子供にミシンが必要な理由

子供の成長を見守るブラザーCPV7101

ブラザーミシンの思い出
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このページは、同志社大学生に課した自主学習レポートを転載したものです(同志社大学「日本経済史1」2020年度)。転載には事前に許諾を得ています。

自主学習課題として、ミシンを使った人生を振り返ってもらうインタビューをしてもらいました。そのため、本文の大半の1人称は被取材者で、記事の最後のまとめ部分は取材者(レポートの執筆者)となります。ご留意ください。他にもミシンの歴史やミシンの進化に関するテーマを書かれた学生もいらっしゃいます。いずれも、若干の訂正や修正を経て掲載しています。

子供の成長を見守るブラザーCPV7101

子供のために購入したブラザー

購入経緯

今から7年前、双子の娘が幼稚園に入学しました。その際に、幼稚園で使用する用具を作るために、現在も使用している家庭用のブラザーをショッピングモールで購入しました。支払いはクレジットカードで行いました。娘たちの新生活が始まることを考えると、私自身も新鮮な気持ちになったのを覚えています。

何に使ったのか

私には、双子の娘と、その2歳下の息子がいるのですが、3人ともの入園バッグや上靴入れを作りました。娘たちには、切り替えデニムを生地に使って、リボンやレース、内ポケットなどもつけて、かなり工夫を凝らしたものを作ったと思います。息子には、私の母が買ってくれたジーンズを使って、靴入れを作りました。どれも、子供が幼稚園へ毎日持って行くものなので、より良いものを作ってあげようという思いがありました。

現在のブラザー

brother CPV7101

使用頻度の低下

やはり、子供たちが成長するにつれて、作らなければいけない物も減っていったので、自然とミシンの使用頻度も低くなってきたと思います。

最近でのミシンが活躍する機会は、娘たちのバレエの発表会です。年に一度、双子の娘たちのバレエの大きい発表会があるのですが、そこでは私が衣装を一から作ってあげます。娘たちが輝く晴れ舞台ですので、娘たちの要望を聞きながら、時間をかけて、いつもクオリティの高い物を目指して作ります。

また、双子であるため、全く同じ物を2つ作らないといけません。完成度に差が生じてしまわないように、2人の少しの体格差なども考えながら作るため、毎回苦労します。しかし、頑張って作った衣装を着て、嬉しそうに発表会に向かう娘たちの姿を見ると、「頑張ってよかった」と、親としては毎年嬉しい気持ちになります。

また、息子は自閉症を患っているのですが、療育の際に、市販のものを扱うのは息子には少し厳しいです。ですので、息子の療育に使うものは基本的に私が作っています。

例えばエプロンを例に挙げると、首を通す部分にはゴムを入れて首を通しやすくします。そして、療育目的は蝶々結びであるため、ひもは長めに作って体の前で結べるようにします。このように、そのときの息子の療育目的に合わせて工夫を凝らします。療育には色々と難しいこともありますが、元々私は何かを作るのが好きなこともあり、我が子のためなので苦ではないし、楽しく作っています。

ロックミシン

家にはもう1台、ロックミシンがあります。このロックミシンは、2本がかりで、布を切りながら端処理をしてくれる、非常に便利なミシンです。普通のブラザーミシンと併用することで、作れるものの幅が広がります。ですので、このミシンもブラザーと同様に活躍しています。

ミシン技術の習得

専門学校での学び

ミシンの技術は、上田安子服飾専門学校で学びました。当時は、阪急沿線で上新庄から梅田まで、約20分かけて通っていました。

私が入学した当初は、同期の生徒が60人ほどいましたが、1年生終了後には30人、2年生終了後には20人と、大幅に人数が減っていきました。そのことを考えると、厳しい学校だったのかなと思います。

学んでいた内容としては、月に1着を作るペースで、製図や裁縫を主に勉強していました。3年生になると、パターン科・デザイン科・オートクチュール科・染色科・ニット科などに分かれます。私は、その中でもデザイン科を選んだので、3年生になってからはミシンを扱うことは少なくなり、絵を描く授業がほとんどになりました。専門学校に入学する以前から作ることが好きだったので、授業などでは、もちろんしんどいと感じるようなこともありましたが、楽しく過ごしていたと思います。

上の段落はとても大切なことを書いてくださっています。服飾系や裁縫系の専門学校は、20世紀第4四半世紀に学生数を減らしてきました。アパレル産業の多くが海外移転したことと、家で作る文化や習慣が急減したことが理由です。ミシンの減少も同じです。詳しくは「洋裁学校:1970年代まで流行した裁縫教育組織」をご覧ください。

