ミシンの特徴1:どこにでも置ける高度な設置自由度

ミシンの不思議
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この記事ではミシンの特徴のうち高度な設置自由度を説明しています。

高度な設置自由度という特徴は、さらに小型性・分散性・機動性の3点に分けれます。

それでは、ミシンが設置する場所を選ばない特徴をみていきましょう。

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小型性

ミシンは、手廻式、足踏式、電動式の動力区別を問わず、工場だけでなく家にも設置可能です。

それは小型だからです。

裁縫は、予め設計されている衣服形態を念頭に、布(cloth)を裁断した後に縫合する作業で、各部分に裁断された小布を縫合するため、衣服の英語の一つである「clothes」は布の複数形となっています。

縫製作業が動作の小さい点は小型というミシンの特徴を裏付けています。

2018年夏までのアトリエ・レイレイ。ブラザーの職業用本縫ミシンと職業用ロックミシン。トルソーはKIIYA製。atelier leilei提供。

上の写真は2018年の夏まで妻が借りていたアトリエです。

ミシンはいずれも職業用で、左が本縫ミシン、右がロック・ミシンです。

家で工業用ミシンを使うと震動・騒音が心配、家庭用ミシンだと本格的には作れません。その間を埋めるのが職業用ミシンです。

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分散性

20世紀前半にミシンは主に家に設置され、家事労働および家内労働に多用されました。

家が委託業者と契約し有償労働に従事すれば分散型生産組織の分枝となります。力織機が家で利用される場合は賃織が目的とされ、手織機の場合は賃織または家事労働が目的と考えられます。

この意味ではミシンは手織機と近しく、賃縫または家事労働に利用されました。ミシンは同一機種が工場と家のいずれにも設置される場合が一般的でした。

次の表は私が20年近く調べている姫路市藤本仕立店の所有ミシン・リストです。1940年の時点で40台を持っていました。

 自家他家不明合計
44-1310371-131小計44-13103小計44-13
1914年111
1921年224157
1930年1121124
1932年555
1934年4155
1935年222
1936年314226
1937年3144
不明1156
合計6111922426540

この仕立店は自家に9台のミシンを置き、委託生産(内職)をお願いしていた他家に1台か2台ずつ、合計で26台を置いていました(設置場所譜面瓶の5台を足して40台になります)。

自家と他家で同じミシンをたくさん置いていることが分かります。

足踏式ミシンのような据え置き型であろうと、手廻式ミシンや電動式ミシンのような持ち運び型であろうと、重量や大きさの違いは存在しても、ミシンは家にも工場にも広く設置されたのですから本質的な区別は存在しません。

「ミシンの特徴(2)簡便性」で示すようにミシンは産業横断的に利用され、その意味での分散性も有しました。

関連 Singer 44-13:1本針本縫ミシン

経済史研究における生産体制分析の甘さ

次の図は、経済史という学問分野で長年にわたって触れられてきた生産組織の分散型と集中型をかなり簡単にしたものです。

生産組織の分散型と集中型。©ミシンの世紀

「問屋=工場」の否認

1つ目の問屋を頂点とした生産組織は分散型生産組織と呼ばれ、問屋と契約した家(図では周辺家)に原材料が渡され(織機やミシンなどの生産財を持っていない場合はこれらも貸与され)、加工します。

出来高払いで各家は問屋から給料を貰います。

他方、問屋自体が製造・加工を行なった場合もあります。その問屋を当然、工場と呼びます。

しかし、1990年代からの経済史研究は、それまで工場制に注目したマルクス主義に対抗するために、上の関係を闇雲に問屋制生産組織と呼んできたため(工場制と認めない)、混乱を招いてきました。

問屋が生産していなければ問屋で構いませんが、問屋が生産をしている場合を経済史研究は無視してきました。

「工場」と「工場制」の混同

2つ目の工場を頂点とした生産組織は集中型生産組織と呼ばれ、周辺家の住民が工場へ通勤し、工場で用意された原材料や生産財を用いて加工します。

近代(19世紀中期~20世紀中期)の日本では出来高払いが多く、戦後は概ね固定賃金へ移行しました。この生産組織は、かつて工場制と呼ばれたものです。

マルクス主義は、こちらの生産組織の強調し過ぎたために、1990年代以降の経済史研究を停滞させました。

ミシンは、分散型生産組織にも集中型生産組織にも通用します。

アパレル工場(縫製工場)の移転が他産業・他部門に比べて容易なのも、小型性に分散性が加わった独特の特徴を持っています。

これまで研究報告したとき、しばしば《ここまで述べた特徴は織機にも通用するではないか、戦前日本では織機を持った農家が問屋から仕事を貰っていたじゃないか》と指摘されたことがあります。しかし、次に示す機動性という特徴は織機には有りません。

