この記事では私の著書『ミシンと衣服の経済史―地球規模経済と家内生産―』を紹介しています。
初版は2014年7月に刊行され、売切れとともにオンデマンド版に切替ました。こちらは2017年6月に刊行されました。
出版社のページの宣伝文は次のとおりです。
19世紀後半から20世紀半ばにかけて、シンガー社のミシンは世界を席巻し、東アジアはその最終市場であった。こうした状況下でのシンガー社の日本進出を中心に、近代日本におけるミシンの普及と衣服産業の展開を分析。衣服産業については工場内生産のみならず家内生産にも視野を広げ、これまで断片的にしか知られてこなかった近代日本衣服産業の概要と特徴を明らかにする。(初版2014年)
出典:ミシンと衣服の経済史【オンデマンド版】|出版|思文閣 美術品・古書古典籍の販売・買取、学術出版
ミシンと衣服の経済史 地球規模経済と家内生産
本書は、第1部で近代日本におけるミシンの輸入動向をふまえ、第2部で衣服産業の展開を述べたものです。
第1部
19世紀後半から20世紀半ばにかけて、米国シンガー社のミシンは世界を席巻していました。同社は最終市場となったロシア・オスマン帝国・清朝の3地域へ1880年代に進出を試みました。これらの地域のうち数年で撤退したのが清朝です。
シンガー社の東アジア戦略は練り直され、居留地貿易撤廃後(1900年)の日本で再開されました。その結果、日本帝国の拡大とともに朝鮮や旧満洲へのミシン輸出が促進され、最終的に、シンガー社の中国市場開拓は、華北・華中・華南方面での現地系シンガー販売店、旧満洲方面での日系シンガー販売店、香港でのイギリス系シンガー販売店のように分割統治された形で展開しました。
東アジア市場に普及したミシンの多くは手廻式か足踏式でした。既に1880年代にシンガー社は電動式ミシンを開発しており、東アジア地域をはじめとする外国市場は手廻式や足踏式の在庫処分として機能しました(以上、第2章・第3章)。
この地域差を宣伝活動において埋めたのが「良妻賢母像」の創出でした。20世紀初頭頃までの日本では、女性の結婚時には縞帳とよばれる織物サンプルを「嫁入り道具」として携行されることが多かったのですが、この頃からミシンが「嫁入り道具」として代替されていきました。裁縫をする立派な女性という「良妻賢母像」は東アジアに共通して確認される自称でした(第4章)。
他方で、日本の衣服産業は、19世紀後半に政府主導の軍服生産(既製服生産)と民間主導の注文仕立業において勃興しています。20世紀第1四半世紀には足踏式ミシンが普及しはじめ、第2四半世紀にミシン普及経路が多様化しました。
この流れのもとで、商品化された衣料品は男性向けから女性向け・子供向けへと拡大し、上衣・中衣・下衣等の衣料品、および肩掛・手袋等の関連品が商品化されていきました(第5章)。
第2部
第2部は、上述したミシンの普及と衣服産業の展開をもとに、近代日本の衣服産業がどのような経済史的特徴をもっていたかを、全国統計と氏家文書の2つの点から考察しました。
第1章では、代表的な事業所とミシン設置状況を概括するとともに、アパレル工場の経営像を多く紹介しました。第2章では衣服生産の府県別傾向を分析し、その要因を検討しました。
これらの結果、大規模な工場が中小規模の工場や家を下請に含んだ複合的な生産体制を多く採用していることがわかりました。また、それらの工場や家で利用されていた材料生地は、織物が広い地域で使われおり、編物(メリヤス)は近代的な部門ゆえに地域の広がりが限定的であるという特徴が明らかになりました。
1930年頃に日本の衣服産業は定型的な状態に到達しました。30年代前半の統計には1事業所あたり平均従業者数が15人程度に固定化されているのです。これは、織物を素材とするアパレル工場(裁縫工場)でも編物を素材とするメリヤス工場でも確認される事柄です。21世紀初頭の統計では1事業所あたり9人ですから、工場経営の定型化が1930年頃に生じたと考えられるのです。
