この記事では頂いたエピソード「祖母とシンガーミシン(コンピューター7800)」をご紹介しています。
- インタビュー対象者は祖母
- ミシンメーカーはシンガー
- 機種はシンガーメリット7800
はじめに 私とミシンの出会い
私は1937年に北海道の北見市で生まれました。
初めてミシンに触れたのは、18歳の時です。自分のスカートを縫うために、母親が使っていたミシンを借りました。
そのミシンで母は、コートやオーバーなど身の回りのものを色々作ってくれました。
そのミシンの種類は、シンガーK12292の足踏式ミシンでした。今ではアンティークミシンと呼ばれていますね。
そのミシンは手動タイプだったため、最近のミシンと違い糸掛けがとても大変でした。
当時は母親に使い方を1から教えてもらいました。今でもそのミシンは横浜の兄の家に現存しています。
そのミシンは右横の車輪から踏み台まで伸び縮みするゴムが掛けてあるのですが、それを年に何回か調節するのがとても大変でした。
また、動きが悪くなるたびにモーター部分に油をささなければならず手間がかかりました。使わないときは、胴体を持ち上げて下に下げれば本体部分を収納することができ横の板が蓋になります。
子供ながらにその収納できるシステムがとても面白く感じていました。
またその板があるおかげで縫物を横に置きながら作業できるのでその点は今のミシンよりも便利でした。
現在は使われていませんが、作られてから150年以上たった今でも現存していると考えると、凄いことですね。
ミシンとの出会いについてが長くなりましたが、ここからは私が結婚した後に初めて買ったミシンについてお話します。
祖母とシンガーミシン(コンピューター7800)
ミシンの機種
- シンガーコンピューター 7800
- シリアル番号:HT2081301
- 定格電圧:100W
- 消費電力:80W
- 周波数:50/60W
- MADE IN JAPAN
ミシンの当時の値段
当時の最新モデルは20万近くの値段で、義理の母が購入してくれました。
ミシンの購入時期
自分のミシンを初めて買ったのは、1973年でした。
結婚して子供ができ、服を作るためには手縫いでは大変なので、購入に踏み切りました。旭川市にあるミシン専門店で購入しました。
ミシンの性能
- 模様縫い
- 手元集中操作
- イージーボビンケース
- 自動針穴糸通し
- 返し縫いボタン
- スピード調整
- フリーアーム
- コードリール
- 全回転水平釜
- ひらがなアルファベット
- 数字
- イラスト縫い
- メモリー機能
- 自動糸調子
- ボタンホール
などの様々な機能が有り、薄い布だけでなく、分厚いジーンズなども縫うことができました。
縫い目、模様縫いも綺麗にできました。
ミシンの使い道
子供服
子供の普段着やよそ行きの服を季節に合わせてたくさん作りました。
とくに子供が小学校の時、学校に来ていく洋服を作りましたが、お店で売っているものに比べるとどうしても見栄えが地味になってしまいました。
しかし手作りの服が完成し、子供が喜んで着る姿を見るととても嬉しかったです。長女と次女が7歳離れていたので主に長女の洋服を作り、次女にはおさがりを着させていました。
ワンピース
長女のために夏用に作りました。生地が薄いので機械に巻き込まれることが多く大変でした。
冬用のスカート
冬用のスカートはワンピースとは違い分厚いと前に上手く進んでいかず調節が大変でした。
女の子らしくチェック柄の生地で作りました。ボタンホールをつけようとしましたが、難しすぎて断念しました。
子供が小学校で使うもの
上靴袋、お道具箱入れ、習字セット入れなどを作るのにミシンはとても重宝しました。
可愛らしいアップリケや紐をつけたりしました。ほとんど直線縫いだけで仕上げる事が出来ました。
家のカーテン
家のカーテンが古くなり新しいものに変えるときに、家具屋さんで高いものを買わなくても自分で作れたことがとても良かったです。