機動性

小型性と分散性は、ミシンに機動性という特徴を与えます。

まず、軍事面の機動性が挙げられます。日本帝国の場合、軍服生産を担った東京陸軍被服本廠・大阪支廠・広島支廠にミシンは集中的に設置されていました。

他方で日中戦争やアジア太平洋戦争では戦況が激化するにつれ、東京本廠から各部隊へミシンが追送されました。

従軍ミシン

第110師団作業場のモーター・トリマー、名工A.R.ベネット。彼はオーストラリア人の電気技師兼機械技師で、頑丈なシンガー・ミシンを使って粗布袋(キャンバス・バッグ)を縫っています。 via WONGABEL AREA, QLD. 1944-05-05. NX117269 CRAFTSMAN A.R. BENNETT, MOTOR TRIMMER OF THE 110TH … | The Australian War Memorial

上に紹介した写真は1944年5月にオーストラリアのクイーンズランド(Queensland)で撮影されたものです。

ミシン縫製工がキャンバス・バッグを作っている様子です。周囲をテントが張っているので戦地での様子を示す写真でしょう。

転載元の説明文によりますと、この男性(A. R. Bennett)はオーストラリアの電気機械技術者で、彼ら技術者集団がミシン縫製工として軍隊に招聘され、シンガー社のミシンを用いてバッグ製造に従事したようです。

ミシンはどこにでも運ばれます。次項に紹介するように、戦場では主に手廻式ミシンが使われることが多かったのですが、上の写真ではケーブルが使われているので電動ミシンかと思います。軍事力や戦略力の違いが垣間見えます。

ミシン追送

アジア歴史資料センター(JACAR)の史料類によりますと軍隊にミシンが追送されていたことがわかります。

たとえば「縫工用手密針交付の件」(レファレンスコード:C07060690800)は1938年3月28日付で「副官」から関東軍参謀長と陸軍被服本廠長へ通牒されたことを示します。

内容は、臨時軍事費1万7千円の範囲内で普通ミシン50台と千鳥ミシン10台を陸軍被服廠から関東陸軍倉庫大連支庫へ送付すること、これらミシンはできるだけ国産品で充当させること(無理なら外国産品でOK)、5月31日までに到着させることが指示されています。

創業面・製造面の機動性

次に、少人数・小資本で比較的容易に始められるという製造面(産業面)の機動性が挙げられます。

戦前には「独立開業すると云つても表通りに店を構えなければ開業の費用はミシン代120、130円と其の他器具で合計200円もあれば足りる」 といわれていました。

下に掲げた図からは、終戦直後の1945~1947年の3 年間は「裁縫製品」の従業者数が最も多いことがわかります。

「ミシンは価格が低廉であるばかりでなく、その据付けも簡単であるところから短期間に相当数の増加を示し」たと指摘される通りです(日本繊維協議会編『日本繊維産業史 各論篇』928頁)。

戦時期・復興期の女工数推移(1937~49年)岩本真一『ミシンと衣服の経済史―地球規模経済と家内生産―』思文閣出版、2014年7月、20頁。

衣服産業は、戦後復興において他の繊維諸部門に比べいち早く、また戦前期の規模で工場を再開させました。

これも製造面の機動性を示すものです。

おわりに

この記事ではミシンの特徴のうち高度な設置自由度を説明しました。

小型性・分散性・機動性の3点からミシンは設置する場所を選ばない特徴をもつことがわかりました。手廻式、足踏式、電動式のうち、最も分散性や機動性が高いのは手廻式ミシンでした。

足踏式ミシンは消耗品のゴム・ベルトを使うので、戦場のように一気に破損する・摩耗する場合、手廻式でOKとなりますし、電動式ミシンはコンセントや発電機を必要とするので、その準備が必要となります。

オーストラリアのクイーンズランド撮影されたミシン縫製工の写真に驚きます。