3台にわたる叔母のミシン:ジャノメ「クライ・ムキ」751
この記事では3台にわたる叔母のミシンと題した、ジャノメ社「クライ ムキ751」の思い出を紹介しています。
ミシン所有者とあなたの関係
母方の叔母(母の妹)です。
母方の家は、奈良県初瀬市にある長谷寺の参道でお土産屋をやっており、叔母は1964年にそこで生まれました。
そして、2009年頃から3台目のミシンを使用しています。
ミシンの本体について
- JANOME
- 愛称「クライ・ムキ」751
- 2010年頃購入
ミシンの性能
ジャノメ クライ ムキ751は以前のミシンでは、ボビンを入れる釜の所が垂直に立てて装着する垂直半回転釜式でしたが、横向きに装着する水平釜式になっていたため、絡ませるのが以前より難しくなったと感じていました。
しかし、その分糸の残量がよく分かり、途中で糸が無くなってしまうことがほとんど無くなりました。
そして仕事でミシンを使う時などは、今までより厚い生地を縫うようになったので、
KM2010の押さえ圧4段階調節機能があることがすごく魅力的で、以前のミシンより生地送りもしやすく、ボビンが入れにくいという不便さより、利便さが優っていると感じました。
その他にもジャノメ「クライ・ムキ」751は、「とめ縫い」と「返し縫い」が1つのボタンでできるようになったり、縫い目の荒さを変えることができたり、ソーイングを楽しむため15種類ほどのステッチができる機能が搭載されています。
購入前は「こんなに色々できるのは凄い」と思っていたが、購入して使用するようになって、機能が多く扱いきれないと思いました。
ミシンを習った場所
ミシンは、桜井東小学校高学年と桜井東中学校3年間の家庭科の授業でミシンの基礎(直線縫・かがり縫い・ジグザグ縫など)を習いました。
その後は習ったことを基礎に、自己流で簡易な服の手入れなどをしていたが、大学を卒業後保育園の仕事に就き、演劇に使う衣装や小道具などを作るため、もっとミシンの腕をあげたいと思いました。
しかし、ミシン教室に通うお金も時間もなかったため、「クライ・ムキのLaLaLaロックミシン」という雑誌を読んで学んだりしていました。
ミシンの使い道
叔母は、短期大学を卒業して保育園に就職し、今は、障害傾向がみられる子供を対象とした保育園で園長をしています。
そのため仕事の一環として、保育園で子供が怪我をしないように椅子の脚につけるカバーを作ったり、例えば「織姫と彦星」・「白雪姫」などの演劇発表会で使う簡易な衣装などをミシンで作ったりしています。
そして、「衣装は購入する方が安く見栄えも良いが、その役の子に合った色やサイズ、形で作ってあげたい」という気持ちから、衣装を手づくりをしていました。
そのため、織姫の衣装が黒になったことから、彦星が白の衣装になったり、白雪姫に出てくる小人一人一人がレインボー色の衣装になるなど、奇抜化していたが、それは親御さんにも児童にも思い出になり、ミシンはその手助けになったと考えています。
そして趣味などでは、まず中学生の頃母が父の作業着の裾上げをし、ているのを見て、「やってみたい」という衝動が起き、それから母に代わり裾上げをしていました。
また、母が仮縫いした浴衣を手縫いではなく、ミシンで縫ったりもしていました。
何故なら、叔母は女3人の姉妹であり、当時お金があまりなかったことから、服などは長女から次女(私の母)、次女から叔母へと着回されていたため、浴衣も着回しで使っていました。
しかし、自分が好きな人と夏祭りでデートをする時に、浴衣がヨレヨレであったりするのが嫌であったため、浴衣やその他着回すものを作る時は、手縫いではなく、しっかりと縫え仕上がるミシンを使っていました。
他にも、高校生の時好意を持っていた人がバスケ部のイケメンで人気があったため、バレンタインでチョコレートだけでは振り向いてもらえないと考え、手作りのハンチング帽を一緒にプレゼントしました。
そして、それが幸をそうし楽しい高校生活を送れたそうです。
その後、叔母はミシンでものを作るのが趣味になり、更に、職業の関係でミシンを使っていたこともあり、ミシンの腕が上達し、母が作った着物をやテディベアに作り替えたり、部屋のカーテンやクッションカバーを自分好みのものに作っていました。
そして、姪あたる私や甥にあたる兄が生まれ、育児と仕事が忙しい姉(私の母)に代わり、私達が保育園で使う簡易なカバンなどを作ったりしてくれました。
ミシンの現在
2代(台)目のミシンが、縫う時に止まるなど壊れやすくなったこと、厚い布が縫いたいと思ったことから新しく、今の3代(台)目のミシンを購入しました。
仕事では、毎年保育園に新しい子ども達が入園してくるので、その子達一人一人にフェルト生地で花形の名札を作ったり、子供達と一緒に歌を歌う時の小道具を作るためにミシンを使っています。
最近では、「大きな栗の木の下」という歌で使う栗が、子供に人気でボロボロになったので新しく作り直したり、ハロウィンのイベントで使う簡易な黒のマントや、かぼちゃの装飾を作るためミシンを使用しました。
普段使いでは、仕事が忙しく自分のためにミシンを使うことが少なりました。
しかし、古くなったり、着た時派手に見えるようになったけど、捨てるのはもったいない服のリフォームをしたりしています。
また、姪の私に自分のスカートをガウチョに変えてプレゼントしました。
今後、仕事を辞めたらゆっくり認知症予防のためにも、ミシンを使って着物の生地で何かをつくりたいと思っています。
ミシンの思い入れ
叔母は、小さい頃母が和裁をしたり、編み物をしたりして、三姉妹に色々なものを作ってくれていたことから、欲しいもの、着たいものは自分で作るのが普通だと思っていました。
そして、小学校の家庭科でミシンの使い方を習うなどをして(とくに、手縫いでは少ししたら服の端などがほつれてくるが、ミシンではジグザグ縫でほつれを防止することができることを知って、姉の着回しのものでも小綺麗に見せたいと思い)ミシンが欲しいと思うようになりました。
購入を決意した頃、叔母は17歳であった。長女は仕事が忙しく、それほどミシンの購入に意欲がなかったので、次女と2人でお金を貯め購入することにしました。
しかし、当時お小遣いはなく、パン屋のアルバイトは、時給が500円もなかったことから中々お金が貯まらず、学校で流行っていたサンリオのグッズの購入を諦めたりしてお金を貯め、ミシンを購入しました。
そのミシンのおかげで、バレンタインの告白が上手くいったこともあり、1台目のミシンには、少しの青春の思い入れがあります。
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