カーテンの生地は分厚く重たいため、扱うのにとても苦労しました。
パッチワーク
パッチワークは本来手縫いなのですが、ベッドカバーやクッションカバーの外側を縫い合わせるのに使いました。
カーテンと同じく生地自体が大きいため裏と表の生地をうまく縫い合わせるのにはとても苦労しました。
オリジナルのスカート
自分が履くためのタイトスカートを作りました。
その時にチャックを付けなければならないのですが、上手く生地に縫い付ける事が出来ずに苦労しました。
使わなくなったタオルを雑巾に
穴が開き使わなくなったタオルを切って、雑巾を作りました。
直線縫いで端を縫って、クロスに交差させて縫うだけなので簡単に作ることができました。
人形などの小物
子供のバザーに出品するために、フェルトを縫い合わせて人形を作りました。
ジグザグ縫いや直線縫いなど色々な縫い方で作りました。
次女に受け継がれたミシン
娘にミシンを貸して、孫が幼稚園で使うものを作らせたりしていました。
ミシンの現在
ミシンを購入してから、2003年頃までは使い続けていましたが、子供は2人とも独り立ちし子供のものを作る必要もなくなりました。
ミシンを使って自分で作るよりも、お店で売っている安くて質の良い商品を買うことが増え、あまり使う機会が無くなりました。
そして、2015年に引っ越しをするタイミングで処分をしてしまいました。
しかし今では処分した事をとても後悔しています。
なぜなら、ミシンがあれば手縫いよりも早く綺麗に仕上げる事ができるからです。
最近では、コロナウイルス対策で手作りマスクを作っているのですが、手縫いだとどうしても時間がかかり、ミシンほど綺麗には仕上がりません。
また、自分のズボンの裾上げも家にミシンがあればお店に持っていかなくても無料で出来ます。その為つくづくミシンがあればな、と思いますね。
振り返ってみると、新しくミシンを買った当初は母親の手動ミシンを使った経験しかなかったため、慣れるまでにとても大変でした。
というのは、手動ミシンは手と足で好きな時に止める事が出来るため調節できますが、自動ミシンはうっかりすると上手く止まらないことも多くありました。
糸掛けや糸切りなどを全て自動でやってくれるのは大変便利ですが、手動ミシンにも良いところは沢山あり、懐かしく想うこともありました。
ミシンでモノをつくると誰かに褒めて貰えたり、ありがとうと感謝を伝えて貰えたり良いことが沢山ありましたね。それがまた次に作るモチベーションにもなっていたのだと思います。
また、現在衣服はお店で買ってしまうことが多いですが、やはり手作りの方が完成した時の達成感を感じる事ができますし、なにより出来上がったものに愛着が湧き、長く大切に使おうと思います。
最後に
「ミシンの使い道」でも話しましたが、祖母はあまり手先が器用ではなくミシンを使いこなすのに苦労が多かったようです。
それでも子供たちのために頑張って洋服を作っていたのは、子供が喜ぶ笑顔を見たかったからです。作業が難しく大変でも子供の喜ぶ姿を思い浮かべると、頑張る事が出来たといいます。
インタビュアーはこのエピソードを聞いてとても素敵だなと思いました。
また、祖母とは逆にインタビュアーの母はとても器用でミシンなども簡単に使いこなしてしまいます。
母にインタビューしても良かったのですが、古いミシンにも興味があり祖母にインタビューをしました。
母は普段から身の回りのありとあらゆるものをパパっとミシンを使って作ってしまいます。ついこの前は、洋服1枚を2日で作っていました。
その為、現在ミシンを持っていない祖母がズボンの裾上げを頼みに母に頼みに家まで行くことがあります。ミシンが親子の1つのコミュニケーション手段になっていたのです。
インタビュアーである私も将来結婚して子供が出来たら、是非ミシンで子供にお洋服や人形を作ってあげたいと思いました。
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