子供にミシンが必要な理由

半世紀近く仕事に使った2台のジューキ工業用ミシン

JUKI MO-814 CLASS BD4その他のミシンの思い出
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半世紀近く仕事に使った2台のジューキ工業用ミシン

このページでは「半世紀近く仕事に使った2台のジューキ職業用ミシン」と題した、ジューキ社の「ddl-555-2」と「MO-814 CLASS BD4」の思い出を学生アンケートから紹介しています。

アンケートの紹介にあたり、学生レポートの日本語や文脈などの修正を私が行なっています。また、紹介に際して学生の許可を事前にいただいています。

ミシン所有者とあなたの関係

ミシンの所有者は父方の祖母です。祖母は1930年生まれで、和歌山県海南市の出身です。

ミシンの利用期間は、1940年代後半から2007年まで利用していました。ミシンは当初、足踏みミシンを利用していました。やがてアパレル工場に務め、受託製造を請け負ったことがきっかけで、足踏式ミシンの性能では仕事が務まらないため、今のミシンに買い換えたそうです。

ミシン本体について

ddl-555-2

JUKI DDL-555-2

JUKI DDL-555-2

JUKI DDL-555-2

JUKI DDL-555-2

  • ミシンのメーカー:JUKI
  • ミシンの機種:「DDL-555-2」
  • ミシンの購入年:1969年(昭和44年)・エンジンの取り替え有り
  • ミシンの性能:高速一本針本縫ミシン(糸切機構つき)
  • ミシン技術の習得先:洋裁専門学校

高速一本針本縫糸切機構を採用したミシンで,世界の”名機”とも言われています。また,自動で糸を切る装置も採用されています。

本機のモーター

  • 定格電圧:100-150V
  • SPEED:3000R.P.M
  • TORQUE:0.18kg-m
  • MAX.TORQUE:0.18kg-m/30A
  • SER.NO.:39120116
  • TYPE:MPMA11A00
  • MITSUBISHI ELECTRIC CORPORATION JAPAN

本機の詳細はこちら。

MO-814 CLASS BD4

JUKI MO-814 CLASS BD4

JUKI MO-814 CLASS BD4

JUKI MO-814 CLASS BD4

JUKI MO-814 CLASS BD4

  • ミシンのメーカー:JUKI
  • ミシンの機種:「MO-814 CLASS BD4」、型番:TO11(おそらく)
  • ミシンの購入年:1970年代前半
  • ミシンの性能:高速1本針オーバーロックミシン
  • ミシン技術の習得先:洋裁専門学校

このミシンは、検索結果に引っかかりませんでした。そのため、機種「MO-〇〇」が付くミシンの殆どとはいえませんが、同じ機種を検索し、その機種の情報を載せました。参考にした機種は「MO-6900S SERIES」です。高速縫製での縫を極め、信頼性と使いやすさを追究したミシンです。

本機の詳細はこちら。

本機のモーター

  • 定格電圧(VOLT):100V
  • 定格消費電力(WATT):200W
  • 定格周波数(HERTZ):50/60Hz
  • AMP:4.0/3.4
  • R.P.M 2870 3450
  • START TORO g-m:22/20
  • TYPE CA-202C
  • LAMP 6V 15~20W
  • INS.CLASS A
  • CAPACITOR 16νf 230WV.AC
  • MITSUBISHI ELECTRIC CORPORATION JAPAN

ミシンの使い道

JUKI DDL-555-2

JUKI DDL-555-2

JUKI MO-814 CLASS BD4

JUKI MO-814 CLASS BD4

ミシンの所有者はミシンをどのようなことに使いましたか?

祖母がミシンを使ったのは生活を営むためでした。10代後半に洋裁専門学校に入り、ミシンの使い方を学びました。

20代で洋裁の仕事に務め、生活を養っていたそうです。30代に私の祖父と結婚し子供が生まれ、育児に専念するため育児休暇を取っていました。そのため、生活を支えることが非常に困難だったと父や親戚に聞きました。

当時の経済状況を見ると、1960年代の高度経済成長期には東京オリンピックや大阪万博などの特需などがありました。これをきっかけに、便利な家庭製品の普及や女性の社会進出など、経済規模が飛躍的に拡大し、生活に大きな影響を与えた時代でした。

しかし、誰もが悠々自適な生活を送っていた訳ではありません。「三種の神器」と呼ばれた家庭製品を持つ家庭は、和歌山県内ではごく一部だったと父に聞きました。もちろん、祖父母の家も同様です。理由として上げられるのはお金です。

祖父は「捺染」という、染料を糊に混ぜ直接布地に摺り付けて染色することで、工場では衣服を専門としていました。工場の給料は少なく、家庭製品を買う余裕もありませんでした。生活を養うため、祖父は精一杯仕事に務めていたことを今も父の目に焼き付いています。

設備投資や技術革新によって、新たな需要を生み出し、経済大国に向かって躍進する時代ではありましたが、その裏では非常な忍耐とたゆまぬ努力によって当時の生活が大変だったことを、父の話を聞いて分かりました。

