この記事ではミシンのエピソード「足踏式ミシンからブラザージグザクミシンCPV03へ」をご紹介しています。
インタビュー対象者は祖母です。
とりあげるミシンはブラザー社のジグザクミシンCPV03です。
足踏式ミシンからブラザージグザクミシンCPV03へ
わたしの最初のミシンは、1969年に嫁入り道具の1つとして、足踏み式の黒いミシンを購入し持ってきました。約50年くらい前のことです。
人力による操作のためスローでした。右側に付いている車輪(はずみ車)を手で回し、足で踏んで弾みをつけながら縫っていくというものです。
慣れていくとリズミカルに動くようになって、洋裁が早く進みだんだん楽しくなっていきました。
このミシンの特性としては直線専用で、錆びないように油をさして手入れをしていました。今ではアンティーク家具としてお店に飾られているのをたまに見ます。
どのように購入したか
足踏式ミシンも故障が多くなってきて修理の部品もそのころ無くなってきていたため、電動ミシンに変えることにしました。
それが大体30年前にあたります。近くのお店にはたくさんのメーカーが出回っていたので購入には迷いました。しかし、近くのスーパーの手芸店にあったブラザーの「CPV03」ジグザクミシンを結果的に購入することにしました。
そのコンピューターミシンの購入にあたり当初の予算は5万円であったので少し上回ることになってしまいましたが、中には10万円くらい出せば刺繍が簡単にできるコンピューターミシンもあったりして良いなと思いました。
どのようなことに使ったか
さすがに電動はシーツやカーテンなど大きなモノを作る場合に、簡単に楽に早く仕上げることができるようになりました。
また、私はジグザクミシンの使用により、端の始末をいとも簡単に縫うことができるようになりました。
家庭内の小物類や子どもたちの服や幼稚園・小学校の給食袋、布巾、座布団、上履き入れ、お道具入れ等々色々と作ってきました。
子どもたちが好みの布を選び、手作りでその布を使ってできたそれらの品をたいへん気に入っていた様子であったことを今でもよく覚えています。
ミシンを使う技術は誰から、またはどの組織から教わったか
そのころは、洋裁・編み物が主婦の趣味のようにいきわたっていましたので、たとえば年配の方にその技術を教わったりしましたし、専門学校や服飾学園から出版されている本もよく参考にしていました。
雑誌(ドレメ式・文化式・立体式)を買ったりもしていたので、私は全くの自己流でいろんなものを作ってきました。
ミシンを購入した際に付録としてついていた取扱説明書やCDも分かりやすいものが多く、たいへん重宝したことを覚えています。
ミシンはいまどういう状態か
ブラザーのジグザクミシンはもう30年ほども使用していますが、修理に出したのはたったの一度だけです。
修理費に2万円かかってしまいましたが、現在も調子よく動いてくれています。永く使っていると愛着がわくものです。その分思い出も増えていきます。
現在に至っては、既製品が安価でデザイン、サイズ、素材、どれをとっても豊富に商品がそろっています。
キャラクター物、ブランド物、スポーツウェア、とお気に入りのものを色んな種類のお店から選び放題で、入手も簡単にすることができます。
しかし、少しサイズを直したりするにはミシンが必要です。その意味では、現在でもミシンを重宝しています。
今、年配の女性の間では着物のリフォームがブームとなっています。公民館で幅広い年齢層の方々と交流を深めながら、古い着物を新しい洋服によみがえらせることにやる気が満ち溢れています。
コロナ禍の今だからこそ、マイマスクを作ることにも大いに役立っています。
今後も活躍の場が増えそうなミシンを大事に使っていこうと思います。
祖母からミシンの思い出を語ってもらって
祖母は料理もたいへん上手く、庭の手入れなどもきちんと行ったりと、家事全般に関しての主婦としての能力が人一倍高いと思っています。
そして、iPhoneやパソコンの操作なども現代の若者に後れをとらないように、日々何かを学んでいるような意識の高い人です。
また、余談となりますが祖母は昔同志社京田辺キャンパスの生協で働いていたこともあり、僕個人としてもキャンパスは違えど、同じ同志社大学に通っている身であるので、大学入学後さらに親近感が増しました。
さて本題に戻りますが、そんな祖母がミシンを使っている姿を何度か見たことがありますが、本当にかなり手練れています。
なんでもミシンで作ったり、修正したり、サイズを合わせたりするので学生時代に学校のカリキュラムにミシンの授業があって、そこで習ったのかと思っていました。
まさか年配の方から教わったり、出版物から学習して自学で習得したものだとは思ってもみませんでした。日々、学習の姿勢が非常に高いのですが、そこまでとは正直思っていませんでした。
祖母に対して、母親はミシンだけでなく、裁縫そのものが苦手なようです。学校の宿題も手伝ってはくれましたが、母子ともに全く上手くできなかったのを今でもよく覚えています。
その時に祖母のすごさを思い知らされました。
思い出の内容とはかけ離れてしまいますが、祖母と母親のミシンの手練れさの構図は、生産社会から消費社会への移行を色濃く表しているなと思いました。
教職の授業で学んだことですが、祖母の時代は今と違って第一次産業もしくは第二次産業が主だったので、自分たちでモノを作っていく時代でした。
祖母もインタビューで言っていましたが、シーツやカーテンを手作りで作っていたのです。母親の時代はどうか分かりませんが、僕ら若者から見たらそれはたいへん不思議な光景です。そもそも買えば良いやという発想になるからです。
ですが、時間が経つにつれて第三次産業、いわゆるサービス業を中心とする世の中へと変遷することで、作ることよりもモノを消費していく時代となったのです。
今まで作るのが当たり前だったものが、お店で安価に手に入るようになった。自ら作る必要性とその意義が薄れていったのです。
僕に関して言えば、生まれた時から消費社会の時代であったので、世の中に豊富なものが出回っていることが当たり前になっていますが、生産社会から消費社会への変遷とその激動の時代を生きてきた祖父母はやはり思うところもあるようです。
そんな時代を生きてきたからこそのあの生活能力なのだと思いましたし、やはり人生経験の違いの大きさを実感しました。
最後に
僕は長期休暇ごとに祖父母の家に行くため、毎年会う回数はそこまで多くありませんし、母親の口からも祖父母との生活の思い出を聞くことはほとんど無いに等しいため、昔どんな生活をしていたかをあまり知りませんでした。
今回のインタビューエピソードは僕に祖父母と母親の生活の過去を教えてくれる機会をくれました。
ミシンの思い出を語ってもらうだけでも、非常にいろんな話が聞けましたし、その思い出の中にはたくさんの嬉しかった記憶が混ざっていて話を聞いていて楽しいなと思いました。
何より大学生にもなって祖父母のことを何も知らなかったのだと身に染みて実感しました。普段であれば話すことの無い内容なため、このような機会を頂けたことに感謝致します。ありがとうございました。
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