この記事はいただいたミシンのエピソード「ブラザーとベビーロックをとおした母のハンドメイド」です。
インタビューアーがお母さんからミシンの思い出を語ってもらいました。
はじめに
ミシン所有者と私との関係
今回、このエピソードのインタビューに協力してもらったのは私の母です。
1971年生まれ、今年で49歳になります。
京都府北部の京丹後市出身で、畑に囲まれた緑いっぱいの田舎で育った母は、小さい頃からミシンでいろいろなものを作っていたそうです。なかでも、洋服を作るのがとくに得意だったようです。
そんな母に、過去のミシンとの思い出や、洋服とその他手作り品の歴史を語ってもらいました。
ミシン本体について
母にインタビューした中で、たくさんのミシンが登場しましたが、今回はその中でとくに思い出が濃かった2つのミシンを紹介します。
1台目(1996年~2019年)のメーカーはブラザー、機種は不明。
2台目(2019~2020年)のメーカーはベビーロック、機種はExcim-pro 9400(エクシムプロ9400)。
今回インタビューするにあたって、母の一番思い出の詰まった1つ目のミシンが2019年の年末に壊れてしまい、機種名と写真が入手不可能だったため、メーカー名のみ記しています。
ミシン技術の習得先
ミシンの技術は、私の祖母から習いました。
祖母は戦争を経験した人で、農業をしながら着物を作る仕事をしていました。
仕事とはいっても、近所の人が布を持ってきて、それを着物に仕立てるという、いわゆる頼み事としての仕事でした。
その着物は、冠婚葬祭や、行事の節目などに着られ、基本的には手縫いです。
ミシンは、普段着や小物を作るときに使用していました。物が足りていない戦時中には、ミシンを使って布を再利用するのが当たり前だったので、当時の人は皆ミシンを使えたそうです。
そんな祖母に、私は小学生の頃にミシンの基本的な使い方から、簡単な服を作る技術を教わりました。
当時は今の電動ミシンとは違い、電気のいらない足踏式ミシンで、家には祖母のものと母のものの2台がありました。
私は、祖母から教わった技術で、夏休みの宿題のシャツを作ったり、クラスの全員分の雑巾を作って行ったりしていました。
また、学校の授業でもパジャマやエプロンを作りました。当時の授業数や授業内容は現代の家庭科の授業とさほど変わりはないと思います。
しかし、当時は一家に一台必ずミシンがあり、今より日常的にミシンに触れる機会が多く、授業で習わなくても、ミシンに慣れている子供が多かったように思います。
ブラザーとベビーロックをとおした母のハンドメイド
購入した経緯
1つ目のブラザーのミシンは、1996年、25歳の時に購入しました。
18歳から一人暮らしを始め、ブラザーのミシンを購入するまではトヨタのミシンを使用していました。
しかし、そのミシンはすぐに糸が絡まったり、スムーズに縫えなかったりと故障が続き、2年ほどでだめになってしまいました。
そして、24歳から洋裁教室に通うようになり、行きつけのミシン屋さんで紹介してもらったのが、20年以上お世話になることになる、このブラザーのミシンでした。
洋裁教室
洋裁教室は、24歳の時に通い始めました。
姉の旦那さんの妹さんの紹介がきっかけです。
2週間に1回の頻度で京都から滋賀県まで、片道45分かけて通っていました。
洋裁教室といっても、先生が課題を出すのではなく、毎回自分の好きなものを作るのです。
私は服を作るのが好きだったので、自分の好きなものを作れる環境とその時間がとても楽しく、それがこの教室に通い続けることができる1つの理由だったと思います。
洋裁教室は基本的に1人で参加している人が多く、そこでたくさんの人と知り合うこともできました。
私と同じく、20代前半の女性が大半でしたが、まれに男性も参加していました。今でも、SNSを通してつながっている友人もいます。
私は27歳で結婚し、29歳での妊娠をきっかけに洋裁教室をやめました。
洋裁教室で作った作品
私は主に洋服を作っていました。具体的には、ロングコートやスーツ、パンツ、ウエディングドレスなどです。
まず初めに、自分の好きなメーカーやブランドの服の型やデザインをお店まで見に行き、作る服のイメージを膨らませます。
そして、そのイメージをもとに服の形を型紙に起こしていきます。
次に、作る服に合わせて、表地や裏地、糸、ボタンなどを探しに行き、材料を買い集めます。
あとは、布を裁断し、型紙に合わせてミシンで縫っていきます。