祖母は祖父だけに負担をかけないよう、家でも仕事ができないかと考えました。それで、工場から衣服の材料を受け取り、家で受託製造の仕事を請け負いました。また、残った材料で雑巾などを作り、小学校に寄付していたそうです。父の小学生だった頃です。

父が中学生の頃に祖母は職場に復帰し、工場で仕事をしました。60代を迎えた頃に工場を定年退職し、70代後半から学校への寄付を再開しました。また趣味として、衣服や手提げ袋を作り、近所の方々と見せ合ったりして、祖父と悠々自適な生活を送っていました。

誰のために何を作ったか、作ったものを具体的に書いてください。

祖母は子供用パジャマや上履き入れなど、生活必需品を父に作っていました。使った縫い方はジグザク縫で、布の解れ止めのために使っていたそうです。お金をかけず、少ない材料で作るのに、一苦労だったことを父から聞きました。

1で話した通り、育児休暇中は子供のことを優先するため、自身のことは後回しになり、仕事をする余裕がなく、育児で精一杯でした。少しでも生活の足しになれば良いと考え、節約しながら、洋裁の受託製造を請け負って、生活を養っていました。父は祖母の頑張っている姿を思い出し、感謝しきれないと涙ぐんで話してくれました。

私が幼い頃には、ぬいぐるみやタオルケット、前掛けを作ってくれました。父と同様に、健やかに育って欲しいという願いを持って、私の母に少しでも、負担をかけずに子育てができるように、手伝っていたそうです。

私の小学生の頃は、コップ入れや手提げ袋を作ってくれたことを覚えています。使った縫い方はほつれ止めのジグザグ縫、持ち手は縢縫で取れないようにしていました。

その他に、自分用のエプロンや座椅子カバーなどを作っていました。主に直線縫を使っていました。

無償労働か有償労働かの区別も入れて下さい。仕事として使った場合は(段落を変えて)できるだけ詳しい勤務先や勤務時期なども。

労働は無償労働と有償労働の両方です。

無償労働では、家が学校の近隣だったため、学校にタオルや雑巾を寄付していたことがあげられます。当時の学校長と祖父が知り合いだったため、寄付の協力をしていたそうです。

有償労働では株式会社ヤマガタという縫製加工業で働いたことがあげられます。その工場では、主に紳士パジャマ・婦人パジャマ、婦人用ホームウェアなどを作っていました。勤務時間は8時から17時、休憩時間は12時から13時、勤務日は暦通りです。

育児休暇中は工場の受託製造も請け負っていました。受託製造では、セーラー服の上下作成を行なっていたそうです。こちらの勤務日は時間に関係なく、できたものから納品する形を取っていたそうです。

ミシンの現在

所有者の方がミシンを使わなくなった経緯を書いてください。

所有者である祖母は私が小学校低学年の頃に他界しました。ミシンは当初、私の従姉が受け取る予定でしたが、工業用ミシンで音がうるさく重量があるため、持ち帰ることができず、祖父母の家に大切に保管しています。

また、工業用ミシンには専門的な部品が使えますが、針がどの生地に合うのか、どういうものを作るかによって、部品を交換しなくてはいけません。祖母はミシンの専門知識を従姉に教えることができませんでした。そのため使うことができずに、数年ほど保管されています。

逆に今でも使われている場合は、今の使い道や頻度を教えて下さい。

ミシンは従姉が実家に帰省した際に使用しています。子供ができて以来、衣服づくりに興味を持ちはじめました。ミシンの専門書を読みながら、少しずつミシンに慣れるようになりました。主に子供用のタオルやハンカチの作成、服の修復のために使用しています。使用頻度は年に2、3回程度です。

しかし、従姉妹は祖母のように上手く扱えません。2台のミシンは回転数が大きく、パワーがあります。そのため布を支えるのが難しい特徴があります。

ですので、振りかえってみると、祖母が工業用ミシンでぬいぐるみを作れるほど高度な技術を持っていたことに、今回のアンケートをつうじて驚きました。

ミシンへの思い入れ

祖母にとって、この二台のミシンは共に人生を過ごした”愛機”だと思います。

祖母は10代から洋裁専門学校に通い、20代に工場に務めていました。最初は足踏みミシンを使っていましたが、ミシンの作業効率性が悪いため、買い換える必要がありました。

しかし、新しいミシンを買うほどのお金は無く、生活を維持していくのに精一杯でした。ですが、工場での仕事に励み、祖父と協力し合い、少しずつ貯金し、ミシンを買うことができました。

そして、30代から60代まで家内を養うため、二台のミシンを大切に使っていました。そのお陰で、私や父に色々な物を作ることでき、愛情を注ぐことができたのだと思っています。

このアンケートを介して2台のミシンを見て、私が幼かった頃のことを色々と思い出しました。ミシンに対する見方が変わり、感慨深いものがありました。祖母が家庭のために、一生懸命頑張った”証”を大切に保管し、従姉に祖母のミシンへの思いを伝え、子供達のために使って欲しいと思いました。

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