いただいたミシンのエピソード「ジャノメIC401について初めて聞いた母の思い出」をご紹介します。
- インタビューの対象者は母です。
- ミシンのメーカーはジャノメでシリーズ名はIC401です。
私とミシン
初めて使ったミシン
私が初めて本格的にミシンを使ったのは中学校の家庭科の授業だったと思います。
家庭科室にある足踏式ミシンを使用しました。
テレビで足踏式ミシンを使用されているのを見たことはあったのですが、自宅にあったのは電動ミシンで、私自身が足踏式ミシンを使用するのは初めてでした。
はじめのうちは足踏みペダルを踏むタイミングが合わず、布地が前に進まず糸が切れたりして、うまく使えませんでした。間違って使うとケガをしてしまうので慎重に練習しましたが、緊張すればするほどうまく縫えずに苦労しました。
何かのタイミングでリズミカルに生地を進めることができるようになりました。自転車に乗れるようになるのと同じような感じで、うまくできるようになると、できなかった理由がわからない、という感覚でした。
あれから40年ほどの時間が経ち、その間一度も足踏式ミシンに触れたことはありませんが、もし今使用する機会があれば、たぶんうまく使えると思います。
引き続き中学校の家庭科の思い出になります。
家庭科の授業で割烹着スタイルのエプロンを作成することになりました。生地を買って型紙をもとに作成するところから始まりました。
家庭科の、一学期分の授業時間を使ってエプロン一枚を完成させたという記憶があります。毎回授業で「今日はここまで仕上げる」という目安があり、授業中に終わらなかった部分は宿題となり、次の授業までに自宅で作業をして追いつく、というスタイルでした。
ミシンで本格的な制作をしたのは初めてだったので、大変だった思い出があります。直線縫いだけでなく、折り返し縫いや、かがり縫い、袖ぐり・襟ぐりのカーブを縫うなどがあり大変でした。
ただそのエプロンを仕上げたことによって、ミシンを使うことに対する自信が育まれたと思います。
実は、中学校に進学するまで自宅にミシンはなく、授業で必要ということで、母がミシンを買ってくれました。
自宅に営業の方がこられて、分割払いの契約書を記載していたことを覚えています。自分が支払ったわけではなかったのに、支払いが完了したときは、安心したことを思い出します。遅ればせながら、改めて母には感謝したいと思います。
高校の家庭科の授業ではミシンを使用することはなく、1年間かけて浴衣を手縫いで仕上げました。
一から制作するのは同じではあるものの、ミシンで制作するエプロンに比べるとかなり大がかりでしたが、実際に仕上げた経験があったので、「大丈夫、必ずできる」という自信を持ちながら取り掛かることができました。
エプロンを仕上げた後は、自身の生活の中で必要な場合や趣味などで折に触れて使用しました。
2台目のミシン
2台目のミシンは夫の母からいただいたものでした。
夫の母は婦人服の制作販売をしており、結婚した際に使わなくなったミシンを譲ってくれました。
2台目のミシンを集中的に使用したのは、長女を妊娠していた時期でした。
このミシンで制作したもので思い出に残っているのは、自身のマタニティウェアや、長女用のおくるみ、簡単なベビー服などです。ほかに、哺乳瓶やマグマグを入れるきんちゃく袋などを作成した記憶があります。
ベビー服はパーツが小さく、袖と身ごろなどをつなげるのに苦労したのを覚えています。
当時は時間もあり、子どもの誕生が待ち遠しい気持ちが大きかったので、大変ではありましたが、制作する時間は楽しく過ごせました。
残念ながら、今は仕事で多忙のため、ミシンを使って何かを作ろうという気力があまりありません。よく頑張ったとそのころの自分をほめてあげたいです。
今回コロナウイルスの感染流行で休業となり、自宅の断捨離をしていたら、当時作った2つのきんちゃく袋を見つけました。
この機会に捨てようと思ったのですが、子どもたちが、場所をとるものでもないので思い出として置いておいてはどうかと提案してくれて、うれしく思いました。
夫の母とミシン
夫の母は婦人服の制作、販売をしていました。
