振り返るミシンについて
- メーカー:ジャガー
- 種類:KD-550
- 購入年:2001年ごろ
- インタビュー対象者:私の母
これは、母がミシンをもらい受けた2001年から、技術を習得し実際に使うようになるまでのから2005年ごろにかけての出来事です。
結婚・引越し祝いで届いたミシン
結婚と引越し
今から20年ほど前の話です。
私は結婚し夫の実家に移り住む事となりましたが、その後程なく子どもに恵まれ、夫の実家近くに新居を構えることになりました。
それからというもの、新居に置く家具や調度をどうしようと夫と決める日々。
「子育てのためにも新しい家具やおもちゃが必要だけれど、一体全体どんな物がいるのかしら」と不安な日々。
そんななか義理の母は、やさしげな京言葉で「子どもは何かと遊んだりして服を汚すさかいにな、ミシンやら洗濯機やらがあると頼りになるぇ」などと手取り足取り必要なものや母親としての心構えを教えてくれました。
そして、義母に半ば勧められる形でミシンを買おうという決心が生まれました。
お祝いとして
ちょうどのその頃、新居を構えるという事で夫の取引先の人が、外回りで家に来られたとき「お祝いをせんとあかんなぁ。欲しいもんなんかあらへんのか?」と聞いてくれました。
先程の義母との会話の後だったこともあり「子育てもせなあかんし家事も大変やさかいに、ミシンを買わへんとあかんと思ってるんやけど、中々に種類も多くて難儀で…」と返すと、「それやったらウチの家内に聞いてみるわ。」と返され、次の日には「家内に聞いたらエエの見つかったし、また送ったるわ。引越しの日いつやったかいな」とトントン拍子に話が進みました。
そしてミシンが新居に届く事になりました。
これが、私とミシンとの出会いです。
支払い
このため私はミシンを買う事も支払う事もしていません。
強いていうなれば、夫の取引先にお祝い返しや御中元を送ったくらいです。
そう考えてみると、お菓子を贈るという形で支払いをした事になるのかも知れませんね。
どのような事に使ったか
子どもの日常の影で
子供が幼稚園に入園する時の事です。
入園先候補の幼稚園をいくつか回ると、幼稚園は保育園と違い専業主婦のママ達が多いからか、子供達がママ手作りの好きなキャラクター柄のエプロンや手提げ鞄を使っている事に気付き衝撃を受けました。
そうか、ママってこういう事なんだと思いエプロンや手提げ鞄を作るようになりました。
他にもテーブルクロスなどを作る事もありました。
それ以来、子供が小学生の時までは定期的に鞄や体操着入れなどを作っていましたね。
私は、殆どミシンに触れた事が無かったので、これらを作るのは少し不安でしたが、(次の章で述べる)友達に恵まれ手取り足取り教えて貰えたので、無事作ることができました。
思い返せば、子どもの成長の影にずっとミシンが見え隠れしていたように思います。
そして今
子供が中学生になり大きくなってからは、子どものために何かを作る機会も減少してミシンも影が薄くなってきました。
最近では、二年に一度くらいでしょうか、趣味の生花(華道)の関係で使う和装小物を作るのに使います。
懐紙入れなどは手縫いの方がいいけれど、信玄袋などを作るのにはやっぱりミシンが便利です。和裁は義理の母が上手なので今でも、襟直しや手入れなどは任せっきりですが(苦笑)。
なんだかんだ使うので、ないと困るものというよりも、痒いところに手の届く道具といった感じですね。
最近では日の目を見る事もなくなりつつありますが、ミシンを使うと子どもの小さい頃や20年前の日々を思い出して、まだまだ頑張ろう!という気持ちになりますし、そう言った気持ちが趣味のお花や生活の一原動力になっています。
技術の取得〜ママ友に習う日々〜
さて、先ほども少しだけ触れましたが私はミシンの技術をママ友に習いました。
もちろん、基本的な使い方は高校までの家庭科で習ってはいたのですが、些かブランクもありましたし自信がありませんでした。
そして、何かを作るにしても、生地はどういうものを使えば良いのかなど基本的な段取りがわかりません。
そんな中で、何もかと手取り足取り教えて貰う日々が始まりました。
ママ友との出会い
子供が幼稚園に入る前、いわゆるリトミックやスイミングスクールに子供を通わせました。
その中でどちらにも通っており子供が同い年というママと仲良くなりました。
それからというもの、子供が歌ったり泳いだりしているのを眺めつつ二人で、子育ての悩みや出来事などを話すようになりました。
その中で、「ミシンを買ってもらったけど、うまく使いこなせない。本当は色々使いたいんだけど。」という話をしました。
