家族の支えになったジャノメミシン「メモリークラフト6500」

ジャノメミシン
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家族の支えになったジャノメミシン「メモリークラフト6500」

この記事では「家族の支えになったジャノメミシン」と題した、ジャノメ社の「メモリークラフト6500」の思い出を紹介しています。

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ミシンの所有者と自分の関係

ミシンを所有しているのは、父方の祖母です。

祖母は1939年に生まれ、このミシンは兵庫県豊岡市で使われました。

1986年から33年間「メモリークラフト6500」を愛用しています。

ミシン本体について

ジャノメミシン「メモリークラフト6500」

ミシンメーカー

ジャノメミシン工業株式会社

ミシンの機種、形式

「メモリークラフト6500」

シリアル番号

  • 記載なし
  • 定格電圧 100V
  • 定格消費電力 100W
  • 定格周波数 50/60Hz
  • ランプの消費電力 12W

ミシンの購入年

1986年

このミシンの性能

祖母的に良かったジャノメミシン「メモリークラフト6500」の利点は、4点あります。

  • 1つ目は、軽量でコンパクト、シンプルなデザインで持ち運びや収納が容易になりおしゃれな点。
  • 2つ目は、コンピューター制御機能を搭載しており、ひとつ縫うとコンピューターが自動的にサイズを記憶し、厚物の重ね縫いから薄手の物までソーイングが簡単にできる点。
  • 3つ目は、コンピューター内に自己診断回路が内蔵しており、ミシン自身が縫い機能をチェックする安全設計になっている点。
  • 4つ目は、また144種類の縫い方がキーに触れるだけで選択可能になり、当時のミシンでは斬新なものだったそうです。

さらに一度に31種類の模様を連続して記憶させたり、反転させたり、拡大縮小させたりすることもでき、名前を入れることも、ワンポイント模様を入れることも簡単にできる点です。

祖母はアレンジすることを得意としていたので、とくに縫い模様の豊富さはありがたかったといってます。

このミシンの購入の決め手は、父(祖母の息子)からのプレゼントらしく、値段もわからないとのことです。

父に聞いてみると、購入の決め手は、やはり縫い模様が豊富なところだそうです。値段は私が調べて所、20,800円でした。

ミシン技術の習得先

幼少期

祖母の家は、生まれた時から蚕を育てておりそれを糸にして機織りで生計を立てていました。

当時ミシンはなく、手縫いで服作りなどのすべての作業を施しており、小さいころから手伝わされていました。

小学校

そこから時代は過ぎ、祖母が小学校4年生のころ、一生懸命お手伝いしているからという理由で、初めてミシンを買ってもらいそれが大変うれしく、毎日寝るのを忘れるくらいミシンに夢中になりました。

お小遣い稼ぎで小学生ながらもミシンを巧みに操り、商売もしていました。

高校、専門

そんな祖母は近所の叔母に下宿をし、八鹿高校の家政科に入学しました。

初めて家庭用ミシンではなく、大きいミシンを触った感動が今も鮮明に覚えているそうです。

そこで基礎から応用まで学び、当時は珍しかった福知山文化学院という専門学校に2年間通うことになりました。

ミシンの使い道

祖母は仕事用では私用としてこのミシンを使っていまいした。主に家族の洋服を作成していたそうです。

祖母が今まで作ったものの中で、鮮明に覚えていたものを以下にまとめます。

叔母(祖母の娘)のドレス

毎年、叔母の誕生日は自宅に友達を招き入れて誕生日パーティーをしていました。

その時に着るドレスを縫ったそうです。

毎年違ったデザインで、祖母も大変楽しみにしていたといっていました。

当時は、フリルのようになるスモッキングや、雲のようなモクモクを演出できるスカラップなどのアレンジした縫い方を多用していたそうです。

叔父の運動靴

叔父はよく靴の扱いが雑で、穴をあけたり、底が取れたりしていたそうです。

祖母が毎回手直しできなくなるまで修正していました。

これには、半返し縫いで縫っていたそうです。半返し縫いで縫うと強度が増し、叔父が履いても取れなくなるそうです。

野球選手のユニフォーム

祖母はデサントというスポーツメーカーで25年間働いており、そこで野球選手のオーダーメイドユニフォームを承ったそうです。

当時は忙しく、出勤時間内に仕事ができなかったため、ユニフォームを持ち帰り、家で仕事を行ったため、家のミシンを使用したそうです。

ユニフォームなので、伸縮性にたけている伸縮縫いを多用したとのことです。さらに球団のマークのアップリケを縫ったり、ボタンを縫ったりと、様々な縫い模様を使ったそうです。

ミシンの現在

ジャノメミシン「メモリークラフト6500」

祖母は3年前に、右肩の肩関節周囲炎により2回の手術を経験しています。

半年間の入院、1年間のリハビリ生活により、今まで生活の一部だったミシンもだんだんと遠のいてしまいました。

最近では、肩のほうも日常的に支障を来たさない程度まで回復しており、このミシン・アンケートのインタビューを機にリハビリがてら再開しようと意気込んでいます。

これからは私たち孫の服などを作ってくれるのかと思うと楽しみです。

ミシンの思い入れ

祖母は人生の中で1番長い付き合いをしたのはミシンだと言っています。

小学校4年生の時にミシンに出会い、デサントを50歳で退職するまでの40年間、ほぼ毎日触っていたそうです。

祖母にとってミシンは右腕のようなもので、数分与えればいろんなアイデアの詰まった衣服が生み出される、一種の四次元ポケットのような存在でした。

デサントを退職してから数か月たった時に、最愛の祖父を肺がんで亡くしました。

祖母はうつ状態に陥り、何も飲み食いできなかったそうです。

そんな時、父からスーツの裾を直してといわれました。

今まで、祖父の看病で全くミシンに触れていなかったので、簡単なスーツのお直しでもとても楽しく感じ、初めてミシンを触った時のことを思い出したそうです。

現在は、祖母自身の体調もあり、思うようにミシンを使えていませんが、押し入れには眠っておらず、ずっとお部屋に飾っています。ここからも、祖母がどれだけミシンのことが好きなのかが窺えます。

最後に

このミシン・アンケートを書くにあたり、祖母の人生についていろいろ知ることができました。

ミシンを使う人は誰かのことを思いながら衣服を作っている、とても温かいものなのだと思いました。

現在、大量生産やアジア進出により、その温かみは失われつつあると感じます。

今一度、祖母からミシンを学び、衣服へのありがたみ、大切さ、そしてそこにある愛を感じてみようと思いました。

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