしかったのを覚えています。母は本当に器用で、私も早くイメージ通りなものを作れるようになりたいと思うばかりでした。

家族関係に雲がかり

しかし、中学2年生の時、母と大喧嘩をしてしまいました。それ以降は部活に没頭するばかりで、夜に母にミシンの扱い方を教えてもらうことはなくなりました。それどころか、ミシンに触ることが全くなくなり、家族と話すことも急激に減ってしまいました。

いま思えば、私も反抗期で、何かと部活のことや普段の勉強でストレスが溜まっていたのかなと思います。今なら申し訳ないことをしたなと反省できます。

今もなお使い続けているミシンとの出会いは高校入学の時でした。これを機に、家族との蟠りもなくなりました。

シンガー モナミミシンとの出会い

シンガー モナミ II デラックス390

シンガー モナミ II デラックス390

中学でやっていた体操で推薦をいただき、高校のⅢ類コースで入学しました。入学に際して、母から入学祝いをしていただきました。それがシンガー社の「MON AMI Ⅱ deluxe 390」でした。

このミシンは1970年製で今から50年も前の話になります。私が生まれ、小学校入学の時にミシンに興味を持ち、自分で扱い始めるようになったときに、親が私に購入してくれていたのです。その価格は当時で90000円ほどであったそうです。

本当にうれしく、感謝の思いを伝え、それと同時に反抗し続けてしまったことに対して謝罪をしました。すると親は、「また何か作ってみせてね」と優しい一言をかけてくれたことを鮮明に覚えています。それからミシンを再開し、まずトートバッグを作りました。ミシンを巡って、このようなエピソードがあるのは非常に珍しいことと思いますが、呉服屋に生まれ、小さい頃から関わる環境であったからこそだと思います。

親から子へ

私は25歳で結婚し、26歳で息子(取材者本人)を生みました。母が私にやってくれたように、おむつ入れや布団など、子供に対してやってやれることはしてあげようと意識しました。

息子は小学生の頃ダンスを習っていたため、衣装作りでミシンを使うことが多かったと思います。野村テーラー(ノムラテーラー)で可愛い生地を買っては、何か新しい衣装を作ることは出来ないか、よく試行錯誤していたのを覚えています。

衣装作りにおいて難しかったことを挙げるとすると、デニムに斜めのバンダナ柄を入れた衣装です。ミシンに慣れるまでは、二枚ともミシンで縫ってしまい、袖が通らない事がよくあり、加えて斜め状に柄を入れるため、回しながらミシンを通していく作業が非常に難しかったです。

息子はいろんなジャンルのクラスに参加していたため、作らないといけない衣装も多く、ショーケース間近の時期は夜更かしを続け、衣装作りに没頭していました。「ステージで人一倍輝いてほしい」「練習の成果を存分に発揮できるように」といった願いを込めて作っていました。

また息子の7歳下に次男が生まれたのですが、次男も長男同様、いろいろ作れと言われるかと思ったのですが、驚くことに「全部お兄ちゃんので良い」というのです。幸いな事に長男に作ったものの物持ちが良かったので長男に対して次男には全く作っていません。しかし、次男も難なく使えたのは親がくれたミシンの性能が良かったからだと思います。

私の手で作ったものだと考えると息子たちも大切に使ってくれたのかも知れませんが、長く使えたという事実から自身を持つことが出来ました。息子たちも私の小さい頃同様に、ミシンで作ったものに喜んでくれて、私もまた、ミシンを知れて良かったと思いました。

ミシンは今

現在、ミシンはここ5年ほど使うことはなくなりました。息子たちが大きくなると私の時間も少なくなり、ミシンを触らないようになりました。ミシンは今自宅の納戸の一番奥に眠っています。今はミシンと言うよりも、親からの大事なプレゼントという意味で大切に保管しています。

冒頭で少し書きましたが、このミシンは50年前の当時で90000円だったので、興味本位に「メルカリ」で出品されている値段を調べてみると、4000円で売れているものを見つけました。最近のミシン離れを深々と感じました。

あなたにとってミシンとは?

繋げてくれたキューピットのような存在です。ミシンがあったおかげでたくさんの思い出とエピソードが生まれました。

決して操作が簡単なものではありませんが、人に作り渡すことにおいては最も適しているのではないかと思います。時間がかかる作業なので自然と想いも込めることができ、クリエイティビティに優れた人なら必ず使いこなすことが出来ると思います。

しかし、ミシンの普及率が昔と今では大きく変わってしまったと感じることが多く、非常に物寂しく感じています。私が幼い頃は野村テーラーなどの生地を売るお店がもっと多く見られましたが、今は完成後の”製品”を売るお店ばかりです。コロナウイルスが流行し、自宅自粛が続く中、今一度初心に返ってミシンに手を伸ばす人が増えないものかと思うばかりです。

私もまたミシンを再開しました。夫の弁当を入れていた巾着がついに破けてしまったので、先月再度作ってあげました。またマスク作りも挑戦しています。一箱2000円ほどになってしまったマスクですが、薬局で材料を集めればミシンで作ることが可能です。選択も出来るような丈夫なものを作ることが出来たので、マスクには困っていません。

コロナウイルスの影響で自宅での時間が増えていますが、その時間をどう使うのかはそれぞれやり方があると思いますが、何か新しいことに挑戦してみてはいかがでしょうかと思います。

感想

母親をインタービューアーとして書いてきましたが、ミシンという機械1つからこれほどの家族に関するエピソードを聞くことが出来たことに驚いています。インタービューアーのようにミシンに思い入れのある方は多いのではないでしょうか。

私のように今回の自主学習レポートで、聞いたことのない家族の話を聞くことが出来た人がたくさんおられるような気がしています。自宅自粛が続く中、今回のようにたくさんコミュニケーションをとることが出来た事に感謝いたします。ありがとうございました。

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