ミシンが家に来てから親子でよく喋るようになった

いろんなミシン
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この記事ではミシンのエピソード「子供の成長とともに思い出すミシン」をご紹介しています。

メーカーと機種はイオングループの手芸専門店パンドラハウスの専用機種です。

ミシンの所有者は母です。

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ミシンの用途

母は小学校で必要なものを手作りするためにミシンを購入して使っていた。

お金が発生しない無償労働に区別することができるのは、私と妹が使うお弁当箱を入れるための袋、調理実習で使うエプロン、ランドセルに入りきらない教科書類を入れるための手提げかばんなど。

お金が発生するもの(有償労働)で作っていたのは、毎シーズン自治会で開かれていた手作り市場で販売するためのエコバッグ。簡単に作れて、ワッペンを貼るなどアレンジがしやすいのでたくさん作っていた。

ミシンを買った時期

2003年

ミシンを習った場所

母は母子家庭で育ったので小学校のころからミシンを祖母に教わりながらミシンを触っていた。

小学校入学時に自分の必要なものは自分で作ると給食袋を祖母に教わりながら作ったのが最初に仕上げた作品で、そこからはリコーダーを入れる袋、エプロンなどミシンでいろいろなものを作ったと言っていた。

通っていた滋賀県大津市にある小学校では6年生くらい(昔の事なのではっきりとは覚えていないが高学年)からミシンの授業が始まり、中学校でも継続してミシンを扱う授業はあったそう。

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ミシンが家に来てから親子でよく喋るようになった

母は小学生のころ仕事がとても忙しかった祖母とミシンを通じて会話ができていたと、今回写真で送ったミシンではないが家にあったミシンに感謝していた。

当時祖母は朝早くに仕事に出かけ、夜遅くに帰ってくるという生活をしていたらしく、母はさびしく思っていた。そこで祖母が知り合いから譲ってもらい持って帰ってきたのがミシンであった。

それまで家にあまりいない祖母に怒りを感じ素直な態度をとることができなかったと言っていたが、ミシンが家に来たことをきっかけによく喋るようになったらしい。

料理は教わっても火を扱うので危ないと一人の時間にはできなかったが、ミシンは針にさえ気を付ければ家が燃えることもなく一人で使うことができるので、寂しさを紛らわすのにもとても役立ったと言っていた。

ミシンを使わなくなった経緯や今の使い道

母がミシンを使わなくなったのはミシンが壊れて動かなくなったのがきっかけだった。

私と妹がちょうど小学校を卒業した時に壊れたそう。当時住んでいた家の近くにダイソーができて安価でそこそこの品質の商品が簡単に手に入るようなったのもミシンを修理、再購入しなかった大きな原因になったと言っていた。

ミシンは材料を自分で探して用意し、自分なりの作り方で作品を仕上げるので人と被らずオリジナルのものができる。

しかし裏を返せばそれだけの時間と手間がかかるということだ。仕事が忙しくなってきた母にはそれだけの元気と時間が無くなったと言っていた。

ミシンが家に来てから親子でよく喋るようになった

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