豊かな生活の中で薄れていくミシン文化

ジャノメミシン
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この記事ではミシンのエピソード「豊かな生活の中で薄れていくミシン文化」をご紹介しています。

インタビュー対象者は母と祖母です。

とりあげるミシンはジャノメ社「EQULE 940」と足踏式ミシン(廃棄済につき種類不明)です。

ミシンと聞いたときにあなたは、なにが思い浮かぶでしょうか。

裁縫道具の一種や、嫁入り道具などの概念を思い浮かぶ人がほとんどで実用的側面を思い浮かべる人は、少ないのでは、ないでしょうか。

今回は、そんな現代において存在感が薄れつつあるミシンについて、使っていた方にインタビューし記録します。

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母のミシンとの出会い

ミシンの使い方をどこで学びましたか

私がミシンを学んだのは、与謝野の中学校に通っているときでした。

その時の授業で家庭科があり、裁縫授業の一環として学びました。

また、他にも実家に足踏式ミシンがあり、それを祖母がやっているのを見ていたので時々、それを用いて人形の服なんかを縫ったりしていました。

ミシンをどのような経緯で購入しましたか

実家に足踏式ミシンがあったので実家にいるときは、それを用いていました。

そして、一人暮らしするようになってからは、使う予定もなく所持していませんでした。

なので、ミシンを購入したのは、結婚して子供ができてからになりますね。

あの頃は、夫婦ともに共働きだったため子供を保育園に預けていました。そして、保育園では、お昼寝があるため、お布団が必要でありそれを用意するためにミシンを買ったという経緯ですね。

また、ついでにおむつ入れや着替え入れといったものもおそろいでかわいくしたかったっていうのもありますね。

ミシンを入手後にどのようなことにつかいましたか

もちろん、お布団や、おむつ入れ、着替え入れといいたいところですが、実際は、着替え入れだけですね。

実家にいるときに足踏式ミシンで人形の服を縫ったりしていたのでこれくらい余裕で作れると思っていたのですが結局ほとんど作らずに終わってしまいました。

なぜ、ミシンでほとんど作らなかったのですか

やっぱりそれは、電気ミシンと足踏式ミシンの違いじゃないかと思いますね。

昔、使っていたのは、足踏式ミシンでしたけど、その時買ったのがジャノメの電気ミシン「EQULE 940」でした。

最初は、もちろん最新の技術で非常に楽に縫物ができるといううたい文句だったのでいろんなものをつくるぞと意気揚々と取り組んでいたのですが、実際に使ってみると昔の足踏式ミシンのように単純では、なく多機能性ゆえの複雑さというのでしょうか、私に非常に取り組みがたいものでした。

ほかにミシンへの思い入れなどありますか

電気ミシンは、難しくてほとんど取り組めなかったので、あまり思い入れなどは、ないですけど、足踏式ミシンには、少しありますね。

私が子供のころ、祖母も一緒に暮らしていたのですが、時々、その祖母の部屋からカタカタと不規則なリズムが聞こえてくるんですよね、もちろん子供ですから好奇心に負けて見に行きました。

すると祖母がそこで足を前後に動かしながら足踏式ミシンを使っていました。

そこまでならとくになんの感慨も抱かなかったでしょうが、その時の祖母の様子は、いつもの温厚で世話焼きな雰囲気とは、まったく違うなんとも形容しがたい雰囲気を醸し出していてとても話しかけられなかったんですよね。

そして、その後も詳しいことは、聞けずに時は、過ぎていったんですけどやはり、その音は、時々聞こえてくるのでなんというか日常の音みたいな感情がいつのまにか生まれていましたね。

今となっては、その時どうしてそんな風にミシンを使っていたのか聞くことは、できないんですけど、後に母に聞くところによると昔紡績工場のようなところで働いていてその名残じゃないかということでした。

