この記事では「ジャガーミシンMP-006から知る家族の歴史」のエピソードを紹介しています。
ミシン所有者について
私の母親です。
1964年生まれ。2010年頃、滋賀県栗東市。
ミシン本体について
- ミシンのメーカー:株式会社ジャガーインターナショナルコーポレーション
- ミシンの機種:MP-006
- ミシンの購入年:2010年頃
ミシンの性能
ジャガーミシンMP-006は低価格で聞き馴染みのあるメーカーであったことが決め手となり購入したそうです。母が使いはじめてからとくに二つの利便性を感じたと言っていました。
- まず一つ目は先程も述べたように「コンパクトサイズであること」です。狭い家なのであまり幅を取らない、使わない間は隙間に置いておけるということに良さを感じたそうです。
- 二つ目は「単純な操作ができること」です。機械には疎い母親ですが操作方法の説明書がきちんとついていたり必要最低限のスイッチしかないことによりスムーズに作業ができたそうです。
ミシン技術の習得先
母の両親(私の祖父母)は大阪府摂津市の実家で1956年頃から約20年間紳士服の仕立屋さんとしてミシンを使う仕事をしていました。
しかし、業務用のミシンしかなかったため、両親からはとくに教えてもらうことはなかったそうです。
祖母は1938年生まれで、高校生のころは家政科に所属していたそうです。
卒業後は縫製の仕事を始め、そこで祖父と出会いました。結婚後、仕事場で学んだ技術を活かして独立して自営業を始めたそうです。実家には3台ほど業務用のミシンがあり、祖父母と何人かの従業員で働きました。祖母は子供を産んでからはパートをしながら手伝ったそうです。
そのような中、私の母は学校の家庭科の授業で基礎的な技術を学んだそうです。
学校にあったミシンは実家にあるミシンとは違ってタイミングよく足踏みをしないと上手に縫えなかったそうです。
またジャガー社の「MP-006」を使用するにあたっては、学生の頃に学んだミシンの操作方法はあまり覚えておらず、説明書を見ながらの作業になったそうです。
ミシンから知る家族の歴史:ジャガーミシンMP-006
ミシンの所有者はミシンをどのようなことに使いましたか?
今回取り上げた母のジャガー社「MP-006」は息子である私の兄の高校の文化祭で使用する衣装を作るために購入しました。
そしてほとんどその目的でしか使わなかったそうです。
誰のために何を作ったか、作ったものを具体的に書いてください。
息子のためにダンスの衣装を作りました。
ベストとズボンを直線縫のみで作ったそうです。
無償労働か有償労働かの区別も入れて下さい。
無償労働です。
兄の高校三年間で三回衣装を作ったそうですが兄も母も作った衣装の詳細は覚えていませんでした。
ピエロとミッキー風の衣装を作って着ていたような記憶が私にはあります。
ミシンの現在
所有者の方がミシンを使わなくなった経緯を書いてください。
第一に子ども達が学校を卒業して、ミシンが必要な裁縫をする機会がなくなったことです。
そして、ミシンを使用して作り出すよりもそのものを購入できるようになったからです。
最近で言うとズボンやスカートなどの裾上げの際にするまつり縫いは「MP-006」ではできないため手縫いで行っています。
ミシンへの思い入れ
実家には動力ミシンしかなかったため、教わろうとも実家にあるミシンはすべてとにかく大きく、縫うスピードも早く手を縫ってしまうんじゃないかと言うほど危なかったのでなんでも両親に作ってもらっていたそうです。
夫のスーツも何着か仕立ててもらい、今でも喪服として使用しています。
とくに実家のミシンですごいなと思った部分はボタンを入れる穴の周りを縫う機能がついているものだそうです。祖母も懐かしそうに自慢げに話していました。
ジャガー社の「MP-006」の思い出といえば、息子が学校から衣装の生地をもらってきたはいいものの大きな体格の息子には小さく、なんとかお腹を凹ませて着せていましたが、予行練習のたびに穴を開けて帰ってきては何度も縫い直しをさせられたことが思い出に残っているんだそうです。
そして本当に少しの期間でしたが娘(私)が学校で学んできたミシンの操作を家で行なっている姿も印象によく残っているそうです。その時は少女マンガに載っていたリボンの作り方を参考に作っていました。
母親自身は沢山ミシンに関わっていたわけではありませんが、昔は毎日のように両親がミシンに向かって仕事をしている姿を見ていたそうです。
息子が当時幼稚園児だった頃に作っていた上履き入れも今では親御さんには作らせない幼稚園が多いんじゃないかと思います。
それが便利になったなと感じる反面ミシン離れが寂しいような気もするそうです。
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