伊東衣服研究所の創立と現在:時期別の広告つき

洋裁学校の広告
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この記事では数多くフィードバックをいただいた伊東衣服研究所の伊東衣服研究所の創立と現在についてまとめています。

いろんな洋裁雑誌に載った広告も時期別にあわせてご紹介しています。

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伊東衣服研究所の創立

伊東衣服研究所は、伊東茂平が1940年に設立した洋裁学校です。1946年説あり。

伊東茂平は、戦前からファッションデザイナーとして活躍していた方で、1929年に前身であろうイトウ洋裁研究所を設立しています。

1946年に「私のきもの」(後に「モード・エ・モード」)という雑誌を創刊しました(伊東茂平に関する記事の一覧はこちら)。

1950年に伊東衣服研究所は東京都世田谷区、名古屋市中区、兵庫県尼崎市、大阪市南区にあったことが確認されます(「婦人画報」1950年9月号)。

1952年には学校法人女子美術大学の付属洋裁学校を開設。1960年頃には西武百貨店が招聘して西武学園伊東衣服研究所を開設しました。

伊東茂平や伊東孝らの作品はこちらに紹介しています。

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伊東衣服研究所の現在

伊東衣服研究所の現在は、世田谷区成城6-33-11で小規模ながら教室を開いています。

公式サイトはこちら

ふた昔ほど前の勢いは感じられませんが、研究所の様子をルポしたブログや研究所公式のインスタグラムを見ていると、それなりに活気が伝わってきました。

参考 東京 新宿・ミシンプロ(Shop Report)伊東衣服研究所

公式インスタグラム 伊東衣服研究所さん(@ica.ito) • Instagram写真と動画

伊東衣服研究所の広告

伊東衣服研究所(伊東茂平指導):1950年の広告

これは、伊東衣服研究所(伊東茂平指導)が1950年に『婦人画報』へ出した広告です。

伊東衣服研究所(伊東茂平指導) via 『婦人画報』1950年9月号、45頁。

伊東茂平が指導にあたっていたことがわかります。

この広告には設置科の区別がありません。時期を下るにつれて設置科目(開講科目)が細分化していきます。

当時の伊東衣服研究所の所在地は次のとおりです。

  • 東京都世田谷区成城町757(小田急・成城駅下車)
  • 愛知県名古屋市中区大津町5-33(東桜町電停前)
  • 兵庫県尼崎市穴太園和8-35(阪急・園田駅下車)
  • 大阪府大阪市南区順慶町1-52

春学期の申込期間は1月11日から2月18日まで。面接日は2月19日です。

秋学期の申込期間は8月15日から9月5日まで。面接日は9月6日です。

いずれも規則書郵券を封入して申し込みするよう指示されています。

伊東会

卒業生の方々への連絡も記されています。

伊東会という同窓会があったことがわかります。

イベント通知や技術連絡をする目的のようです。会費は年間200円。住所・氏名・職業・修卒業年月日を記入して成城校(本校でしょう)の事務所宛てに加入せよとのことです。

伊東衣服研究所(伊東茂平):1959年の広告

これは、伊東衣服研究所が1959年に『私のきもの』第55輯(1959年9月)に掲載した広告です。

伊東衣服研究所(『私のきもの』第55輯、1959年9月、87頁。

設置科には、

  • 本科…洋裁を基礎から勉強したい人向け
  • デザイン科…デザイナー志望の人、婦人服を理解したい人、好きな服を着たい人向け
  • 製図専科…もっと祭壇を勉強したい洋裁経験者向け

がありました。

1950年時点の広告には設置科目(開講科目)の区別がありませんでしたが、この59年時点の広告では3科に細分化していました。

開講月は4月と10月、それぞれ受付は、1月10日から3月末日までと9月1日から9月末日まで。

研究所所在地は東京都世田谷区成城町757で、小田急・成城学園前下車5分とあります。

伊東茂平カッティングスクール

伊東茂平カッティングスクールが存在したと聞いたことがありますが、所在や概要はネットでも文献でもわかりません。名古屋教室があったようです。

伊東茂平 伊東衣服研究所(1967年)

次の広告は「婦人画報」1967年1月号に掲載されたものです。

4月クラスを受付中です。

所在地が東京都世田谷区成城町757なので、1959年の広告から移転していないことが分かります。

伊東茂平 伊東衣服研究所。「婦人画報」1967年1月号。

今回の広告で貼る学期と秋学期で募集している学科は次のとおりです。

  • 本科:はじめて洋裁を習う人むけに初歩から、修業期間1年間。
  • 製図専科:もと裁断を勉強したい人や洋裁経験者むけ。修業期間1年間。
  • デザイン科:デザイナー志望の人や婦人服をもっと理解したい人むけ。好みの良い着物を着たい人にも開講。修行期間1年間。

申し込み受け付けは、4月クラスが1がと10日から3月末日まで。10月クラスが9月1日から9月末日まで。

アクセス情報は、小田急線成城学園前(北口)下車5分とあります。

入学案内は、郵券50円を同封して申し込むように指示してあります。

伊東衣服研究所(所長・伊東孝):1975年の広告

これは、伊東衣服研究所(所長・伊東孝)が1975年に『ファッションと風俗の70年:婦人画報創刊70周年記念』へ出した広告です。

伊東衣服研究所(所長・伊東孝)が1975年に出した広告。 via 熊井戸立雄編『ファッションと風俗の70年:婦人画報創刊70周年記念』婦人画報社、1975年、326頁。

