ブラザーミシンPS-10の思い出

ブラザーミシン
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ブラザーミシンPS-10の思い出

この記事では「ブラザーミシンPS-10の思い出」と題した、ブラザー社の「PS-10」の思い出を紹介しています。

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ミシン所有者とあなたの関係

ミシンの所有者は母です。母は1974年生まれで、生まれも育ちも滋賀県大津市で、ミシンもここで使われてきました。

ミシンの利用期間は私が生まれたときから私の弟が小学校を卒業するまでの1999年から2014年の15年間です。

ブラザーミシンPS-10の機能

ブラザーミシンPS-10

母は買った当時厚物を縫えるミシンを急ぎで探していたと言います。

そして、このミシンと出会ったがそれを作ることは諦めたらしいです。

そのモノとはジーンズでした。諦めた理由が全く同じ色の布がなかったからだったらしいです。

機能

  • テーブルが大きいことにより大きいものを縫ったりすることができる。
  • 水平全回転釜というシステムによりボビンケースが不要で準備が簡単。
  • 厚物も楽に縫える力強さなどがある。

ミシン本体について

  • ミシンのメーカー:ブラザー工業株式会社
  • ミシンの機種:ブラザーPS-10
  • ミシンの購入年:約20年前(はっきりと覚えていなかったです)
  • 定格電圧:100V
  • 定格消費電力:25W
  • 定格周波数:50/60Hz
  • ランプの消費電力:6W
  • EL125
  • NO.MIG113910
  • MADE IN CHINA
  • 112-125

ミシンの使い道

ブラザーミシンPS-10

母は基本的に私たち兄弟が破ったり、壊したりしたものを直したり、一から新しいものを作ったりするのにミシンを使っていました。

体育館シューズの入れ物

ジグザグ縫オーバーロック縫を使って作ったそうです。

オーバーロック縫いは母もその時に初めて使ったそうでこの体育館シューズはとてもよく覚えていました。

手提げ袋

これにはサイドにファスナーもつけてあってとても利便性の良いものでした。

ファスナーのところは直線縫いを使ったと言っていました。

運動会のハッピ

点線キルト縫いをハッピの衣装の見えるところに模様の役目としてオリジナル性あふれるものにしたと言っていました。

このハッピを着ていくとクラスの友達から「めっちゃいいやん」「かっこいいやん」など言われたのを覚えています。

何でこんなこと言われるのかその当時は知らなくて、このアンケートできいて初めて知りました。

まとめ

これらのものはハッピ以外、私が使うものとして作ってくれました。

しかし、小学校では私たち兄弟は3年間被ることになるので、母は弟の分も体育館シューズと手提げ袋は新たに作ってくれました。

ハッピは6年生の時だけ着るものなので、弟が6年生のときには私のお下がりを着ていました。その時にも、母はさらにオリジナル性が出るようにミシンで文字を縫ったり、布を新たに縫い付けたりもしていました。

私はそのころ中学3年生だったので、弟がそれを着てとても楽しそうに運動会に行く姿を今でも鮮明に覚えています。

これらのものを私たち兄弟が6年間無事使えるわけがなく、壊してしまったりしたことも何度かあったそうです。しかしそれでも、イヤイヤ直したと言っていました。

母が男の子はこういったものを作る数が少なくて良かったと言っていました。

しかし同時に、直す回数が多くて「もっと大事に使ってよ!」とよく言われたのを覚えています。今思うと本当に申し訳ないことをしていたなと反省しています。

これらは全て私たちが使うため家事の一部で行われたものなので、無償労働でした。

ミシン技術の習得先

これらのものを作ったり、直したりできる技術を身に着けたのは、大まかな技術は小学校や中学校、高校などの教育機関で学んだと言っていました。
しかし、それでは、オーバーロック縫いをする技術やファスナーをつける技術は身に着けることはできないため、教育機関以外で学んだ技術はすべて所有者の母(私の祖母)から学んだと聞きました。特別、ミシンの教室に通ったり、勉強したりといったことはしていないと言っていました。

ミシンの現在

私たち兄弟が年を重ねるごとに、母の手作りのものを持つことはなくなっていきました。なので、必然的に母もミシンと向き合う時間が減っていき、現在ではほとんどゼロになってしまいました。そして、母が所有するブラザーミシンPS-10は物置の中でほとんどの時間を過ごしています。しかし、しっかりと袋に包まれて丁寧にきれいに保管されています。

ミシンへの思い入れ

母はこのアンケートに答えているとき何とも言えない表情をしていました。その理由を聞くと、私たち兄弟が小学生だったころの話をしていたときは、懐かしさが蘇っていたそうです。なので、そのころの話をしていたときはとても楽しそうでした。しかし、何とも言えない表情を見せたのがミシン技術の習得先の質問に答えているときでした。母は祖母からミシンの技術の多くを学んだと言っていました。その際に、母と祖母は喧嘩をしてしまったそうです。今ではとても仲の良い2人ですが、昔にそんなことがあったなんてこの時に初めて知りました。この話を聞いてから母のあの表情に納得しました。ミシンとは関係ないのですが、このアンケートをしていなかったら、これからもこの話を知ることはなかったのかなとふと思いました。

さいごに

母のミシンに対してこのような思い出があったとは知らなかったので、母と祖母の関係や母とミシンの関係にもっと興味を持つことができました。また、久しぶりにミシンの姿を見て、「うわ、久しぶりに見た。」とぽろっと口にしていました。おっさんみたいな口調で言っていたので、それを見ていた私はつい笑ってしまいまた。しかしそこから、本当に久しぶりなんだなと感じ取れるところもありました。これを機に母は何か作ろうかなと言っていました。

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