私自身あの頃は、不思議な感覚であの音を聞いていたので今でもカタカタという音を聞くと祖母がミシンを使っている様子をまざまざと思い浮かびますね。

現在のミシンの状態は、どうなっていますか

電気ミシンは、捨てては、いないですけど押し入れ奥底にしまってありました。

今回のことを機に出してみたのですけど、今後も使わないしどうしようかなと悩み中です。

足踏式ミシンについては、実家のほうに今は、ないし捨てたと思います。

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祖母のミシンとの出会い

ミシンの使い方をどこで学びましたか

母がミシン関係の職についていたので家でも足踏式ミシンでいろいろつくっておりその関係で、気づけばミシンは、扱えるようになっていたと思います。

あと、学校でも確か習った気がします。

ミシンをどのような経緯で購入しましたか

ミシンは、結局購入しませんでした。

銀行員として独り暮らししていたときは、とくに必要なかったです。

あとは、当時の足踏式ミシンは、90センチくらいの大きさで置く場所もなかったというのもありますね。

結婚後は、夫が立てた家に母と一緒に住むことになり母がその時、足踏式ミシンを持ってきたので購入する必要は、ありませんでした。

ミシンは、どのようなことに使いましたか

ぱじゃま、浴衣、こたつ布団、座布団カバーなど当時は、いろいろなことに使っていました。

ただ、現在使われている、電気ミシンは、いろんなことができるけれど当時の足踏式ミシンは、直線しかできなかったのでさっきあげたものを思い出してもらえればわかると思うのですけれど直線縫いのものばっかりしか縫っていませんでした。

足踏式ミシンは、どのようなものですか

今は、基本的に動力は、電気なのでとくになにかをしながら縫う必要もないですが足踏式ミシンは、足のところに踏み台があり、それをてこみたいに前後に動かすことでミシンが動きます。

だから、今だと、ミシンは、一定間隔で動くけど足踏みだと人間の足の動きで変わるのでリズムも非常に独特なものでした。

ほかにも今だと糸遠しも勝手にやってくれますけど、それもすべて手動でしたし、はしみしんなどは、手でずっとはりのピンを押しながら進んでいました。

今の電気ミシンに驚いたことは、なんですか

足踏式ミシンは、足で踏むだけなので電気とそこまで変わらないと思われる方もいるかも知れませんが実際は、足を踏むところは、意外と重くて大変でした。

なのでとくになにもせずとも勝手に動いてくれるのは、最初は、すごく驚きました。

他には、アプリケみたいな縫い方が足踏式ミシンでは、出来ませんでしたし、他にはしはころびや箸縫い、縫い止めのためのバックなど例をあげたらきりがないくらい色々今までできなかったことができるのでその高機能性に驚く以外の気持ちは、思い浮かびませんでした。

足踏式ミシンに思い入れなどありますか

母が時々、それを使い縫物をしていたのでその時の様子がもっとも思い出深いですね。

あとは、今ので電気ミシンは、単調な音で昔の不規則音に比べて風情が足りないなと時々感じますね。

ミシンは、現在どういう状態ですか

主に母が使っており、母が高齢化になった時につかわないだろうということで捨てたと思います。

当時は、思い出として置いておきたいという気持ちもあったのですが足踏式ミシンは、大きくて非常にスペースをとるので捨てざるを得ませんでした。

まとめ

私にとってミシンとは、家庭科の授業の一環で学ぶものでありそれ以上でもそれ以下でもなく、言い換えるなら伝統、形式といった実用性のない概念の1つだと考えていました。

しかし、今回、実際にミシンを使ったことがある人にミシンについてインタビューすることでその考えは、大きく変わりました。

つまり、今まで頭の中の知識でしかなかったものが急速に実感を伴い始めたのです。

もちろん、現在においてのミシンのおかれた状況は、私、一人が実感を得たところでなんらかわるものでは、ありません。ですが文化というものは、誰かが知っていればそれは、つながる可能性は、残されています。

たとえば今回、母、祖母ともに足踏式ミシンの音というものに風情を感じるということを述べていましたが、これもミシンという文化の一部でありしっかりと人々の中には、残っているということなのでは、ないでしょうか。

ゆえに、今回のインタビューも結果的にそうなりましたが今後の私たちが文化を残すためにやるべきことは、後世に引き継ぐ機会を作ることなのでは、ないでしょうか。

豊かな生活の中で薄れていくミシン文化(ジャノメEQULE 940)

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