ミシンと母の二十年:シンガー フィットライン6280
この記事では「ミシンと母の二十年」と題した、シンガー社の「フィットライン6280」の思い出を紹介しています。
ミシン所有者とあなたの関係
そのミシンを所有している方はあなたから見てどなたに当たりますか?
このミシンは私の母が所有しているものです。
その方の生年やミシン利用期間の西暦や居住地
母は1974年生まれです。居住地は京都府京都市で、ミシンも京都府京都市で利用しています。
このミシンは2000年に購入し、2000年~2005年頃までは頻繁に、2006年~2014年頃まではたまに押し入れから出してきて利用していました。
ミシン本体について
ミシンのメーカー
シンガー日鋼株式会社
ミシンの機種
fitline 6280
ミシンの購入年
2000年(2月23日)
ミシンの性能
母は、シンガーミシン「フィットライン6280」の性能で3つよかったところがあるそうです。以下、その3つについてまとめます。
自動針穴糸通し
1つ目は自動針穴糸通しがついていることです。
この作業は集中力がたくさん必要であることに加え、母は視力が両目とも0.1以下で、眼鏡をかけていても針に糸を通す作業が難しいため、この性能のおかげでスムーズに作業ができました。
育児中の隙間時間での作業のため、糸が簡単に通るのはありがたかったと言っていました。
13パターンのステッチを可能にするダイヤル
2つ目はダイヤル1つで13パターンにも縫い目が変えられるところです。
2000年の26歳の母にとっては13パターンもの縫い目を使い縫物の幅が広がることは、とても大きな喜びでした。
また、ボタンホールが簡単に作れるので、製作時間の短縮になったようです。
スピードの簡単レバー調整
3つ目は縫うスピードがレバーを左右に動かすだけで簡単に調節できるところです。
母が学生の頃家庭科で使っていた足踏式ミシンでは、縫いながら足の踏み加減も気を付けなければいけないので苦手だったようです。
また、2000年当時、私(筆者)が小さかったため、足元に来た時に危ないと考え、手元でスピードが調節できるのが便利だと感じたそうです。
ミシン技術の習得先
祖母が裁縫が苦手だったため、母には教えてくれる人が近くにいませんでした。
そのため、ミシン技術はすべて図書館で借りた本や付属のカタログから学び、わからないところは、手芸用品売り場の店員の方達にアドバイスをもらったり、裁縫のできる友人たちから教わったそうです。
ミシンの使い道
ミシンの所有者はミシンをどのようなことに使いましたか?
私(筆者)の「保育園入園準備品のほとんどが手作り」と聞いたため、ミシンを購入することに決めたそうです。
その後、弟も生まれ、弟の小学校卒業までいろいろ作ったそうです。以下、母の記憶を頼りに作品をまとめます。
誰のために何を作ったか、作ったものを具体的に書いてください。
リュックサック
最初は、私のために保育園登園用のリュックサックを作ってくれました。
ミシンに不慣れだったため、ほとんど直線縫で仕上げたそうです。
幼くて字が読めなかったので、自分のマークをアップリケで縫い付けてくれていました。
エプロン
私と弟のエプロンを作ってくれました。
エプロンには、直線縫と縁縢縫とボタンホール縫いを利用したそうです。
まだ私と弟は小さかったので紐を後ろで結ぶことができず、大きめのボタンで留めることにしたそうです。
ランチョンマット
私と弟のランチョンマットも作ってくれました。
ランチョンマットは毎日使うものなので複数枚ずつつくり、ほつれないように周りのバイアステープを直線縫で縫い留め、丈夫にし、洗濯にも耐えれるようにしたそうです。
30センチ物差入れ
私と弟の30センチ物差入れも作ってくれました。30センチものさし入れも他のものと同様で直線縫が多用されていました。また、ジグザグ縫も使ったようです。
アルトリコーダー
弟にはアルトリコーダー入れを作っていました。
他と同様、直線縫を使っていました。
また、アルトリコーダーを取り出しやすいようにファスナーをつけていたので、「つき合わせ」と「脇あき」という2種類のつけ方のうち前者の「つき合わせ」を利用したそうです。
三角巾
弟には三角巾も作っていました。
布地の切れ目がほつれないように縁縢縫にしたそうです。
甚平
私には甚平も作ってくれました。甚平は直線縫を多用して作ったそうです。
友人から簡単に作れると聞いて挑戦したそうですが、これは母がミシンを利用して作った作品の中で1番の大作であったと話していました。
無償労働か有償労働かの区別も入れて下さい。
子供たち(私と弟)のものばかりだったので、すべて無償労働でした。
ミシンの現在
私達(私と弟)が大きくなるにつれ、保育園や学校で使う手作り品が減り、友人達が持っているような既製品を好むようになったそうです。
もともと私達の保育園・学校用の縫物をするために購入してくれたミシンだったので、私達の成長とともに使用頻度がどんどん下がりはじめ、子供達から手が離れたことから母自身の仕事時間が格段に増え、今回のレポートを書くにあたり押入れから出てくるまで何年も使わず入れっぱなしになっていました。
それに、最近の既製品は値段が安いのに質は十分なものも多くあり、わざわざミシンを使って縫う必要性を感じなくなっていったそうです。
また、使用頻度が高かった数年前も、ミシンは使い終わったら押入れにしまわれていたので、その都度出すことにめんどくささを感じていたようです。
広い家でも収納が多い家でもないので、目に触れにくい押入れにしまうことは当然なのですが、それもミシンが使われなくなった理由の1つであると話していました。
ミシンへの思い入れ
母は、子供達のために苦手なミシンを購入したので、母とミシンの思い入れや思い出を話すには私達(私と弟)が深く関わってくると言っていました。
布の柄を選ぶときにアンパンマンなどのキャラクターものから水玉やチェックなどへ変わっていったこと、小学生の時は毎日使うものだからと給食袋ばかり縫っていたこと、甚平のサイズが合わなくなり縫いなおしたこと、その時その時ミシンを使うたびに子供達の成長を感じていたようです。
私達が小さかった頃は、育児の隙間時間を縫って大きな音を出さないように少しずつ製作していきました。本来なら20分でできるものが1時間かかったこともあるそうです。
私が中学生の時に、一緒にミシンを使って小物入れを作ったこともありました。
その時ちょうど反抗期真っ只中で、母はどうにかして私とコミュニケーションがとりたかったそうです。小物入れを一緒に作った後からあなたが少しずつ話をしてくれるようになったから感謝しないとねと懐かしそうに語ってくれました。
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