この記事はいただいたエピソード「アックスヤマザキAG-001が子供の成長の軌跡をたどる」を紹介しています。
インタビュー対象者はインタビューアーの母で、対象となるミシンメーカーは「山崎範夫のミシン」(アックスヤマザキ)、機種は「AG-001」です。
はじめに
私はこのエピソードの作成のために、父親にインタビューを行い、父親にとってのミシンの思い出や人生について語ってもらいました。
これから、インタビューを受けた父親になりきってこのエピソードを進めていきます。
そして、それを受けて私自身はどう考えたのかを執筆していきます。
ミシンのメーカーは通販生活の「山崎範夫のミシン」(アックスヤマザキ)、機種は「AG-001」です。
ミシンの購入経緯
ミシンを買うきっかけは、息子の幼稚園の入園の際に、体操服袋、上靴袋、お弁当袋などの巾着袋を息子のために作る必要があったからです。
また私は、以前から裁縫に興味をもっており、ミシンを使って一つの布から自分だけの作品を作ってみたいという思いがあったのも、購入した理由の一つです。
どこで購入したのか
ミシンの購入を考えていた時に真っ先に目に留まったのが、通販生活で販売していた「山崎範夫のミシン」でした。
他の製品と比較して購入することも考えたのですが、私は山崎範夫のミシンの”初心者でも安全に使うことができる‘’といったキャッチフレーズに惹かれ、また口コミなどの評価の良さもあり、このミシンを通販生活で購入することに決めました。
今でも、私の家庭ではこの山崎範夫のミシンを愛用していて、途中修理に出したものの、今年で使い始めてから17年が経とうとしています。
しかし、今思い返すと他の製品も素晴らしいので、もう少し他の製品との比較をして、購入を考えたらよかったのではないかなと思います。
父にとってのミシンとは
私にとってミシンとは「子供の成長の軌跡をたどる」ようなものです。
今思い返すと、私のミシンは子供の成長とともに、いろいろな場面で役に立ってきました。
息子がまだ幼かった時のことや、ランドセルを背負って登校していく姿、スポーツに打ち込むす姿といったいろいろな場面が思い出されるが、その時々でミシンは大活躍してきました。
子供がまだ幼かった頃、私自身もまだミシンの使い方がわからなかったが、子供の成長とともに、自身のミシンの技術も成長していきました。
つまり私にとってミシンは子供の成長の軌跡のようなものです。
また、子供の成長を願って作ったものとそれを作るために私と二人三脚となって動いてくれたミシンには、思い出がいっぱい詰まっています。
私は、今の息子の成長をみると、昔、息子の成長を願ってミシンでいろいろなものを作った日々のことやその時の情景が思い出され、自分の生きる糧となります。
憧れのミシン
私にとって、ミシンは小さい頃からの憧れでもありました。
幼少の頃、私はおばあさんと暮らしていたので、家にはミシンもなく、手縫いが当たり前でした。
よく、おばあさんが手縫いで野球ボールを作ってくれたことを覚えています。私のイメージですが、ミシンを持つ家庭は裕福であったように思います。
当時は、既製服といっても今よりも縫製面が優れているわけではないので、親にミシンで作ってもらった服を着ても恥ずかしくない時代でした。今では、手作りでもよほど上手でなければ着ることは恥ずかしいとも思いますが…。
とは言っても、私のおばあさんの時代は、女性は洋裁学校に通うことが当たり前で、服などは手縫いで作っていたみたいです。
そんな小さい頃からの憧れであったミシンを初めて使ったのは、小学生の頃でした。その当時のミシンは、足踏式ミシンで現代のような電動式ではなかったが、私はミシンの面白さ、機械のすばらしさを思いっきり感じたことを覚えています。
その頃の日本は、男子は家庭科の授業が小学校までしかなく、先生からミシンの使い方をきちんと教わっていたであろうが、小学生の記憶というものは曖昧なもので20歳を過ぎた頃にはすっかり忘れていました。
そして、時が経ち、結婚をして子供を授かり、ある時、子供の入園の時にミシンが必要になったのでした。
ミシンの思い出
ミシンを使って作業をすることは楽しいものの、決して楽な作業ではなく、ミシンを倉庫から出してくることが面倒くさいと感じることもありました。
でも息子の日々の頑張っている姿を思い返すと自然とやる気になり、作業に没頭したのを思い出します。
また、自分の作ったものを息子が使ってくれているのをみると、自分の努力が喜びに変わっていきました。
息子のために作った巾着袋
息子が幼稚園の入園の時に作った巾着袋は今でも私の思い出に残っています。
幼稚園の生活の三年間をできれば同じもので使い続けてほしい、そういった願いを込めて作りました。
結果、良いものが完成したが、息子は縫製のことは気にせず、ポケモンのイラストに喜んでいたのを覚えています。
ランドセルのカバーの修復
私は、息子が小学校の低学年の頃、息子のランドセルの黄色のカバーが破れていることを発見しました。
私は息子に破れたランドセルを背負わせて登校させることに気が引けて、すぐにそれを修復しようと思い、作業に取り掛かりました。
実際、作業をしてみるとランドセルカバーはビニールの素材であったため、縫うことにとても苦労しました。
とはいえ、なんとか無事に修復することができ、息子にも喜んでもらえて良かったです。
子供の野球ユニホームのパッド縫い
息子の野球ユニホームのお尻部分は、日々の練習のスライディングで穴が開いてしまうことが多くありました。
破れる度に、新しいものに買い替えていたらきりがないため、私はスポーツショップで野球用の尻パッドを購入し、ミシンで縫い付けました。
この作業で大変だったことは、パッドに斜めのステッチを入れることでした。見た目が悪いと息子も履いてくれないので、そこにはこだわりを持って、しっかりとした間隔で縫うことを心掛けました。
現在のミシンの状況
現在、息子も大きくなって以前よりもミシンを使う場面が減っています。
息子の成長と共にあった山崎範夫のミシンを使う頻度も減り、少し寂しさを抱いていたところだが、新型コロナの影響で自粛期間が続き、家にいる時間が増えたため、久しぶりにミシンを使ってみようと思いました。
大活躍している自家製マスク
この自粛期間を利用して、マスク不足の対策として自家製マスクを作りました。
私の作ったマスクは家族にも喜んでもらい、大成功でしたが、作るのにとても苦労しました。
大きさや、顔の形を考えて作るのに苦労し、とくにカーブを縫うのに生地を回しながら縫うことが難しかったです。
最後に
インタビュアーの家庭ではミシンを17年間も使用していて、そのミシンにはとても思い入れがあるのだなと感じました。
父の話を聞いて、自分自身も子供ができたら、子供に自家製のものをつくってあげたいと思いました。
インタビュアーも、この自粛期間中に父親にマスクの製作を教わり実践してみたが、ミシンの使い方で苦戦したり、糸のトラブルがあったりなどミシンの難しさを痛感し、父の偉大さを感じました。
また、父のように男でも裁縫に取り組む姿勢は、現代社会においても意義があると思います。男女平等な社会の実現のためにも、自分自身もすすんで裁縫に取り組んでいこうと考えました。
また、現代ではミシンが家庭にあることが当たり前だと思われるが、その環境がいかに恵まれていることかをもっと感じるべきだと思いました。
マスクの製作を通して裁縫の難しさを痛感し、職人たちが作った製品はいかに素晴らしいものであるかを知ることができました。
その製品には職人の思いも詰まっていることもわかりました。
コメント 感想や質問をお寄せください♪