叔母がミシンを長年使い続ける理由:ジャノメ コンビ2200SX
この記事では「叔母がミシンを長年使い続ける理由」と題した、ジャノメ社「コンビ2200SX」の思い出を紹介しています。
ミシン所有者とあなたの関係
そのミシンを所有している方はあなたから見てどなたに当たりますか?
母の姉です。
その方の生年やミシン利用期間の西暦や居住地
1972年生まれの和歌山県海草郡育ちで今年の11月に入籍したので現在は兵庫県伊丹市に住んでいます。
ミシンの利用期間は18歳から今現在も新居にそのミシンを持っていっているそうです。
ミシン本体について
- ミシンのメーカー:JANOME ジャノメ
- ミシンの機種:コンビ2200SX
- ミシンの購入年:1989年頃
ミシンの性能
多機能性と服飾の専門学校がおすすめしていたプロも認めるミシンだそうです。
- 定格電圧:100V
- 定格消費電力:60W
- 定格周波数:50/60Hz
- シリアルナンバー:№890013300
当時、電子ミシンとロックミシンの1台二役対応できたミシンで、販売価格は20万以上したそうです。
表側が直線ジグザグの電子ミシンで、裏返すと1本針2本糸のオーバーロックミシンになり、その当時は画期的なミシンだったそうです。
そこに魅力を感じ、ジャノメ コンビ2200SXを購入しました。
電子ミシンの方は、一直線縫いから、ジグザグ縫い、ボタンホールまで、洋裁に必要な縫いはすべてそろっており、縫い目の選択はダイヤルを回すだけで簡単でした。
オートロックミシンの方は、布の端を切りながら裁ち目がかりをして、手芸糸や毛糸などを用いて装飾縫いができました。
ミシン技術の習得先
小さい頃から母の姉は、祖父が自営業で工場を持っており、工業用のミシンがあり、そこで祖母に教わりながら服や学校に持っていくかばんなどを縫っていたそうです。
小さいころから何かを作ったりするのが好きだったそうです。
そして、高校卒業後、マロニエファッションデザイン専門学校に3年間通いました。大阪で一人暮らしをしながらそこでは、服を作ったり、よくしていたそうでミシンの高い技術を獲得したそうです。
ミシンの使い道
ミシンの所有者はミシンをどのようなことに使いましたか?
このミシンを買うきっかけとなったのは、マロニエファッションデザイン専門学校に通っているときに、家の課題として必要だったものなので買ったそうです。
学校を卒業してからは、一度アパレルに就職したのち、実家に帰って家業を継いでいます。
実家に帰ってきてからは私たち兄弟三人分の手提げ袋や小学校6年間ずっとたくさんのものを作るために使っていました。
誰のために何を作ったか、作ったものを具体的に書いてください。
本当にたくさんあるので、一番印象に残っている作ったものは何かを聞いてみました。
すると、わたしが4歳の時、母の友達の結婚式に御呼ばれをしたときにドレスを作ったのが一番印象に残っているそうです。
ピンクでフリフリのドレスで、製作期間は2週間かかったと聞きました。ミシンでは、基本ジグザグ縫いをしたそうです。
保育所や小学校で使っていた体操服入れやシューズいれ、手提げ袋、歯磨きセットの袋、防災頭巾もぜんぶ母の姉が作ってくれました。
私は兄弟が三人いるので一番下の弟が小学校6年生で卒業するまで作り続けていたそうです。これらはジグザグ縫いを用いたそうです。
わたしが小学校6年間使い続けたエプロンは、かがり縫いで作ってくれたそうです。
私たちが中学校に上がってからは、ミシンを使っていなかったのですが、最近いつミシンを使ったのか尋ねると、母の妹に子供ができ、いま3歳になる女の子にスカートを作ってあげたそうです。それは、まつり縫いでつくりました。
他にもほんとにたくさん作ったらしく、細かいことはあまり覚えていないそうですが、保育所から小学校までの兄弟3人分の使う布類は生地をわたしたちと好きなキャラクターの布をえらびに行くところからすべてこなしてくれていたそうです。
無償労働か有償労働かの区別も入れて下さい。
母が、裁縫が得意ではなく、両親共働きだったので、よく面倒も見てもらっていたことから、家事労働の一つあり、私たちのために作ってくれていたので、無償労働です。
ミシンの現在
所有者の方がミシンを使わなくなった経緯を書いてください。
一度、アパレルに就職していたのでそのときミシンを使う時間がなくなったのと、実家に帰ってきてから私たちが生まれ中学校に3人とも上がったのをきっかけにつかわなくなったそうです。
逆に今でも使われている場合は、今の使い道や頻度を教えて下さい。
しかし、これまで話してきたとおり、少し機関が空いていますが、母の妹が生まれてからここ3年くらいはまた、ミシンを使い始めたそうです。
ただ、現在は、今年の11月に母の姉が入籍したので、実家の和歌山から兵庫県に住んでいるので、母の妹の子供が近くにいないようになったので、新居にはそのミシンを持っていているそうですが、まだつかっていないということでした。
けれど、これからパートで服飾が得意なので、そういうことができるパートを探すと話していました。なので、ミシンは実家においておかず、兵庫県の新居のほうに持ってきたそうです。
ミシンへの思い入れ
祖母が業務用の足で操作する大きなミシンでよくお金もなかった頃、服を作ってくれたそうで、そこに一番近くで見ていたのが、母も3人姉妹なのですが、母の姉だったそうです。
そこから、よく工場の手伝いを小さいころからしたりして、ミシンにも触れる機会がたくさんあり、高校を卒業するまでにはすでにファッションについて興味があり、なおかつ、たまに祖母に隠れて夜、工場のミシンで服を作っていたそうです。
そこから、専門学校に通い始めたそうですが、そのミシンは一人暮らしもして大学にも通わせてもらっていたので、この高いミシンは祖父母には言えず、バイトを掛け持ちして自分で買ったそうです。
なので、余計、初めての高価な自分の買い物にもなり、いまだに捨てられず、3年間の学校生活を共にして、とても愛着があるようで、まだ壊れている部分もなく、買い替えようとは思わないそうです。
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