豪邸そうな校舎に看板が立てられています。

伊東衣服研究所の所在は東京都世田谷区成城5-15-8。小田急「成城学園前」下車5分とのこと。

キャッチフレーズは「基礎コースからプロフェッショナル・コースへ」。

ミシンや洋裁の素人でも手に職をつけられるよということでしょうか。

設置科には、

  • 本科
  • 高等科
  • 研究科
  • 製図専科
  • デザイン科
  • デザイン高等科
  • 別科(自由選科・イージーソーイング科)

がありました。

資格は高卒以上の男女で、年齢は不問。

4月クラスと10月クラスに分けられ、それぞれ12月1日、8月1日より受付。

この広告では募集科は本科・製図専科・デザイン科の3科。

  • 本科…初めて洋裁を習う人向けに基礎から教えます。修業期間は1年間。
  • 製図専科…洋裁経験者で伊東式パターン作りを習いたい人向け。修業期間は1年間。
  • デザイン科…デザイナー志望者向け、また好きな服を着たい人向け。これも修業期間は1年間。

入学随時のイージーソーイングクラスも募集しているよう。

大学生、OL、家庭婦人向けに簡単で扇子のいい服づくりを教えるクラスです。

伊東茂平について

伊東茂平(熊井戸立雄編『ファッションと風俗の70年:婦人画報創刊70周年記念』婦人画報社、1975年、326頁)。

伊東茂平は20世紀中ごろに活躍したファッション・デザイナーです。福岡県生まれ(東京都生まれ説あり)。1898年~1967年。

慶應義塾大学法律科を卒業してから、次のような研究所や学校を設立しました。

  • 1929年にイトウ洋裁研究所を設立。
  • 1946年に伊東衣服研究所を設立。
  • 1952年に女子美術洋裁学校を創立。

中学時代にスチームエンジンの模型飛行機に興味をもち、戦前に独特な立体用器画法を応用した婦人服の裁断法を作ったといわれています。

西欧モードをアレンジして、日本で一歩先んじた発想から日本服飾界をリードしました。

1967年に他界しましたが、伊東派に属する多くのデザイナーたちが技術を継承して今に至ります(当段落は、熊井戸立雄編『ファッションと風俗の70年:婦人画報創刊70周年記念』婦人画報社、1975年、326頁より)。

伊藤すま子

伊藤すま子(熊井戸立雄編『ファッションと風俗の70年:婦人画報創刊70周年記念』婦人画報社、1975年、326頁)。

伊藤すま子は1920年に長崎県で生まれたファッション・デザイナーです。

お茶の水女子高等師範付属高等女学校卒業。伊東茂平の妻(夫人)です。夫と一緒に造形美を重視した作品を多く発表しました。

伊東衣服研究所卒業後に同研究所のデザイン科教師に就職。1950年に伊東すま子デザイン研究所を設立。鳥居ユキ、伊藤和枝らのデザイナーが巣立ちました。

デザイン研究所で教えながら、1955年にレナウンモード(株)の常務に就任。1960年に(株)ハインを設立してオートクチュールとプレタポルテを展開したといわれます。

1965年に(株)高島屋の主任デザイナーへ。1966年から美智子妃殿下のファッション・デザイナーを務め、皇室婚儀の衣装も担当。

関連記事

このウェブサイトで伊東衣服研究所に関連する記事は次のとおりです。

あわせてご覧ください。

コメント 感想や質問をお寄せください♪

  1. 25年くらい前に伊東式で学んだものです。
    創始者の茂平先生のことを書いてくださっていて嬉しく思いました。ありがとうございます。
    知っている範囲で、記憶にあることを書かせてください。
    私が通ったのは大阪梅田のビル(駅前第3ビルだったような)にあった学校です。伊東アパレルカレッジという名称で途中から伊東ファッションデザイン専門学校に名称が変わりました。
    校長先生は茂平先生のご子息の欣也先生でした。
    この学校は15〜16年くらい前に閉校したようです。東京成城の学校はご子息の達也先生(確かご長男)が運営されていて、特に姉妹校という感じでもなく学校同士の交流はなかったような印象です。
    達也先生は、90年台後半にオンワードファッション大賞の審査員をなさっていてお名前を拝見していました。
    志村雅久さん、西田武夫さんらが伊東茂平さんの門下生と聞きました。
    今さらながら、茂平先生のことや、創設当時の様子などを先生方から聞いておけばよかったと思います。卒業後、1、2度学校へお邪魔しましたが、それっきりで先生方もどうなさっているのかわかりません。

    • TK様
      はじめまして。
      伊東式の詳しいお話をありがとうございます。今となっては調べるにも難しく、具体的に活き活きと想像できました。
      また大阪梅田の話もして頂いたので、周辺に住んでいる私としては興味津津になりました。第3ビルあたりで学校を開かれていたということは、当時けっこうな受講者数だったかと思います。今は第1~第4ビルまで寂しい感じですが、一昔二昔前は活況があったのでしょうね!
      別のホームページでは、伊東茂平氏の作品を紹介しています。お時間のある時に見てみてください。
      AUTUMN BROWN 秋のきもの:伊東茂平デザイン
      https://lastmodern.com/autumn-brown-watashinokimono-59/
      モードの急所はショルダーライン:私のきもの 伊東茂平
      https://lastmodern.com/modeetmode-watashinokimono-59/

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