すると、「私は洋裁学校出てるから教えてあげるよ。」と快く悩みにのって貰え、ミシンの使用方法を教えてもらう事になりました。
子供がお互いの家に遊びに行く時に、教えて貰ったりあいにく、この友達がどこの洋裁学校を出ているのかは存じていませんが、この人の教え方はとてもうまく見る見るうちにミシンが使えるようになりました。
そして、ミシンを使うためには糸や生地の特性を理解しないといけません。
道具を使うためには、道具が使うものを理解しないといけないと、そのママ友に力説され一緒に四条通のノムラテーラーに生地を見に行った事を覚えています。
そこで、生地を手に取りながら、「手提げ鞄なら、これくらいの分厚い生地で、多めに見てこれくらいは買った方がええな」などと実際に必要な物事を教えてもらいました。
そして、買った生地を実際に持ち帰り裁断して、縫い、作りかけのものを持っていき見てもらう。
また、来てもらって手伝ってもらうを繰り返してミシンの技術を習得しました。
おかげさまで、子供が幼稚園に入園する頃までにある程度の事はできるようになりました。
結婚するまで触れなかった裁縫
私は裁縫があまり得意ではありませんでした。
小学生の頃に母が病気になり、高校生の時に亡くなるまで家族での闘病生活が始まりました。
その中で、私は母に変わって料理や買い物、掃除など動かないとできない家事を手伝うようになりました。
一方で、裁縫やミシンや家計簿などのあまり動かなくてもできる作業は母が行うようになりました。そのせいもあり、(今となっては言い訳ですが)母との時間は出来るだけ話したり歓談の時にしたいのもあり、母からミシンや裁縫の技術を習うことはありませんでした。
なので、裁縫はずっと不得意で、きちんと習ったり家庭で行う事もなかったものですから苦手意識が付き纏っていました。
ですから、どこかでちゃんと習う機会が欲しいなと思いつつ初歩的なことができない物ですから、その手のスクールに通うのも億劫でしたし、義母に「そんな事も出来ないのか」と思われてはいけないと思い中々教わる気にもなれず、そのような中でのママ友との出会いは大変助けになりました。
幸いにも、先程触れたように私は料理が得意でしたからママ友にミシンを習う代わりに献立や料理を教えたりと、お互いに助け合うような日々が生まれました。
その後、子どもが幼稚園に入ってからも裁縫は得意人に習ったり見様見真似で行うというのが私のパターンでした。思い返すと積極的にミシンを使わないようにしていたのかもしれませんね。
まとめると、子どもが生まれてから、ママ友に習うことで不得意ながらもミシンを使うようになりました。
ミシンの現在
このミシンは今でも家の物置にあり、先述のように年に一回ほど使っています。
繰り返しになりますが、趣味のお花などに使う和小物を作るのに使っています。
最近では、昔教えてもらった事を受け売り的に子供に教え子どもがミシンを使う事もごく稀にあります。
子どもも私と同じような趣味の範疇で信玄袋などを作ったりしています。これは、他の家具や調度品にも言えますが、ミシンはずっと子どもとの日々の背景にあったのだなぁとこのお話をしながら思い出しました。
最後に
これまで、母からミシンとの思い出を聞いてきた。
聞く中で、ミシンとの思い出を問うているのに私との思い出をたくさん語られてしまい、幼少期の話を聴くことなんてしばらく無かった物ですから如何にもこうにもむず痒い気持ちになりました。
家庭用ミシンというのは、その用途が家庭的ですから、どうしてもこのような思い出話になってしまうのでしょうね。
私は今回このようにして聴くことで、母のミシン技術習得の話を始めて知ったので、終始驚きの連続でした。
昭和に教育を受けている人は(家庭内での分業的な側面も相まって)裁縫等は当然できると思っていいたので、私が生まれてから習ったというのは意外でした。
以前、(父方の)祖母から「嫁入りまでに和裁や洋裁の基本くらいは抑えとかないと嫁に行かへんよって家でよう言われたもんや」という話を聞いていただけあり、母と祖母の世代間の感覚差に驚きを隠せずにいられません。
祖母と話ができるうちに、和裁や洋裁の心得があるという祖母の話も聞いて見たかったものです。
オーラルヒストリーというのは意外と子どもや身内が知らない事も多く、“その人だけの歴史”があると思います。
そして、その中には、その人のありありとした赤裸々な時代像や社会が見え隠れします。
私の時代とは違う、一世代前の日常の母の生活に心を向け、憧憬の念を抱きつつ、本稿を結びとさせて頂きます。
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