昔に担当していた授業で学生たちに回答して頂いたミシンアンケートの結果や文章をまとめています。テーマはミシンの思い出をご家族などにインタビューすることです。過去のミシンを人生に重ねて描いた文章の数々。できるだけ型番や商標なども併載し、ミシンのちょっと心温まるお話をたくさん載せています。
ミシンの歴史を垣間見たり、レトロなミシンを眺めたりしてください。
アンケート対象者の方の当時の居住地も市群レベルで項目に入れています。これは洋裁学校との距離を図ろうとしたものです。しかし、対象者の世代によっては、洋裁学校や洋裁教室に行かず自分の母からミシンを教えてもらったというアンケート結果が集中し、居住地のアンケート項目が浮いた形になっています。これもまた、ミシンや洋裁の歴史の灯を感じるところです。
言い換えると、アンケートの対象者が学生の母であることが大きな理由です。
学生のお母さん方は40代または50代が多く私の世代に近いです。この世代になると、洋裁学校や洋裁教室に通う人口がガクンと減っています。また就職し始めたのが1980年代また1990年代ですので、日本のバブル崩壊の直前直後ということになります。
そのため、アパレルに勤めたアパレル工場でミシンを踏んだという方がいません。でもアンケートの対象者がもし学生たちの祖父母であった場合に、洋裁学校や専門学校に通っていたという方は一気に増えるはずです。またアパレル工場に勤務したことがあるという方も増えるはずです。
アンケートの全体からは、そのような世代が50代の息子や娘にミシンを教えたという構図が見えてきます。そうしますと、自分に染みついたミシン裁縫や手動裁縫は、実は親子で教えれる技術に過ぎなかったということも分かります。それを洋裁教室が洋裁学校というのは、大げさに高度な技術を身につけるという宣伝によって、1970年代ころまでかなり誇大に宣伝して学生を集めたんだということも分かります。