世代をつなぐ贈り物シンガーミシン モナミ「クレエ 1865」

シンガーミシン
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この記事ではいただいたミシンのエピソード「世代をつなぐ贈り物シンガーミシン モナミ「クレエ 1865」」をご紹介しています。

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はじめに

今回は、私の家に私が生まれる前からあるミシンについて書いていこうと思います。

ミシンを昔から使っていた母にインタビューしようとしたのですが、仕事が忙しくなかなか詳しく話を聞くことが出来なかったため、今回のインタビューは私自身に向けて行うことにしました。

しかし少しではありますが、母からミシンについての話を聞くことが出来たので、その話も織り交ぜながらインタビューに答えていこうと思います。

今回私が振り返るミシンはシンガーのモナミ・シリーズ「クレエ 1865型」です。

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我が家のミシン:世代をつなぐ贈り物シンガーミシン モナミ「クレエ 1865」

我が家のミシンは先ほど述べたように私が生まれる前から家にありました。

母が言うには1996年、母が長女(私の4歳年上の姉)を出産する前に産前休暇があり、その時に母はおくるみやスタイなどのベビー用品を作りたいと思ったらしく、さらにその当時は雑巾や衣服をミシンで作るのが割と一般的だったことも重なり、ミシンを買うことを考えたそうです。

しかし母はそれまでミシンについてあまり考えたことがなかったので、どのメーカーのものを買うべきなのか分からなかったそうです。

そして母は母の母(私にとってのおばあちゃん)にどのようなミシンを買うべきか相談しました。母が望んだミシンの条件は、「シンプルで使いやすい」というものでした。

母はシンプルなものの方が長く使えると思ったそうです。おばあちゃんは母の相談を受け、その1~2か月後、母にミシンをプレセントしました。

この時母が貰ったミシンが、今家にあるシンガーミシン モナミ「クレエ 1865」なのです。

ミシンを貰った母

母はミシンを貰った後、育休中におくるみやベビースタイ、ワープロカバーなどさまざまなものを作ったそうです。

おばあちゃんが、操作がシンプルなものを買ってくれたおかげでミシンの扱いにあまり慣れていなかった母でも、ミシンを故障させることはなかったと言っていました。

次女である私が産まれた時も母は同じようにわたし用のベビー用品を作ってくれたのだそうです。

私にはもちろんその当時の記憶はありませんが、母が私のために手間暇かけて手作りのものを作ってくれていたと聞いた時、母の愛情をとても強く感じました。

母から私へ

私が高校生になってしばらくたった頃、母が私に「ミシンは出来るようになっといた方が得やで」と言ってきたことをきっかけに私は母からミシンを教えてもらうようになりました。

次からは私の、ミシンの思い出を書いていきたいと思います。

ミシンに出会った私

私が初めてミシンという存在を知ったのは小学生低学年の頃でした。

私が通っていた小学生では、高学年になると全員ミシンの授業がありました。

当時、私の身の回りには縄跳びやボールというような遊具しかなく、スマホのように画期的な機械はありませんでした。

さらに、母は私が小学生の頃危ないからという理由で私がいるところでミシンを使ったことがありませんでした。

そのため、「自動的に動く機械」であるミシンは私にとってものすごく魅力的でした。初めて動いているミシンを見たときは、とても感動したことを覚えています。

私のミシンデビュー

私は小学生の頃ミシンを使いこなせている人はかっこいいとなぜか思っていたので、ミシンを使う授業が楽しみで仕方ありませんでした。

いざミシンを使ってみると糸をうまくセットすることも、まっすぐ縫うこともできず居残り練習をすることも多々ありました。

こんなこと本当にあるのか、と思われそうですが、私は学校のミシンを一台壊してしまったことがあります。

ミシンが自分の思い通りに動いてくれないことに苛立ちを感じ、無理やり自分の思うように動かそうとしたことが原因だったような記憶があります。

この時私は、もうミシンは絶対に触りたくないと友達に言っていました。

ミシンに対する気持ちの変化

小学生時代にミシンに対して嫌悪感が生まれてしまって以来、私はしばらくミシンを遠ざけていました。

中学時代は全くミシンに触れることなく過ごしました。

ミシンなんてもうどうでもいいと思い避け続けていた時、母に「ミシンは出来るようになっといた方が得やで」と言われました。

こう言われた当初は何を言っているんだと思っていました。

これまでミシンを使わずとも何とかなってきたのに、なぜいきなりこのようなことを母が言い出したのか理解できませんでした。

しかし、私は高校ではさまざまな場面でミシンが必要であるということを、高校に通っているうちに気が付きました。

主にミシンが重要だと感じたのは体育大会と文化祭でした。

私が通っていた高校は体育祭も文化祭も本格的で、それぞれに使う衣装は自分で作らなければいけないという決まりがありました。

高校生にもなって親に衣装づくりを全て任せっきりにするというのがプライドの高い私はとても嫌で、自分の力で衣装を作る努力をしました。

しかし今まで全くミシンを使ってこなかったため、一人で衣装を完成させるのは不可能でした。

私は母にミシンの使い方を教えてもらうように頼み、教えてもらいながらではありましたが初めて自分の力で、ミシンでものを作ることに成功しました。

この時の達成感は素晴らしいもので、この出来事が私をミシン嫌いから克服させてくれました。

そして、これをきっかけとして、私は母にミシンの使い方をちゃんと教わり始めたのです。

現在のミシンと私

高校時代から母にミシンの使い方を学び始めた私ですが、大学受験などがあり思ったようにミシンを上達させることは出来ませんでした。

しかし、ミシンを少し学んだことで服の裾上げを自分で行うことが出来るようになりました。

私は昔から背がとても低い方なので、なかなか自分に似合う丈の服がありません。

パンツは引きずってしまうことも多々あり、着たい服なのに着ることができないということがよくありました。

しかし自分で裾上げの仕方を修得してからはいろいろな服を着ることが出来るようになり、一気に服のレパートリーが増えました。

今まで着ることができる服が少ないという悩みを持っていた私は、自分の力で悩みを一つ克服することが出来て幸せでした。

ミシンを使えるようになるということは意味がないことではなく、いつか役に立つ時がくる、ということをミシンが嫌いだった過去の自分に教えてあげたいです。

私は今後も母がおばあちゃんから貰ったミシンを大切に使っていきたいと思います。

インタビューを終えて(最後に)

今回のインタビューは私自身に対して主に行いました。

最初は自分自身にインタビューをしてもとくに学ぶことはないだろうと思っていました。

しかし自分自身にインタビューすることで、今まで忘れていた過去の私の心情や出来事を振り返ることができました。

昔の自分は今の自分よりも何倍も精神年齢が低かったことや、大学が忙しいために忘れてしまっていた高校時代の青春を思い出すことができました。

私はたまに自分自身のことを昔から考え方が変わっていない、愚かな人だと感じてしまい苦しくなることがありましたが、これからは、少しは自分自身に自信が持てるのではないか、と思っています。

「ミシン」という一つのものの中にこれほどの記憶が閉じ込められているとは思ってもいませんでした。

おばあちゃんから母へ、母から私へ渡っているミシンを、私もいつか誰かにこのミシンを授けることが出来るように大切に扱っていきたいと思います。

世代をつなぐ贈り物シンガーミシン モナミ「クレエ 1865」

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