祖母とジャノメミシンS7702の思い出
インタビューをすることになって真っ先に思い付いた人物は祖母です。
幼い頃から私の周りには祖母がミシンで作ってくれたポーチ、巾着、ティッシュケースなど沢山の小物があり、野球をしていた私のユニホームの修繕などを行なってくれていました。
大学生になって一人暮らしを始めてから祖母の偉大さに気づかされる毎日ですが、そんな祖母にインタビューをすることになりました。
インタビュー対象者と私
私は父子家庭で祖父母の家に住んでおり、父は仕事で夜遅くに帰ってくるためご飯を作ってくれたりだとかの家事は祖母がしていたのでインタビュー対象者は育ての親です。
とても優しく時に厳しく育てられました。
ミシンのメーカーと機種
ジャノメミシンS7702
ミシンとの出会い
ミシンをどのような経緯で購入したか。いつ頃購入したか
私はさまざまなことに興味を持ち、学生時代から興味を持ったことにはなんでも挑戦してみるタイプの人で馬術や剣道など女性ではおよそ手の出しにくいこともやっていました。
末っ子が成人し子育てもある程度落ち着いた頃に何か始めようと思っていたタイミングで実家に家族が集まる用事があり帰省したところ、そこで私が見つけたのは姉が購入したミシンでした。
裁縫などの知識は素養としてあったので興味を持ち、そうなるとやらなければ気が済まなくなる私は姉に価格などミシンに関するあらゆることを根掘り葉掘り聞き、自宅に帰ってすぐに購入することを決意しました。
初めてかったものはおそらく1990年代だったと思います。
どのような形で支払いをしたか。
初めて買ったものは夫がお酒を飲んで酔っ払って帰ってきた時に壊してしまったのですが、2台目はミシンを趣味でしていたご近所さんに2000年頃に新しい物を購入すると言うことだったんで譲っていただきました。
ミシンを入手した後にどのようなことに使ったか。
初めて作ったのは自分で使うエプロンでそのあと服の修繕をしたり小物を作ったりしていました。
具体的には夫のズボンの裾上げや息子の作業着の縫製をし、孫が大きくなると成長にあわせていろんな物を作ることが多く、夏休みの工作の宿題を一緒にやったり、野球を始めたので弁当袋やユニホームに膝当てを縫い合わせたり、幼稚園で使う時用の手提げバックや雑巾などを作りました。
またご近所さんに小物入れをプレゼントしたりしていました。もっぱら自分のためではなく人のためにミシンを活用していました。
また再利用という考え方が強いので破れたものを直すのによく使っていました。
思い出のある作品
小銭入れ
一番思い出のある作ったものは夫に対して初めて作ったものである小銭入れです。
ある程度技術が身についた頃に夫の誕生日が近かったので革製の小銭入れを作ることに決めました。
初めての皮を使った作品だったので何回も失敗したのですが試行錯誤してなんとか夫の誕生日に間に合わせることができました。
夫も喜んでくれて無事成功といいたかったのですがその2日後に飲みに行った際に無くしてしまったらしくそれを私が言うまで黙っていました。
そこから機会を伺っては小銭入れをプレゼントしていました。
そして夫が亡くなったとき最後にあげた小銭入れを棺の中に入れてそれから作らなくなりました。
初孫へのプレセント
もう一つは長女がアメリカの方と結婚しこどもができた時に作ったベビー服です。
ミシンを始めた時から初孫にはベビー服を作ることを決めていたので、妊娠をしたと聞いてからすぐにベビー服をプレゼントしようと考え、後述するコミュニティの人たちに相談しました。
皆案外乗り気で親身になってこうした方がいいとかこれはこうだと教えていただき皆の協力あってできたベビー服をプレゼントすると、アメリカ人の長女の旦那さんが子供のように喜んでいたのがとても思い出深いです。
ミシンを使う技術は誰からまたはどの組織から教わったか。
前述したように私の実家で姉にミシンの基本の使い方を教えてもらってからは、まず本屋さんで教材となりそうな本を買いあさってそこに載っている物を作ることから始めました。
ご近所さんがミシンで裁縫をしていたので、まずその機種の使い方を聞き、それから裁縫に関するいろんなことを教えていただき、その人に紹介してもらってミシンのコミュニティに参加してさまざまなことを学びました。
裁縫教室といったようなお金を払って教えを乞うものではなく皆でミシンと雑誌や新聞の切り抜きなどを持ち寄ってわからないところを聞き合たり教えあったりするようなコミュニティで同好会のようなものでした。
そこには自分より一回り若い世代がいたりして私たちの世代では考えつかないようなアイデアやさらに新しい情報を教えていただくことができました。
それまで実用的な裁縫にとどまっていましたがそういった出会いのおかげで装飾や少し試す程度に止まりましたがフェルトアートについても学ぶことができました。
そのミシンは現在どういう状況にあるのか、また、ミシンを使っているとすれば、それは思い出のミシンなのか
使っていたミシンは5年ほど前に故障し、しばらく代わりに手縫いでできることをやっていたのですが、案外手縫いには手縫いの良さがあることに気付き、手縫いに夢中になっていく反面、ミシンには興味を失ってしまいやめてしまいました。
いただいたものということで捨てるに捨てられず1年ほど置物になっていたのですが、同じくらいの時期にそのいただいた方も故障していたようです。
お互いにミシンをつかわなくなっていたので新しい趣味として一緒にウォーキングを始め、そのミシンとはお別れすることになりました。
ジャノメのミシンということは覚えていたので写真を見せて今回の機種を特定するに至りました。
おわりに
ミシンについてのインタビューをすることで私も色々思い出すことがありました。
そんな私と祖母の間にあるミシンにまつわる話といえば思春期の頃の話です。
小学2年生の頃から野球をしていた私はいつもお昼ご飯におばあちゃんが作ってくれたおにぎりをミシンで作ってくれた巾着袋に入れて毎週土日に練習に行っていました。
はじめた頃はとくに何も思わなかったのですが年齢が上がっていくにつれ、他人のつや消しの黒の中が銀色で保温になっている市販の弁当箱に憧れはじめ、その反面いわゆる”おばあちゃんのセンス“な巾着袋を恥ずかしく思うようになりました。
中学生になると私はおにぎりを巾着袋から出し、コンビニのビニール袋に入れて持っていくようになりました。
恥ずかしがっていることを気づいたみたいでいつからかその巾着袋は使われなくなり市販の弁当袋に変わっていました。
中学生最後の野球の試合の時、祖母に気を使わせてしまったことがずっと引っかかっていたので最後くらいはとその巾着袋にしてもらうようにいいました。
すると祖母は涙ながらに「ごめんね。頑張ってきてね。」と言いました。
その時酷いことをしてしまっていたことを改めて実感し、今まで母親の代わりとして奮闘してくれた祖母に感謝し私も涙がとまりませんでした。
そしてこのようなインタビューのおかげでミシンのことと知らなかった祖母の内面を知ることができました。
馬術をしていたことも知らなかったし、現在もウォーキングや買い物などをしに行く祖母の友人はミシンを通してできたコミュニティの人だったりとか、1台目は祖父に壊されたこととか。
現在はもう手元にありませんが祖母にとってミシン単に布を縫い合わせるものではなく、祖母と人とをつなぎ合わせるものだったのではないでしょうか。
ジャノメミシンS7702の思いではこちらもご覧ください。
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