この記事ではいただいたミシンのエピソード「母親との思い出を作ってくれたトヨタミシンRA510」をご紹介しています。
インタビュー対象者は母です。
トヨタミシンRA510との出会い
私がこのミシンと出会ったのは26歳の時で、父と母からプレゼントとして貰ったのです。
いまから約20年程前の話なので、あまりしっかりとは覚えていませんが、私が結婚するときに両親が買ってくれた嫁入り道具のうちの1つでした。
このミシンを購入した時のこと
このミシンは父と母からのプレゼントでしたが、私も一緒に買いに行ったのを覚えています。
このミシンはシンガーやジャノメといったようなメジャーなミシンメーカーではなく、トヨタのミシンで珍しく、見た瞬間に決めたような気がします。
私はとてもいい買い物をしたと思っています。
はじめての使用
私はいままでは母のミシンを使っていたので、自分のミシンを持ったのはこのミシンが最初です。
今のところ、このミシンしか持ってないので、最初で最後の自分のミシンになるかもしれません。
このミシンを買ってもらってから使用するまでは長い期間が空きました。初めてこのミシンを使ったのは息子が産まれてきてからのことでした。
息子のために使ったミシン
私にはひとりの息子がいます。私は息子のために多くの物をこのミシンで縫ってきました。
最近ではあまりミシンを使う機会がなくなってきてはいますが、思い出の物なので捨てれずにとってあります。
今回はこのミシンを息子のために使った思い出を思い出していこうと思います。
幼稚園時代
私が息子のためにこのミシンを最初に使ったのは息子が幼稚園に入学した頃です。
1人息子だったこともあり、息子のために手提げ袋や小物入れなどをこのミシンで作った記憶があります。
息子と一緒に好きな生地を買いに行くところから始まり、それをミシンで縫って世界に1つしかないオリジナルの手提げ袋や小物入れを作っていました。
また幼稚園児特有の制服にワッペンなどを縫い付けるのもこのミシンがしてくれました。
私は母の協力も得て様々な物を作っていきました。子供のために何かをつくるということがとても充実した時間だったのです。
スイミングスクールに通う息子
息子が幼稚園児の時から地元のスイミングスクールに通い始めました。
そのスイミングスクールでは月に一回テストがあり、そのテストに合格するとその級に合わせたワッペンが貰えました。
はじめはカニやカエルのような動物のワッペン、級が上がっていくと数字のワッペンになっていきます。
そのスイミングスクールに通う子供たちは皆合格して、もらったワッペンをカバンにつけていくというような風潮があり、その時にもこのミシンが活躍したのです。
はじめはすぐに合格するので毎月ミシンを使っていたのですが、だんだん級が上がると合格するのが難しくなり、ミシンを使う機会が少なくなっていったのを覚えています。
すごく小さいワッペンでしかも、ワッペンを縫い付けるカバンの生地も硬かったのですごく縫いにくかったですが、息子のために時間をかけたのを覚えています。
息子の作品を直すミシン
息子が小学生になると家庭科の授業でミシンを使って何かを作ってくることがときどきありました。
息子は器用な子ではなかったので、息子が作って持って帰ってきた家庭科の作品はちゃんと縫えてなく、ボロボロだったのでそれをこのミシンを使って縫い直したのを覚えています。
息子がせっかく作ったものだから縫い直すのも気が引けましたが、使わず捨ててしまうくらいなら縫い直して使おうと思ったのを覚えています。
とくに印象強いのがテッシュケースです。
息子がせっかく作ったものだったので、綺麗に縫い直し、今でもそのテッシュケースを家で使っています。
またエプロンを縫い直した記憶もあります。息子は小学生の間そのエプロンを使ってくれていたので、ちゃんと縫い直してよかったです。
体操服や海パンを縫ったミシン
私が最後にミシンを使用したのは息子が小学生の頃体育で使用していた服やプールの授業で履いていた海パンに名前を書く布を縫った時です。
学校のルールで体操服や海パンには名前の布を縫い付けるようになっていたのでこのミシンで縫っていました。
運動会前日に息子の体操服の名札が取れていたのに気がつき、あわてて夜中に縫ったのを覚えています。
息子が中学生になるとミシンを使うようなこともなくなったので、今思えば息子のためにこのミシンを使ったのはこの時が最後でした。
趣味としてのミシン
息子が中学生になり少し自立したことで、私自身の時間ができました。
私はその時間を利用して知り合いの紹介でパッチワークを始めました。
パッチワークというのはさまざまな色や形の布を縫い合わせて柄をつくっていく手芸のことです。
もともと手芸が好きだったので、すぐにはまり、熱中していました。
そのとき活躍してくれたのがこのミシンでした。パッチワークをするにはミシンが必要なので、パッチワークをしていた時はほとんど毎日と言ってもいいほどこのミシンを使っていたのです。
初めての展覧会
私がパッチワークを始めてから、ほんの二カ月ほどで初めての展覧会に作品を飾ってもらうことになりました。
まだ初めて間もなかったですが、作品を作るまでの準備期間も短く、夜更かししながらずっとミシンを使っていたのを今でも鮮明に覚えています。
初めての展覧会だったので、そんなに大きな作品ではありませんでしたが、私は几帳面な性格なので細かい所まで何度も何度もやり直し、完璧な作品になるまでずっとミシンを使って縫っていました。
ミシンを使って作品を作るということは私にとってとても有意義なことでした。
最後の作品
つい最近の話にはなりますが、息子が高校生になる時に、趣味のパッチワークをやめ、パートを始めることにしました。
やめる前の最後の展覧会には割と大きめな作品を飾ってもらえることになり、多くの布と時間を使うことになりました。
最後の作品ということもあり、気合いを入れて取り組んでいました。
毎晩遅くまでミシンを使い、着々と準備を進めていったのを覚えています。
日常生活でミシンを使うことなど滅多にないので、この作品が終わると当分の間ミシンを使うことはなくなるだろうと思いながら布を縫い続けていったのです。
少し寂しいような気持ちになりました。
最後に:母親との思い出を作ってくれたトヨタミシンRA510
インタビューアーは母にインタビューしながら話を聞いていてすごく懐かしく感じました。
インタビューアーは家でこのミシンを使ったことはありませんが、このミシンによって作られたものはたくさん使ってきました。
スイミングスクールに通っていた時に使っていたワッペンがたくさんついたカバンや家庭科の時に作ったテッシュケースは今でも家にあります。
インタビューアーは記憶にはありませんが今回このレポートを書くにあたって母にミシンについてインタビューしたことで昔のことを振り返ることができ、幼少期のインタビューアーを支えてくれた母とこのミシンには感謝しなければならないと感じました。
インタビューアーも親になった時は母がしてくれたことと同じように自分の子供にこのミシンを使って様々な事をしてあげようと思いました。
また、日本や世界の技術は日に日に進歩していて、ミシンも昔と比べるとだんだん小型化、軽量化してきてるので、今後ミシンがどのように進歩していくのか楽しみです。
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