洋裁趣味から活かされた布製品:シンガー社製ミシン25年の軌跡

シンガーミシン
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この記事ではミシンのエピソード「洋裁趣味から活かされた布製品:シンガー社製ミシン25年の軌跡」をご紹介しています。

インタビュー対象者はインタビューアーの母親です。

これから振り返るミシンはシンガー社の「モナミ エクリュ」1860型です。

小さい私たちに使われたミシン

私がミシンを購入した年と日にちは正確には覚えていませんが、おおよそ25年前です。

その当時にどんなことに使っていたかは覚えていませんが、それから数年ほど経った頃に子供が生まれると、カットソー(ワンピースやサスペンダーに近い服)やシャツ、ワンピース、浴衣などの子供服を作るのに使うようになりました。

それらは私が自分でデザインしたのではなく、服作りに関する多くの本を買って、その手順に従って作りました。

ですが生地は自分で用意するので、子供にどんな柄が似合うかと考えながら選んでいました。子供は2人いたので2人分の服を作っていて、それらを着せると家族で様々なところへ出掛けていました。

その時の服と制作の参考にした本のいくつかは、現在も家の物置に保管してあります。服は今出してみると、かなり時間が経っていたために色がくすんでいました。

子供たちが小学校に入学すると、学校に持っていくためのカバンや小物をミシンで作るようになりました。主に鍵盤ハーモニカを入れる細長いカバンや体操服を入れる巾着袋、給食袋(給食を食べる時の箸や机に敷く布を入れる袋)、ティッシュケースなどです。

上の子と下の子で色を分けて作っていました。

またそれらの一つ一つには名前を印字した布製のステッカーを貼っていました。

小学校に入って間もない頃の子供はよく小物に限らず上着すら失くしてしまうことがあったので、このようなひと手間が必要だったと思います。それらが破れたり解れたりした時は、その箇所の修繕もしました。

そういえば、その頃にはもう子供の服は作らなくなっていました。まだサイズが小さい頃はよかったのですが、大きくなると作るのが難しくなるのです。

中学生以降になるとカバンや小物も作らなくなったので、ミシンの使用機械は以前と比べ大幅に減りました。体操着のゼッケンをミシンで縫っていたことはありましたが、それも高校生になる頃にはもう子供がミシンを使わず自分自身の手で縫うようになっていました。

その他に学校行事で衣装を制作することがあっても、自分でミシンを使うようになっていました。

ですがその時は、子供にミシンの使い方を少し教えたことがありました。

子供は小学校やあるいは中学校の授業でミシンを扱う技術を学んだはずなのですが、あまりミシンを扱い慣れていなかったようなので、衣装制作はものすごく大変なものになっていました。

それでも何とか完成の期限には間に合ったので良かったと思いましたが、同時に子供もより上手くミシンを扱えるようになったのではないかと私は感じました。

小学生で身につけたミシン技術

詳しくは覚えていないのですが、私はミシンの扱い方を地元の亀岡市の小学校の家庭科の授業などで教わったと記憶しています。

普通の公立小学校であり、また特別に学校以外の教室で教わった経験はありません。

最初の頃は小学校で習ったことを踏まえつつも、このミシンは使用の手びきなどを見ながら使っていたと思います。

シンガー社製ミシン25年の軌跡:「モナミ エクリュ」1860型

そのミシンは数年ほど前に、当時高校生だった子供が自分で使う小物類や文化祭で必要な衣装や小物を作ったのを最後にしばらく使われていませんでした。

その時からミシンは少し調子が悪かったと聞いていました。それに加えて厚地を重ねて縫っていたためか、ミシン針が折れたこともあったようです。

その後つい最近になって、新型コロナウイルスの爆発的流行に伴うマスク不足のため、布製マスクを自作しようと使用したところ、ついに壊れてしまいました。

その時に作成していた布製マスクは両端の糸がぐちゃぐちゃになっていて、恐らく下糸を巻き取っている部分が動作不良を起こしたのだと思われました。それなりに長い間使っていたのでもう寿命が来たのかもしれません。

マスクをどう制作するかという問題については、壊れていたのが返し縫いをする部分だけと見えたので、そのまま使い続けることにしました。普通に縫うこと自体はできたので、返し縫いだけミシンを使わず自分で縫いました。

このような状態となりましたが、今のところミシンを修理に出したり、新しいものを購入する予定はありません。

というのも元々最近は使用頻度がものすごく低かった上、今後必要になるかどうかもわからないからです。それにミシンは修理に出すにしても新しく買うにしてもお金がかかります。

私はこれが裁縫を趣味にしづらく思う要素の一つになっているのではないかと思いました。

マスクは今のところミシンの最後の思い出です。

使った生地は過去に何かを作ったときの余りで、作り方の参考にしたのは本ではなくインターネットでした。

ウェブサイトから画像を取り込んで印刷したものを、そのまま型紙に使えるようになっていました。これにはどこか時代的な変化を感じました。

洋裁趣味から活かされた布製品

インタビューアーは、物心ついた頃からずっと家の物置の一角を占めるミシンにもかかわらず、その名前をこのレポートに取り組むにあたって初めて知ることとなりました。

その理由として、インタビューアーにとってこのミシンの思い出は、数年前に高校の文化祭の衣装や小物類を作ったことくらいしかないことが挙げられます。

それまで自ら積極的にミシンを使って何かを作ろうと思ったことは全くもってなかったにもかかわらず、何故急にそれらを作る意思を持ったのかはわかりません。

ただミシンを使った時、小学校で使っていたカバンの布の切れ端が押さえの部分に挟まっていたことを覚えています。何のための布だったのかはよくわかりませんでした。

ミシンの愛着は人それぞれ

またインタビュー対象者(母)がミシンにあまり思い入れがあるようではなかったこともあって、インタビューアーは生活に必要な家電と同じようにミシンは一家に一台あるのが当然のものだと思っていました。

そのため持っていない人が多いことを意外に思いました。

服やその他の布製品を制作するのは趣味の範囲に留まっているという事がよくわかります。

母がインタビューアーとその兄弟の服や必要なものを作っていたのも、鍵盤ハーモニカのカバンのようなものに関しては既製品がなかなか売っていないから作るしかなかったという面もありますが、趣味の点が強かったのだろうと思います。

そう思った理由は、インタビューアーが小学生の頃、夏休みの工作の本を探すときに洋裁関係の本が一緒にあり、その中に見覚えのあるものが載っていたのを発見したからです。

服や小物は今ではすぐ買えるものであり、あえて自分で作ることは趣味とみなされるはずです。

少なくともインタビューアーは今後、布製品を自分で作ることはあまりないと思われます。ですがもしかすれば、小物を作ったときのように何かしらの動機ができるかもしれません。

最後に、レポートの題材となったミシンがどこかこだわりの感じられる古いものや希少性のあるものでないことは、個人的に少し残念に思いました。

それゆえに母もどことなく思い入れがないのだろうかと感じずにはいられませんでした。

インタビューアーにとってはミシン本体の使用感や、使用の手びきに用いられているフォントや図に年代を感じましたが、それくらいです。

このことからインタビューアーは、ミシンはあまり代々にわたって残すものではなく、壊れれば必要になったときだけ買い替えれば良いものであり、だからこそ愛着も湧きにくいのかもしれないと思いました。

洋裁趣味から活かされた布製品:シンガー社製ミシン25年の軌跡

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