この記事ではいただいたエピソード「ジャノメミシンを2台駆使した祖母の歩み」をご紹介しています。
このエピソードを書こうとしたとき、真っ先に浮かんだ顔は私の祖母の顔です。
私の実家にはミシンがありませんでした。
それは、ミシンが必要なものはすべて近くに住んでいた祖母が作ってくれていたからです。
インタビュー対象者とミシン
だから私はこのエピソードを書く上で、祖母にインタビューすることに決めました。
- インタビュー対象者:祖母
- 祖母が振り返るミシンのメーカー:ジャノメ
- インタビュー対象となるミシンのシリーズ:「チェリオスペシャル920」「マリーナエイト369」
初めて買ったミシン
ジャノメ チェリオスペシャル 920
私は今から22~23年前の1996、1997年頃に自分で初めてミシンを買いました。ジャノメのチェリオスペシャル920です。
ミシンを買うきっかけとなったのは、当時私の夫が癌を発症していたことわかり、入院しなければいけなかったことでした。
夫が入院生活を送ることになったため、私は夫のために下着を多く作る必要がありました。
その時に手縫いでは大変だったので、ミシンを買うことにしました。
そのミシンは夫が入院していた病院に行くときの通り道であった福岡の赤坂門にあるミシン屋さんで2万円弱のものを現金で買いました。
嫁入り道具のミシン
自分でミシンを買う前にもミシンを持っていたころがありました。
そのミシンは、メーカーなどの詳しいことは覚えていませんが、嫁入り道具として親から引き継いだミシンでした。
その時代は娘をお嫁に出すときはミシンを嫁入り道具とするのは一般的なことだったので私の家でもミシンが嫁入り道具となったのです。
それは、古い足ふみミシンでありましたが、当時はミシンをポータブルして、足ふみから電動で動くようにリノベーションするのが流行っていたものですから、私もそのようにして新居に持っていきました。
しかし古いものでもあったので、それは私がミシンを自分で買った頃の15年前ほどに壊れてしまいました。
ミシンを学ぶ
ミシンの使い方などは私が高校を卒業した後の18~19歳のころに花嫁修業の一つとして学校に習いに行きました。
今はあるかはわからないけれど、その当時、家からバスで30分ほどの博多駅にあった田中千代学園(現・ファッション渋谷ファッション&アート専門学校)に通っていました。
基本的なことはそこで身につけました。
しかし、その学校には私の祖父が病気になってしまったのがきっかけで、一年ほどでやめることになりました。
その当時、私の実家には、嫁入り道具として受け継いだものである足で踏む古い形のミシンがあり、時々使っていました。
でもその頃は花嫁修業に一つとしてしか裁縫を考えておらず、今のように何かを進んで作ることなんかはしていなかったです。
ミシンで作ったもの
以前の私
ミシンでは、私の娘と息子の服を作っていました。
また、自分でミシンを買ってからは孫も生まれ、孫の幼稚園や小学校で必要なバックや巾着も作っていました。
今から10年ほど前までは必要な時だけミシンを使っていました。
作業から趣味へ
自分の時間も増え、ミシンを使っていろんなものを作るのが趣味へと変わりました。
もちろん自分のものも作りますが、孫たちや、自分のお友達のために小物を作ったり、袋を作ったりしています。
それが本当に楽しいです。
みんな私が作ったものをプレゼントすると、とてもよろこんでくれ、リクエストなどもしてくれます。
使っている材料
私の夫は呉服店の息子でしたので、私も結婚してからは呉服店に勤めることになりました。
今もその呉服店に勤めています。
ですから、裁縫で使う布は買ったりせずに、着物の残りきれや着なくなった自分の着物や洋服をくずして使っています。
本来は捨ててしまうものから新しいものを作りだすことで喜びや、やりがいをより感じます。
本来なら捨ててしまわれる布でも私が手を加えることで誰かを喜ばせられると思うと幸せです。
現在作っているもの
今は毎日2~3時間ほどミシンを使っています。
