いろんなミシンメーカーの思い出を述べた記事を紹介しています。

足踏式ミシンと電動式ミシンの思い出
このページでは足踏式ミシンや電動式ミシンについて、主にトヨタ・ミシン「チャーミー1」の思い出を学生アンケートから紹介しています。

1980年代中国で嫁入り道具だったミシン:蜜蜂牌JBI-3
このページでは「1980年代中国で嫁入り道具だったミシン」と題した、上海缝纫机三厂(上海ミシン第3工場)の「蜜蜂牌JBI-3」の思い出を学生アンケートから紹介しています。母の愛情を込めていたミシンは、家族全員にとってとても大切なものです。

祖母の思い出が溢れるミシン:ヒョプジン(HYUPJIN)
「祖母の思い出が溢れるミシン」と題した、ヒョプジン社製ミシンの思い出を学生アンケートから紹介しています。大型のミシンのペダルを踏むと、うるさい音を出しながら布が新しいものに変わっていく姿を見ることが不思議で好きでした。

子供の成長とともに思い出すミシン:TAVARO S.A. ELNA TYPE57
スイス・ジュネーヴのタファロ社(TAVARO S.A.)の「ELNA TYPE57」の思い出を学生アンケートから紹介しています。今の母にとってのミシンの思い出となると、昔の自分のために買い、使ったというより子供である私の成長とともにあった気がする。

ミシンを使って自分の思いどおりに作る楽しさ
母はハンドメイドが大好きで、自分だけの一点物が作りたいという思いから当時では高価だったミシンを購入したらしい。布屋に足を運んで色とりどりの多くの生地の中から選び、自分の思い通りに作る楽しさは分かる人にしか分からないとのこと。

ミシンが家に来てから親子でよく喋るようになった
それまで家にあまりいない祖母に怒りを感じ素直な態度をとることができなかったが、ミシンが家に来たことをきっかけによく喋るようになった。ミシンは材料を自分で探して用意し、自分なりの作り方で作品を仕上げるので人と被らずオリジナルのものができる。

ミシンの音はリズミカルで人に落ち着かせる力がある
わたしは中学の頃、ミシンの音が好きでした。ミシンの音はリズミカルで人に落ち着かせる力がある。母はワークルームでミシンを使っているとき、わたしはよく隣の机の前に座って学校の宿題をやっていたです。今はあの頃のことを幸せの思い出だと思います。

母親は叔母さんの家でミシンの使い方を勉強
母親は叔母さんの家に住んでいたり、ミシンの使い方を勉強したり、叔母さんの子供を世話したりしました。一年ごろにミシンの使い方の学業をおさめました。そして23歳の時に新しいミシンを買いました。母親は結婚した後にもずっとミシンを使っていました。

中学を卒業してから裁縫店を開業してお金を手に入れた
蜜蜂牌缝纫机(ミツバチ・ミシン)。おばさんにミシンを学んだ理由を聞いた。最初にはお店を作る動機がなかった。ただの将来に一つの技術を身につけるだけだった。そのときには、そんなに裕福の家庭ではなかったので、最後には店を作って、お金を手に入れたのだ。

ドレスメーカー女学院を出て洋装店で3年間ほど就職
ドレスメーカー女学院に行った後に洋装店で3年間ほど働きました:結婚して自分で洋装教室を開いて、プラスアルファの技術を本などを読んだり、お友達のミシンが得意な人たちと一緒に協力したりしながら技術を向上させました。嫁入り道具の思い入れがあります。