このような全国動向を氏家文書の水準から捉えなおしたのが第3章です。
本章に取りあげた兵庫県姫路市の藤本仕立店は19世紀末に創業し、1950年頃に廃業したアパレル業者でした。
同店は自家生産を行なう一方で、近隣家屋と委託生産も契約していた複合的な生産体制をもっていました。主な製品は生野鉱山労働者向けの仕事着でしたが、全国規模での柔道・剣道の普及とともに、1910年代後半から兵庫県や大阪府などへ柔道着・剣道着(撃剣着)の製造販売を開始しました。また、30年代には学生服の仕入販売も採り入れ、商圏は拡大したが、その後の戦時経済統制において同店の発展は阻害されました。
次いで、複合的な生産体制について、戦前期アパレル産業の一大部門であった製帽業から捉えなおしたのが第4章です。近代製帽業には前近代的な蓑笠から近代的なフェルト帽まで複数の種類が存在しました。前近代的な製品は家内工業として展開し、近代的な製品は機械化された工場(近代工場)で展開していましたが、麦わら帽子などの家内工業による半製品一部はミシン縫製の最終工程だけを近代工場で行なう場合もあることがわかりました。
終章
終章では、複合的な生産体制が戦後になって国際規模に展開された点を指摘し、国際分業の現状と将来を展望しました。
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本書の目次
序章 問題の所在と本書の課題
- 問題の所在―消費財と生産財―
- 本書の課題と構成
第1部 ミシンの特質と普及過程
第1章 繊維機械としてのミシン
- 繊維機械の比較(1)―開発時期と機械化内容―
- 繊維機械の比較(2)―工場動力化率―
- ミシンの特徴
第2章 ミシン多様化の意味
- 米国ミシン会社とイノベーション
- シンガー社製品の多様性
- 多様化と競争基盤
第3章 ミシンの東アジアへの普及
- シンガー社の対東アジア戦略
- 東アジアにおけるミシン普及
第4章 近代女性の共時性と衣服商品化の波
- 服を作る女性―裁縫教育と良妻賢母像―
- 服を買う女性―都市遊歩とモダン・ガール像―
- 二重の洋服化―洋服の普及と伝統服の改良―
- 衣服商品化の時間差
第5章 日本のミシン輸入動向と普及経路
- ミシン台数の推計とミシン導入の略史
- 1883~1894年(第1期):ミシンの初出
- 1895~1913年(第2期):足踏式ミシンの普及
- 1914~1937年(第3期):ミシン普及経路の多様化
- 1937~1945年(第4期):輸入の途絶と国産の台頭
- 小括―ミシンと衣服産業―
第2部 衣服産業の形態と展開過程
第1章 衣服産業の類型―規模と生産体制―
- 衣料品部門産業化の概要と概念
- 全体動向―出荷額の推移と材料生地の傾向―
- 規模別4類型の基準
- 規模類型と諸工場
- 規模の固定化
第2章 衣服産業の地域分布
- 統計類の比較と『工業統計表』の概要
- 府県数からみた分布類型
- 小括
第3章 中規模工場の経営動向―藤本仕立店の生産体制と多品種性―
- 藤本仕立店の概要
- 生産体制―自家生産と委託生産―
- 取扱製品―多品種性と主力品の推移―
- 小括―安定営業の要因に関して―
第4章 製帽業の構造と展開―その多様性と工程間分業―
- 製帽業の位置
- 生産動向
- 製帽業の構造
- 品種別特徴と生産工程
- 小括
終章 ミシンと衣服の経済史―生産体制論と現代―
- ミシンと衣服の経済史
- 現代―裁縫工場の外国移転―
- ミシンと衣服産業の先駆性
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