祖母とジャノメ・ミシン「プルボア6450」と温もり
この記事では祖母とジャノメ・ミシン「プルボア6450」と温もりと題した、ジャノメ社「プルボア6450-840型」の思い出を紹介しています。
ミシン所有者と私の関係
写真のミシンは、私の祖母の所有品で、今年で17年目、今も使い続けているそうです。
1932年生まれの祖母は、滋賀県栗東市在住で、私は生まれた時から祖母と一緒に暮らしています。
今回紹介するジャノメ・ミシン「プルボア6450」を17年、前に使用していたミシンは、約30年近く使用していたそうです。
ミシン本体について
ミシンのメーカー
蛇の目ミシン工業株式会社
ミシンの機種
- プルボア6450(PURVOR6450)model 840型
- 機種№840105876
- 定格電圧100V
- 定格消費電力50W
- 定格周波数50/60Hz
ミシンの購入年
2002年8月3日
ミシンの性能
前に使用していたミシンでは、厚い布が縫えませんでしたが、現在のミシンでは厚い布も縫えるようになったことが一番高性能を実感した点だと言います。
他にも、端をかがる時や解れを無くすために便利なジグザグ縫いができること。
衣服などを作製する時に必要なボタン穴をかがる作業、ボタンかがりをズレなく綺麗に行ってくれる自動ボタンが付いていること。
裾上げを綺麗に行ってくれる自動ボタンが付いていたことなどを上げてくれました。
私の学校の制服やサッカーの練習着などの裾部分を何度も調節してくれていた祖母にはありがたい機能だったのではないでしょうか。
他にも、目の悪かった祖母は前に使用していたミシンでは、針に糸を通す作業が上手く行えず苦労していたそうです。
現在のミシンでは、ミシンの横に設置されているダイアルを使用することで簡単に針に糸を通すことが出来るので、ストレスと手間、時間が省けるようになりました。
前に使用していたミシンは、不便が多く苦労したそうで、現在のミシンは、パーフェクトな使いやすさで、不便な点は無いと自信満々に言っていました。
ミシン技術の習得先
祖母の学生時代には、授業でミシンを習う機会がなかったと言います。
ミシン自体も簡単に手に入るものではなく、多くは出回っていなかったため二十歳まではミシンに関わる機会はほぼなかったそうです。
祖母は、結婚と同時にミシンを購入しました。勿論ミシンの使い方が分からなかったのですが、努力家の祖母は、ミシンの購入先で縫い方や使い方などを教わり、その後は参考書を利用し独学でミシンについて学んだそうです。
私の母も感心するほど祖母は、ミシンの技術が高いそうです。
ミシンの使い道
祖母のミシンの使い道は、大きく分けて二つの使い道がありました。
一つ目は、家族や親戚の衣類を修復したり、調節したり作製したりすることです。
祖母が30代から40代くらいの頃に息子や娘に、ワンピース・ブラウス・ズボンなどをよく作っていたそうです。基本的には直線縫で作成され、衣服の作製には先程紹介したボタンかがりを綺麗に出来るというミシンの特徴も施されていました。
とくにワンピースの作製が得意で、自ら作ったものが知り合いによく売れたそうです。
今は、「買った方が安い」と、もうしばらく作っていないようです。
他にも、私や私の兄の学校制服の裾上げや破れた靴下の修復などをジグザグ縫いで行ってくれていました。
私が10年間続けてきたサッカーの練習着もゴールキーパーだったためよく破れたり穴が開いたりと苦労しましたが、どんな穴でも綺麗に修復してくれた祖母とミシンのお陰で、練習着の費用はかなり抑えられたと実感しています。
私が小学生の時にお気に入りでよく履いていた、お気に入りの靴下の破れを何度も修復してくれたことは、今でも記憶に残っています。
二つ目は、祖母自身の趣味であるパッチワークに利用することです。
祖母は、趣味のパッチワークの仕上げ(つなぎ)は、全てミシン使っていたそうで、つなぎの部分は直線縫いが一番綺麗に出来ると言っていました。
家にあるクッションも祖母のミシンによって作られたものがほとんどで、他にも小物入れや小銭入れなど祖母のミシンによって作られたものが今でも多数存在します。
これらは全て直線縫いによって綺麗に作られていました。
祖母はパッチワークを今でも作製しており、部屋には何十個もの作品が飾られていました。
祖母は、自らの趣味・特技で大切な人の大切なものの寿命を長持ちさせることができる特技を持っています。
この作業を無償で行ってきた祖母には、頭が上がりません。
ミシンの現在
今は、ミシンを使っている祖母の姿を見ることは、ほとんどありません。
少し前までは祖母の部屋に入ると毎日のように机の上にミシンが置かれ、ミシンをしている祖母の姿を見ることが出来ました。
祖母は「今は、何をするにも作るより買った方が安いし手間も省ける」と言うように、パッチワークで日用品を作ることはほとんどなくなりました。
今回のインタビューのためにミシンを見せて欲しいと依頼した際にも、押し入れのかなり奥の方からミシンを取り出すのを見て、少し寂しい感情が湧きました。
しかし、今でも時々お願いすることのある裾上げ、もう今は綺麗に出来ないと言いながらも、昔と変わらずとても綺麗な状態で渡された時は、祖母の昔と変わらない温もりを感じると共に、今もなお、少しでも祖母と一緒に動くミシンの存在に安心を覚えます。
ミシンへの思い入れ
祖母にミシンへの思い入れを語ってもらいましたので代筆します。
ミシンで、沢山のものを作りすぎたため、何かこれといった大きな思い出は無く、何気なくミシンを動かしてきたので、何を作ったかもあまり思い出せないです。
しかし、今回、孫にこのような機会を頂き、自分の身の回りの物の多くが自分の縫ったミシンによって作りだされたものだということを実感したと共に、自分の人生の暇つぶしになってくれていたミシンにはありがとうと伝えたいです。
ミシンを通して身近な人の笑顔を沢山見ることが出来たので、今でもミシンは魔法のような存在だと感じています。
最近は、使用頻度も減り、ミシン離れした世の中になってきて寂しい気持ちはありますが、孫にはせめて一人でミシンを使って、裾上げができるくらいにはなって欲しいので、ミシンを受け継いでもらうという気持ちで、裾上げを教えたいと思います。
少しでもミシンの良さが伝われば良いです。
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