洋服の作り方は、基本的に本で勉強しましたが、洋裁教室では先生に教えてもらったりもしました。
ロングコート
作った服の中で最も時間がかかったのはロングコートです。完成まで1ヶ月ほどかかりました。
当時はロングコートがとても流行っていて、かなり手間暇をかけて作りました。
デザインや、型は当時好きだった、シビラ(Sybilla)というスペインのブランドを参考にし、生地もわざわざ高い布屋さんで選んだと思います。
ウエストと襟を高くして、デザイン性にもこだわったそのコートは皆にかなりの高評価でした。
自分に合わせて作ったのでとても着やすく、20年以上たった今でも大切に保管しています。
結婚後のミシン
私は、27歳に結婚しました。
結婚して2年は洋裁教室に通い、洋服を作っていましたが、29歳で妊娠をきっかけに通えなくなりやめてしまいました。
その後は、子供の世話や、仕事で忙しくなり、布を買いに行く時間や体力もなく、ミシンに触れる機会がめっきり少なくなってしまいました。
子供がある程度大きくなり、少し時間に余裕が出てきた頃は、子供が保育所で使う靴入れや、手提げバック、布団カバーなどを作りました。
どれも服とは違って作りが単純なので、時間がない時でも直線縫いでぱっと作っていました。雑巾なども使い古したタオルなどを再利用して作りましたね。
ミシンのいいところは、やはり小物や服を買うより安く作ることができ、なおかつすぐに作れるところだと思います。子供ができ経済的にも大変なこの時期に、ミシンは私にとって大切なものでした。
家庭用ミシンから職業用ミシンへ
そんな思い出深い大切なミシンも、20年以上使うとさすがに調子が悪くなりました。
本格的に寿命を迎えたのは昨年の年末でした。ボビンがうまく回らなくなり、糸切り機能もはたらかなくなりました。
私にとって、23年使い続け、たくさんの思い出が詰まったミシンを手放すのには、なかなかの決断力がいりました。
しかし、3月頃から感染症が流行りだし、マスクを作りたかったのでなくなく処分し、新しいミシンを購入することにしました。
そこで購入したのが、ベビーロックの職業用ミシンです。たくさんの機能があるとダイヤルなどが壊れやすいので、直線縫いのみできるミシンにしました。
このミシンでは、子供と一緒にマスクを13枚作りました。
型紙をインターネットでダウンロードして、顔のサイズに合わせてカットします。布を購入し、アイロンを当てて、ミシンで直線縫いをしていきます。
子供もミシンを使えるようになったので、今回はたくさん手伝ってもらいました。
最近の休日はマスク作りに励んでいます。今年は昔のようにシャツやスカートなど、洋服作りにも再チャレンジしようと思っています。
最後に
今回インタビューした中でまず初めに私が感じたことは、今の私たちはミシンに触れる機会が学校以外にほとんどないということです。
昔は、ミシンは嫁入り道具として使われていて、使えるのが当たり前でした。母の祖母の話を聞くと、今の私たちが昔の人に比べ、いかにミシンを使っていないかということを知りました。
私の母は、24歳から洋裁教室に通い、そこに通う生徒のほとんどが20代前半の女性だったということは私にとってはとても驚きでした。
母が特殊だったのかもしれませんが、私の周りには、ミシンを持っている友達や、洋裁教室に通っている友達はおろか、縫い物に興味がある人が全くいません。
服や小物には興味があるが、ミシンを使ってそれを作るのに興味がある人がいないというのは、近年ミシンが使われなくなっている最大の理由のように思います。
私は、小学生の頃から母にミシンの使い方を教わり、毎年学校に雑巾を持っていくときには自分で縫ったものを持って行っていました。
しかし、雑巾以外は作ったことがなく、母のように洋服を縫う技術やそもそもミシンについての豊富な知識もあまりありません。
今回のレポートで、インタビューする人がミシンへの思い入れが深い母でとても幸いでした。
マスク作りもですが、母の洋服作りにもとても興味がわきました。いつもは母のミシンを縫う音を聞いてばかりでしたが、今度は私も雑巾だけでなく、小物をはじめ、シャツ作りなどにも挑戦してみようと思います。
母のように、かっこいいコートを縫えるようにもなってみたいです。来年の母の日には、それをプレゼントできるようになっておくのが今の私の理想です。
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