最近は、私の作る布マスクが好評で、ありがたいことに皆さんから欲しいという声をいただくので毎日布マスクづくりに奮闘してプレゼントしています。
ミシンでの苦労
ミシンを使っていく中でつらかったことは、思い出す限りありません。
ミシンを使っていて糸を抜きたいのに抜けないときなどの小さなことでイライラすることはあっても、ミシンを使って作業することは私の趣味となり、とても楽しいので、苦労だと思ったことはありません。
ミシンの現在
私が初めて買ったミシンは5~6年ほど前に故障してしまいました。
修理に出そうと思っていたちょうどそのころに、一緒に呉服店で働いている義姉が「娘に送ろうと思って前に買っていたミシンが結局あげずにずっと置いたままなの。場所も取るし、捨てようと思っているのだけど・・・。」と話しました。
捨てるのなら愛用していたミシンも故障したことだし、そのミシンをいただこうと思い、その呉服店で一緒に働いていた甥が私の家まで届けてくれました。
それはジャノメのマリーナエイト369型です。今はそれを使っています。
でも、私の今大学2年生の孫がミシンを使って色々作りたいと前から言っていたので、そのミシンは捨てずに、孫が練習としてでも使えるように修理しようと思い、大切に家で保管しています。
ジャノメミシンを2台駆使した祖母の歩み
私の祖母は本当に裁縫が上手です。
私の小さいころに必要だったバックなども全部祖母が作ってくれました。
私もそんな祖母を間近で見てきたので、小さい頃からモノづくりに興味がありました。
小学校のころには祖母とよくビーズを使ってアクセサリーを作ったり、手編みを祖母に習いながらマフラーを作ったり、手縫いでポーチなどを作ったりしていました。
その時間はとても楽しかったのを今でも鮮明に覚えています。
祖母はよく、「知佳ちゃんはセンスがあるねー!」、「上手だよ!」、「もっとこうしたらうまくいくよ。」など沢山ほめてくれたし、たくさん教えてくれました。
それがすごくうれしくて、私はモノづくりに熱中していきました。
だからそのうちミシンにも挑戦したいと思っていたのですが、中学生、高校生になると毎日部活で裁縫をする時間が取れなくなってしまいました。
でも大学生になり、この日本経済史の授業や、今回のエピソードで祖母と話しているうちにまた裁縫をしたいという気持ちが芽生えました。
今回祖母にインタビューしていると私が知らなかった祖母のことを知ることもでき、祖母と私の思い出もよみがえってきて、とても楽しかったです。
祖母は人のためにたくさんのものを作り、自分の作ったもので笑顔になっている人を見て、幸せだと思える祖母を、私は尊敬しています。
新型コロナの影響でマスクが不足している時も、祖母は毎日いっぱいの布マスクを作って、私たちだけでなく、知り合いにたくさん配っていました。
そのように、人のためにも裁縫をしている祖母の姿は本当にかっこよく、私の自慢の祖母です。
私が祖母から様々なモノづくりを習っていた時に、ミシンをしてみたいと言ったのを覚えていてくれて、私のために今もミシンをとっていてくれているのを聞き、とても嬉しかったです。
これからまたモノづくりを初めてみようかなと思っています。
今は一人暮らしで下宿をしていますが、今度福岡に帰省した時に祖母と一緒に、昔のようにいろいろと教えてもらいながらミシンを使ってモノづくりをしたいと思います。
そして本当に祖母には感謝しかありません。
私がこうしてモノづくりに興味を持てたのも祖母のおかげです。私は、今商品企画に興味があり、将来商品企画に関わることができる仕事をしたいなとも思っています。
そう思うことが出来たのも祖母が私に何かを作り上げる喜びや、自分が作ったもので誰かを笑顔にできることの喜びを教えてくれたからです。
私は自信をもって、私の祖母は世界一素敵な祖母だと言うことが出来ます。
本当に自慢の祖母です。
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