この記事はいただいたミシンのエピソード「ブラザーADESSOIIは母の人生とともに」です。
インタビューアーがお母さんからミシンの思い出を語ってもらいました。
はじめに
- インタビュー対象者は、私の母です。
- 本エピソードで登場するミシンメーカーは、ブラザーです。
- 本エピソードで登場するミシンのシリーズ名は「ADESSOII」です。
ミシンとの出会い
私の実家には、生まれた頃からミシンがありました。私の母が裁縫をしていたからだと思います。
コートを作ったりしていたそうです。実際に私の小学校の給食の時に使うランチマットを作っているのを見ていました。
そして祖母も、着物を縫ったりなど和裁をしていたみたいです。その様子は見たことないんですけどね。
そこから裁縫に興味を持ち、小学校では家庭科クラブに入りました。
そこではミシンは使わなかったんですが、キットを使って小物入れを作ったりしていましたよ。私が初めてミシンを使ったのは、中学校のときですね。
家庭科の宿題で巾着を作るために、家にある足踏式ミシンを使いました。母に教えてもらいながら作業していたのですが、なかなか上手く使いこなせませんでしたね。
もう実家にはないんじゃないでしょうか。
近所のおばあちゃん
31歳のとき、私が洋裁好きと知った近所のおばあちゃんが、雑巾を縫って欲しいと頼みに来たことがあります。
当時、私の実家に足踏式ミシンがあったのですが、誰も使っておらず、とても動かせる状態ではありませんでした。
そのことを伝えると、おばあちゃんは「私が持ってるミシンを使っていいから」とミシンを貸してくれたのです。
ようやく雑巾を完成させ、おばあちゃんのところへ渡しに行きました。借りていたミシンを返そうとしたところ、おばあちゃんは「私はもう使わないから、形見としてあげるわ」と言ってくれたのです。
だいぶ迷いましたが、ミシンを使うことは本当に楽しかったのでお言葉に甘えることにしました。
でもその時は、もらうのではなく借りるという形で、しばらくしたらまた返しに行くつもりでした。結果的にそのままもらってしまい、今でも手元にあります。
ついに購入!
近所のおばあちゃんに借りたミシンをずっと持っているわけにもいかないので、私は自分のミシンを買うことを決意しました。
今から15年前のことです。
当時の仕事で一緒だった同僚にミシンに詳しい人がいて、その人にお店を紹介してもらいました。一人でお店に行って、実際に触らせてもらって購入するミシンを決めました。
そのミシンが、ブラザーのADESSOIIです。決め手は、ボタンホールが一番綺麗にできたことです。
当時のミシンの最先端は、ソフトを入れて花やキャラクターの刺繍ができるものだったんですが、そのようなものにはあまり興味がなかったので候補には挙がりませんでした。
支払いは現金でしたね。郵便局に振り込みに行ったのを覚えています。
クレジットカードとかあんまり普及してなかったんじゃないでしょうか。母に半分ほどお金を出してもらいました。ちなみに、その分はまだ返していません。
ブラザーADESSOIIは母の人生とともに
自分のミシンを購入してからは、娘たちのお稽古事のバッグや洋服を作っていました。
娘二人はほとんど洋服のサイズが一緒だったので、同じ型紙で作ることができて楽だったんです。
毎日のようにお揃いを着させて、私自身が楽しんでましたね。
そのおかげで、娘たちは2歳差なんですけど、よく双子だと言われていました。そこからますます裁縫が楽しいなと感じるようになって、ハンドメイドのお友達と集まって製作販売をするようになりました。
それは、ミシンを購入してから5年くらい経った時のことです。
ちなみに、裁縫やデザイン系の学校には行っていないので、全部独学です。
市販の本を買って勉強しました。何度もレッスンに行きたいと思ってたんですがなかなかスケジュールが合わず、今まで一度も行ったことがありません。それでも何とかなるもんですね。
ハンドメイドのお友達とは、週末にいろんなところのイベントに参加してたんですよ。
熊本に住んでいるんですが、長崎まで行ったこともあります。
3日間のイベントだったので、もちろん泊り込みです。楽しかったですよ。
イベントごとに売れる商品が違うので、次の年からは去年の売れ筋を参考にしながら商品を作っていました。
これまで洋服の他に、帽子、バッグ、子供用品、エプロンなどたくさん作りましたね。それと、洋服を本格的に作るようになってロックミシンを買いました。
ロックミシンは、洋服のかがり縫いをする用です。最初に購入した電動ミシンでもできるんですけど、やっぱりロックミシンの方が綺麗にできるんです。
これを買ったことで、子供服によく使われるニット生地を縫えるようになりました。裁縫の幅も広がりましたね。
洋服の製作販売は副業のような感じで、他にお勤めをしていたんですが、ミシンは毎日使っていました。
最近のミシン話
ここ3年くらいは、仕事の方が忙しかったのでミシンは触っていませんでした。
年に2、3回の頻度で雑巾を縫っていたくらいですかね。
最近は、新型コロナウイルスの影響で家にいる時間が増え、久しぶりに使いました。今はマスクを大量生産しています。友人に布マスクを頼まれることが増え、1ヶ月で合計60枚くらい作りました。久々に頑張りました。
手芸店ではマスク用のゴムや糸が売り切れていて大変だったんですけど、元々手元にあった分を使ってなんとか完成させることができました。
家には、その辺の手芸店には負けないくらいの材料が揃ってますよ。この期間を機に、ミシンを触ることができて嬉しいです。
最後に
私も母と同じく、物心ついた時から家にミシンがありました。
本エピソードの中で母が言っていたように、幼い頃の洋服や身につけていた小物はほとんど母の手作りでした。
あまりにも妹とお揃いのものを着させられるので、嫌だ!と反抗したこともあったような気がしています。
母とミシンに関しての一番の思い出があります。それは、家庭科の宿題を私の代わりに母にしてもらったことです。
私が小学生の時に家庭科の授業でナップサックを作る課題が出たのですが、授業時間内に完成させることが出来ませんでした。家に持ち帰ることがわかった途端、私は母にやってもらうことを思いつきました。
そのことを母に伝えると、笑いながらも一瞬にして完成させてくれました。このことは母も覚えていると言っています。今では、いい思い出です。
大学生になり一人暮らしを始めてからは、私の部屋のクッションカバーやポーチなどは母に作ってもらいました。デザインや生地などの細かい注文をしても、母は完璧に縫い上げてくれます。
さすが自慢の母です。
レポートを作成するにあたって、実家の母に電話でインタビューをしました。「ミシンを使う上で苦労したこととか嫌になったこととかある?」と質問をしたところ、「全部自分が好きでやっていることだからそんなことは何一つなかったし、とにかく楽しかったよ。」と答えてくれました。
大人になって自由な時間がない中でも、こんなに夢中になれる好きなことがあるというのはとても素敵なことだなと思います。
さらに、そのように自分の趣味を大切にする母だから、私がしたいと言った習い事は全てやらせてくれて、口癖のように「たくさんの経験をしなさい」と言ってくれていたのかなと思いました。
今回のインタビューを通して、これまでの母とミシンの歩みを知ることができたことはもちろん、母自身の生き方も少しだけ知れたのかなと感じます。実家を離れた今でも、家族とは頻繁に電話をします。
しかしいつも私のことしか話していなかったので、昔の母のことについても家族で話す機会になって、とてもいい時間でした。
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