子供にミシンが必要な理由

私の生活を支えた宝物:ジャノメ メモリークラフト6500

ジャノメミシンの思い出
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このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

私の生活を支えた宝物ジャノメ メモリークラフト6500

  • インタビュー対象者とはどういう関係にあるか:母親
  • インタビュー対象者が振り返るミシンのメーカーはどこか:ジャノメ
  • インタビュー対象となるミシンの番号は何か:メモリークラフト6500

学生時代の私ととミシン

私の家には、私が生まれたときから足踏みミシンがありました。母が結婚のときに持ってきたものです。ミシンの使い方は中学生頃に母によく教えてもらっていました。

ですが、そのミシンが古くなってきたことに加えて、私が京都女子大学の家政学部被服科に合格したことをきっかけにミシンを新しいものに買い替えることになりました。いろいろな機能がついている電動ミシンで、208,000円もするものを両親が買ってくれました。1986年頃だったと思います。とても嬉しかったことを覚えています。

足踏みミシンはよく絡まったりしたので少し使いにくかったのですが、電動ミシンを使うと今までより気軽にものを作れるようになりました。

京都女子大学家政学部被服学科は、1949年に開学しました。同学科は1993年に生活造形学科へ改組されました。

ミシンで一番初めに作ったトートバック

一番初めにそのミシンで作ったのは青色と白色を基調にしたキルティングのトートバックでした。実用性に長けていたのもありますが、まだ服の作り方を知らなかったので、トートバックを作ることにしました。

先ほど、「いろいろな機能がついている電動ミシン」と紹介しましたが、一番驚いた機能は文字や絵の刺繍が入れられる機能です。数字をはじめとして英字やひらがな、そしてワニやペンギンの絵まで刺繍で入れることができます。その機能を使ってみたいと思ったので、トートバックのポケットに名前のイニシャル「MM」と入れました。とてもうまく作ることができたので、そのバックを持って大学に行くことも度々ありました。

初めての洋服作り

初めて洋服を作ったのは、大学の授業のときです。自分用の襟付きのブレザーとプリーツスカートを作る授業でした。大学で作り方を教えてもらい、家のミシンを使って作りました。採寸をして、自分のサイズにあった型紙を作るという作業も初めてで、とても新鮮な気持ちでした。

自分のためのものだったので、少々失敗してもいいやという気持ちで、落ち着いて楽しく作ることができました。洋服はトートバックよりも繊細な作業が多くて難しかったのを覚えています。また、ミシンの使い方を詳しく母に教えてもらったりもしました。

初めてにしては上手に仕上げられたと思いますが、政策にとても時間がかかり大変でした。スカートは私服としてよくはきました。今までは、ほぼ独学でいろんな簡単なものを作っていただけで洋裁をならってなかったので、この洋服作りはとても勉強になりました。

就職後の私とミシン

ジャノメ・メモリークラフト6500

また、働き始めてからは、もっとレベルの高いものを作ってみたいと思い、滋賀県の旧愛知川郡愛知川町にあった洋裁学校に1年くらい通いました。1991年頃のことなので、今ではその洋裁学校はなくなっています。

妹のための洋服作り

そこではまず、ブラウスとキュロットのセットアップを作りました。今回は自分ではない誰かのために作るというお題でした。私は妹のために作りました。自分のために作るときと違って、他人の身体のサイズに合わせ、好みを再現するのは想像以上に難しく、緊張感もありました。

二人で生地を買いに行ったりもしましたし、とにかく何度も相談を重ねて作りました。気に入ってくれるかどうか、不安な気持ちもありましたが、生地をミシンで縫うときは、喜んでくれたらいいなと思いながら作業をしていました。完成したとき、妹はとても喜んでくれました。本当に嬉しかったですし、なによりも、今までに味わったことのない達成感を味わうことができました。

他人のためにミシンを使うこと

妹が喜んでくれたのが嬉しくて、フレアスカートのスーツも作りました。このスカートは、今は私の娘がたまに着ています。こんなにも長い間、使ってくれる人がいるのはとても嬉しいです。

この洋裁学校での服作りをきっかけに、簡単なものは要領よく作れるようになり、自分が作りたいものを形にできるようになってきました。そして、人のためにこのミシンを使うことを覚え、自分なりに色んなものを作りたいと思い始めました。

結婚後の私とミシン

そのミシンは一応家族共用で使っていましたが、一番使用していたのは私だったので、結婚のときに持っていくことに決まりました。このミシンはとても気に入って使っていたので、これからもずっと使えるという風になって本当に嬉しかったです。

子供のために使うミシン

そして私は子供を授かりました。子供がまだ私のおなかの中にいるときに娘のためにおくるみ、よだれかけ、手袋を作りました。

女の子が生まれてくると聞いていたのですが、もし男の子が生まれてきても良いように、黄色の生地を使って作りました。うまく作ることはできましたが、娘は手袋をつけるのが嫌いらしくてすぐにとってしまいました。

娘の習い事で大活躍したミシン

そして娘が成長し、育児も忙しいので趣味でミシンをすることもほぼなくなっていたときに、ビッグイベントが起こりました。小学校二年生になる娘がダンスを習い始めたのです。

そのダンス教室では、親が娘のダンス衣装を作ることが必須条件でした。先生からは衣装のイメージ図を渡されるだけで、他のママさんたちと相談しながら作り方を一から考えなければなりませんでした。

縫い方、布の種類をはじめとして考えなければならないことだらけで本当に大変でした。ひたすら試作品を作り、イメージ通りに仕上がっているか、動きやすいかなど工夫を凝らしました。数え切れないほど失敗もして、そのたびにミシンで縫った頑丈な糸をほどくのがかなり大変でした。この衣装作りは、学生時代の経験がなければやり遂げられなかったと思います。完成した衣装を着て、楽しそうに踊っている娘を見ると、とても嬉しくなりました。

現在の私とミシン

今では娘は大学生にもなり、ダンスをやめているので衣装を作る機会はあまりありませんが、私が母にミシンの使い方を教わったように、私も娘にミシンの使い方を教えています。

娘は私に似て裁縫が好きなようなので、高校のときは体育祭のダンスの衣装担当を引き受けてくることもありました。その時は、デザイン、作り方、布の種類、などを一緒に考えました。もっと娘が裁縫に興味を持ってくれたら嬉しいです。今は、雑巾を作ったり、服の破れた部分を縫ったり、服のほつれた部分を縫ったり、主に日常生活で使っています。

10代から今まで、これだけ長い間使っていると流石に少し壊れかけていますが、まだまだ手放したくないので大切に使おうと思っています。このミシンは、他には変えることのできない私の相棒です。

最後に

私の母は、とにかく裁縫が大好きだと思います。私が幼いころに手芸を教えてほしいと言うと喜んで教えてくれました。

ミシンは危ないのでなかなか使わせてもらえませんでしたが、高校生くらいから今にかけて少しずつ教えてもらっています。しかし、このミシンは母が大学生になるときに買ったものなので、購入してから34年にもなります。

かなり古いので調子が悪いことがよくあり、手元を照らすライトは壊れてしまってもう点きませんし、糸が絡まったりすることもあります。私は、裁縫好きの母のために新しいミシンがあったほうが良いと思い何度か新しいものを購入することを勧めたことがありましたが、まだ使えると返事をするだけでした。

今回初めてミシンについて詳しく話を聞いてみて、母とこのミシンとの繋がりは思っていたよりもよほど強いことを知りました。母がミシンを手放したくない気持ちはよくわかりますが、調子の悪いミシンを使い続けるのも危険で良くないと思うので、これからは修理を勧めたいと思います。

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