自宅の中に作業場をもち、百貨店の催事などに出展していたプロ中のプロでした。
一般的なミシンのほかにロックミシンも所有しており、古着の着物をドレスにリフォームしたり、お得意様から注文をいただきおあつらえをしたりしていました。
生涯現役で、亡くなる少し前までで制作をしていました。夫の母が亡くなって今年の夏で8年となります。
8年前、長女は高校2年生、次女は中学1年生で、子どもたちは祖母の顔は覚えていると思いますが、祖母がどんな洋服を作っていたかまでは覚えていないと思います。
今回子供たちと一緒に自宅でゆっくり過ごす時間の中で、夫の母が私のために作ってくれたワンピースや、子どもたちのために作ってくれた七五三用のワンピースなどを見せることもでき、故人をしのぶいい機会となったと思います。
3台目、4台目のミシン
3台目と4台目のミシンについても大切な思い出があります。
15年ほど前、子どもたちが小学生のころに、大変お世話になった老夫婦がいらっしゃいました。
仲の良いご夫婦でしたがお子様はおられなかったせいか、私のことをかわいがってくださいました。
家族の中でお付き合いをさせていただいたのは私だけでしたが、子どもたちにも本をいただいたりお年玉をいただいたりと本当にお世話になりました。
奥様が先にお亡くなりになった後、ご主人から、奥様は生前裁縫が得意だったという思い出話を伺いました。奥様が愛用されていたミシンが2台残っているということで、2台とも形見分けとしていただきました。
思い出のある大切なミシンをいただきとてもうれしかったことを覚えています。
大切に使われてきたもので、何年間か使用させていただいたのですが、部品の欠品もあり、残念ながら私がいただいたあと長期間は使えず、ご主人が亡くなられた後で処分させていただきました。少しほろ苦い思い出です。
今のミシン:ジャノメIC401について初めて聞いた母の思い出
今のミシンは、娘が学校の行事でミシンが必要だということで購入しました。
ただ娘が使った後、私自身は仕事が忙しく、ミシンを使用する時間もなくほとんど活用できていません。今は近所にある私の母の家に置いています。
今までのミシンと比べれば性能も上がっており、きっと20年前ではできなかったこともできるようになっていると思います。
重量も軽くなっており、糸をかけるステップもシンプルになっていました。時間に余裕ができれば、またチャレンジしてみたいと思います。
娘たちと一緒にミシンを使って何かを作るような時間が取れませんでしたが、自身でクリエイトする喜びを見つけてくれると嬉しいと思います。
最後に
今回母にインタビューをしてみて、いろいろ知らなかったこともあり、とても興味深かったです。
私の父方の祖母がミシンを使って婦人服を制作しており、インタビューをするのには最適な人物だったのですがすでに他界しており、誰にインタビューをしようかと困りました。
最終的に母にインタビューをすることになりましたが、私が知っている母はいつも仕事で忙しく、家で趣味に没頭するような時間はない人でした。
そのため、母がミシンを使用している姿など一度も見たことがありませんでした。
しかし、このインタビューを通し、母が少ないながらもミシンを使って子どものためにベビー用品などを作ってくれていたということを知り、すこし驚きとともに嬉しさを感じました。
私は小学校の授業以外でミシンを使ったことがありません。今の時代は既製品が多く、自分で服や布製品を作ることが少なくなっていると思います。
ミシンが家にない方も多いでしょうし、あったとしても使っていない方が多いように思います。そのようなミシン離れの状況の中で、今回のインタビューを通じてミシンの良さを感じることができました。
母も言っていましたが、ミシンに限らず自分で何かを作ることで達成感や喜びを感じることができると思います。
最近はコロナウイルス流行のため、家にいる時間が増えており、時間の余裕もできたので、私もミシンなど何か新しいことにチャレンジしてみたいと思いました。
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