パリでのファッションショー

上田安子服飾専門学校での一番印象的な思い出は、パリでのファッションショーです。私が1年生の時に、ファッションの本場であるフランスの、パリのエッフェル塔で、学校からファッションショーを開催しました。

しかし私は、パリに来ているという高揚感や、自分たちの作品がショーになるという緊張から、寝付くことが出来ずに朝方に眠りについたので寝坊をしてしまい、集合時間に遅れてしまいました。そして、先生に非常に強く怒られたことを今でも鮮明に覚えています。しかし、このパリでファッションショーをしたという経験は、これまでの私の人生の中で最も大きいものになりました。

思い出のミシン

これまでにいくつかのミシンに触れてきましたが、現在使用しているブラザーミシンのほかに、もうひとつ思い出のミシンがあります。工業用ミシンです。

私は子供が生まれる以前、ある会社のパタンナーをしていました。その会社のサンプル室には、見たことのないような様々なミシンが揃っていて、それらに触れることが本当に楽しかったです。特にメロー・ミシンは、生地の端をレースのように波打って処理することができ、非常に魅力がありました。

また、工業用ミシンは基本的に、手はずっと生地に触れたままで、足でスイッチの切り替えや糸切りを行い、速いスピードと強い馬力で作れます。そのため、作業効率が上がり、実用的で、私には楽しいミシンでした。

他大学も含めこれまで1000件近いアンケートをしてきて、メロー・ミシンが出てきたことに衝撃です。私にとっても文献やカタログだけのメーカーでしたが、実際に見て、実際に使われた方がいらっしゃるんです。嬉しいです。

私にとってのミシン

ミシンとの出会い

私が初めてミシンに出会ったのは、まだ幼い頃でした。当時祖母の家にあった、もう動かなくなった足踏みミシンです。すでに動かなかったので、使用することはありませんでしたが、曲線で作られた黒く美しいフォルムに、かっこいい金の模様が入り、足踏みの部分まで曲線でできていました。

祖母の家に行くたびに、そのようなミシンを、子供ながらに「素敵だな」と感じて、どこかわくわくしていました。精密機械なのに美しいということが、私には非常に魅力的に見えていたのだと思います。今思い返せば、その時の祖母の素敵な足踏みミシンとの出会いが、服を好きになったことや服飾の専門学校に入ったこと、パタンナーという仕事に就いたきっかけであり、原点だったのだと思います。

ミシンとは

私にとってのミシンとは、便利すぎるもの、そして夢中にさせてくれるものです。私は子供のころから物を作ることが好きだったため、ミシンで何かを作っている時間は非常に楽しく、息抜き、気分転換にもなります。実際に子育てや仕事で行き詰まったとき、なにかを作ることに夢中になることで気分をリフレッシュすることもありました。だから、私にとってミシンは、昔も、今も、これからも、なくてはならないものだと思います。

また、服飾関係の仕事を今はしていないので、趣味程度でしかミシンを使うことはありませんが、趣味程度ならばこのブラザーでも充分使えるし、楽しさも与えてくれます。このブラザーミシンで、これからも物作りの趣味を楽しんでいきたいと思います。

最後に

今回、服飾の専門学校を卒業し、実際に服飾の業界で働いていた方にインタビューできたことは非常に幸運だったと思います。実際に、専門としてミシンを扱ってきた人の話を聞くと、改めて物作りの素晴らしさに気づくことができました。

このことは、ミシンに限らず土木やその他の製品、または料理などにも言えるかもしれません。インタビュー対象者の方は、主に子供の成長や療育のためにミシンを使っていましたが、誰かのために何かを作って、またそれを相手に喜んでもらう。このことは非常に素晴らしいことで、世界に誇るものづくりの国である日本がこれからも大事にしていかなければならないことだと思います。

しかし、洋裁文化においては、ファッション系の専門学校の減少など、薄れつつあると思います。実際に、私の高校の同級生100人のうち、ファッション系の学校へ進学したのは1人だけでした。また、私自身も小学校の家庭科の実習意外でミシンを触ったことはなかったし、私の母もミシンを使わないので、家にはミシンがありません。

そのような中で、私の祖母がよく、私の制服の丈の調節や破れた所を直してくれたり、着なくなった服でカバンなどを作ったりしていたのを思い出しました。数十年前まではそのような光景が家庭などでよく見られたと思いますが、最近では見ることは少ないと思います。つまり、日本人が世界で賞賛されている「もったいない精神」も薄れてきているのだと私は考えます。グローバル化が進んでいく中で、海外の文化を取り入れていくことは重要です。しかし、日本が何十年何百年と大切にしてきた文化や精神を残し続けることはもっと重要なのではないのかと私は思います。

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