しんしん

ジャノメミシン

ミシンをとおして子供の成長を感じて嬉しくなった

ミシンを買うときに担当の方が家に来て2時間ほど説明を受け、説明のビデオがついていたのでそれを学んだそうです。母親は外国の人でフィリピンの方です。フィリピンの小学校5年生・6年生の時にミシンの授業があったそうです(1978年から1979年)。
ジャガーミシン

ミシンで修復以上の事をしたくて姉に教えてもらった

暫くミシンのない生活が続いていて、必要な時は実家で借りて利用するなどしていたが、あると便利なので昨年ホームセンターで安いミシンを購入する事を決意した。実際手元にあれば、なんでもすぐ直せるし、買いに行く必要もなくなるので今では重宝している。
ブラザーミシン

ジグザグに縫えたりボタンホールを作成できたりして感動

高校2年生である1974年頃に写真でアップしたミシン・メーカーのブラザーのミシン教室に、1日のみではありますが通っていたそうで、小中学校で習った内容よりもより詳しくミシンの扱いを習い、またブラザー・ミシンの特徴等の講習もあったそうです。
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いろんなミシン

ミシンが家に来てから親子でよく喋るようになった

ミシンのエピソード「子供の成長とともに思い出すミシン」をご紹介しています。メーカーと機種はイオングループの手芸専門店パンドラハウスの専用機種です。ミシンの所有者は母です。ミシンが家に来たことをきっかけに家族はよく喋るようになったらしい。
ジューキミシン

ミシンで家庭を支え子育てをし主人の帰りを待った

現在では家庭用ミシンしか持っていませんが、元々祖母は工業用ミシンを持っていてそちらは結婚して仕事として縫い物を始めたときのものだそうです。実に50年前のもので、今はもう使用しなくなったため引き取り手を探して譲ってしまったそうです。
ジャガーミシン

大学時代に洋裁学校で裁縫やミシンを学んだ

大学生になったころ洋裁学校にも通い裁縫や裁断・ミシンの使い方などくわしく学んだ。洋裁学校に入った理由は自分でデザインがしたいし、自分自身に合う大きさの服はあまりなく尚且つ服は当時高価だったため自身で作ろうと考えたからだそうだ。
ブラザーミシン

祖母が学校で学んだミシンは電動式ではなく足踏式

ミシンのエピソード「祖母が学校で学んだミシンは電動式ではなく足踏式」をご紹介。祖母は1970年〜1976年に中学校・高校の授業で先生からミシンの扱い方や裁縫を学びました。学校で学んだミシンは電動式ミシンではなく、足踏式ミシンだったそうです。
ミシンの広告

星由里子をモデルにしたブラザーミシンの広告

この頃(1966年)にはブラザー社が多角経営に乗り出していたことが分かりました。左下の取扱製品による形容は「ミシン・編機・家庭電器製品・事務機器」となっています。星由里子は高度成長期頃の映画史を調べいると必ず出てくる東宝所属の女優です。
ジャガーミシン

母とお店へ行き一緒に選んだ使いやすいミシン

現在は、母が以前購入していたミシンの本などを借りて様々な物を作り、ミシンの使い方を学んでいる。また、ミシンを購入した時に付いている使い方の冊子を今まで買ったもの全て残しているので、それを読んで学んだ。
ジャガーミシン

足踏式ミシンはベルト回しと足のバランスが困難

足踏みミシンの使い方を学んだそうですが、手でベルトを回すのと足踏みのバランスをとるのが難しかったようです。すぐに反対に回ってしまい糸が絡んだり切れたりと綺麗に縫うのに手こずったと聞きました。ミシンを使うことは数年前と比べてずいぶん減りました。
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