この記事ではミシンのエピソード「ブラザーソレイユZZ3-B823は子供の成長とともに」をご紹介しています。
インタビュー対象者は母親です。
とりあげるミシンはブラザー社のソレイユZZ3-B823です。
嫁入り道具
私は結婚日(1995年3月25日)に母親からミシンを買ってもらいました。
しかし結婚記念としてミシンが欲しくておねだりしたわけではなく、母親が半ば強制的に持たせたという感じでその時はまだミシンに対してなんの思いやりも持っていませんでした。
むしろ実家の大阪から嫁ぎ先の愛媛に持って行っても仕方がないから実家に置いていこうとすら思っていました。
苦手だったミシン
私は小さいころからミシンや裁縫などのような手先でやる作業がとても苦手で、いつも課題や宿題は友達にやってもらっていました。
友達の女の子たちがミシンを使って何かを作ることに喜びを覚えたりお互いに作りあったりしているのを見て少し羨ましいと思うと同時に自分も作ってもらうだけでなく誰かに作ってあげたいという気持ちも芽生えていました。
しかしそれ以降ミシンに触れる機会もなかったのでミシンに対する苦手意識は残ったままで、結婚記念として母親からもらった時にミシンと再会を果たしました。
使われないミシン
結婚当初私たち夫婦は共働きで転勤が多く忙しい日々が続いていました。
新しい趣味を始める時間などはこれっぽっちもなく、ミシンを使うことは一度もありませんでした。
使われることのないミシンは物置の奥深くに片づけてしまいました。そのまましばらくの間ミシンのことを忘れたかのように生活を送っていました。
子供とミシン
結婚生活が始まって4年がたったころ、私たち夫婦に念願の子供ができました。
私は子供ができるとともに仕事を辞め、育児と家事に専念するようになりました。そのころから少し時間に余裕ができたので何か趣味になる新しいことを始めようと考えていました。
そこで結婚記念でもらったミシンを取り出して触ってみました。まだ未使用で新品の状態だったミシンを見たとき少し学生時代の気持ちを思い出しました。
それから少しずつですが時間を見つけてはミシンで簡単な巾着などを作ってみたりミシンの本を読んで勉強したりしました。
しかしやはり作る楽しさよりも難しさや大変さが勝っていました。
子供の喜ぶ顔
息子が幼稚園に入園するときに初めて少し難しい通園バックを作ってやりました。
やはり容易には作れず縫い目がガタガタになったり糸がほつれていたりして完璧にうまくは作れず不細工になってしまいました。
しかしそれを息子に渡すと、とても喜んでくれました。店で買った普通の通園バックよりもお母さんの作ったバックのほうがいいと言ってくれたのです。
その時私は昔の同級生が感じていたような人に何かを作る喜びや楽しさを実感しました。
その出来事から私はミシンのことがもっと好きになり、家族にもっとたくさん作ってあげたいと思うようになりました。
ミシンでつながる友達
私たち家族は主人の仕事で転勤が多かったため、全国各地に何度も引越しをしていました。
そのため息子が幼稚園に入学した時も周りにはあまり一般的にママ友と呼ばれる友達がいませんでした。
当時香川に引っ越して息子は幼稚園を転校することになったのですが、転校先の幼稚園で手作りのバックを息子が持っているのを見て他のお母さん方が声をかけてくださりました。
そこで私は初めて友達とミシンを教えあったり一緒に何かを作る楽しさを知りました。学生時代に羨ましく思っていたことがまさか大人になってからできるとは思っていなかったのでとても嬉しかったです。
幼稚園の手作りバザー
息子の幼稚園では一年に一回保護者が手作りのものを持ち寄ってバザーを開くというイベントがありました。
このイベントではミシンでも手縫いでもいいので子供と親が協力して何かを作るというのがルールです。
そこで私たちは相談して私が初めて息子に作った通園バックを作ることにしました。
息子に手取り足取り教えて一緒に作っていき、明らかに私が初めて作ったものよりも上手なバックが完成しました。そのバックは幼稚園の先生にもとても褒められて息子と喜び合いました。
無事バックも私が個人的に作っていた手提げバッグや小物入れも完売できたのでいい思い出です。
このバザーの後、息子はもう一つバックを作りたいと言いました。せっかくなので同じ型のバックではなく違う形のものを作ろうと提案しましたが、同じ形で同じ色のものがいいと言っていました。
なので二人でもう一度まったく同じバックを作りました。
無事に完成したバックをだれか好きな子にでも渡すのかな?と思っていましたが、なんと私にプレゼントしてくれました。
「いつもバックや入れ物の袋を作ってくれてありがとう。大事に使うからこれからもいっぱい作ってね。」息子に言われたこの言葉を今でもはっきりと覚えているほどうれしかったです。
裁縫をしていると思うようにいかなかったり徹夜作業で嫌になったりすることもありますが、この時の言葉を思い出すと頑張れます。
体育祭で大活躍したミシン
息子は大阪府立牧野高等学校に通っていました。
牧野高校では体育祭や文化祭などのイベント行事が盛んに行われており、とくに体育祭の応援団には生徒の9割ほどが参加してそれぞれの団で衣装を着てダンスを踊るというものでした。
もちろん息子も応援団に入ったので衣装を用意する必要がありました。
衣装作り
応援団の衣装係の女の子たちが衣装の作り方と見本を作って写真や紙で配ってくれてそれを基に作成するのですが、とても高校生の応援団の衣装とは思えないほどのクオリティと難易度なのです。
私が学生の頃は巾着や小物入れなどを作るのが普通でしたが、今時の高校生は服まで作っているということに驚かされました。
それにデザインやリバーシブルにするなどの細部まで拘っていてレベルの高さを感じました。
いままで服に関しては裾上げなどしかやったことがなかったのでうまく作れるかとても不安でした。一人ではとても完成させることができそうになかったので母親に手伝ってもらいました。
この時私が子供の頃も同じように母親が服などを作ってくれていたことに改めて感謝し、母親のミシン技術の高さにも驚かされました。
衣装づくりを行う中で最もうれしかった事は息子が作業を手伝ってくれたことです。
幼稚園のバザーでバックを一緒に作ったとき以来一緒に何かを作ることはなかったので約10年ぶりの共同作業でした。
私には子供が2人いて3歳差の兄弟なのですが2人とも牧野高校に進学したので6年間衣装を作り続けたというのは当時はかなりきつかったですが今となってはいい思い出です。
もともとはミシンを嫌いでさえあった私が今では暇があれば何か作れるようにミシンをリビングに置いています。
ここまでミシンのことを好きになれたのは子供たち家族のおかげだと思っています。
最後に
いままでいろんな物を作ってくれた母親が昔はミシンを嫌いだったと知ってとても驚きました。
自分も家庭科で習ったミシンや裁縫は苦手で得意な子にやってもらっていたので遺伝なのだと思うと笑えました。
インタビューアーにとっては何の変哲もない普通のミシンと思っていましたが、母親にとってはいろんな思い出が詰まっているミシンだと知って大事にしようと思いました。
ちょうど今は自粛中で時間もあるのでまた母親と何か作ってみようと思います。
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